52話 ハチバンが断罪してくれた。(三章完)

「へー、そんなことがあったんダ」


 一月十日。寒風吹き荒ぶ、午後四時。

 三姉妹の学校も始まり、正月気分もだいぶ抜けてきた頃。

 俺は一日の家政夫業を終わらせると、焦燥に駆られるように家を出て、俺と同じ元スパイ――銀髪赤眼の少女、片桐かたぎりハチバンがいる風の子院を訪れていた。


 ここに来た理由は、自分でもわからない。

 あのH島で起きた出来事を、誰かと共有したかったのかもしれない。


「あの冷血なレイ・メタルがねエ……正月早々、厄介な面倒事に巻き込まれてたんだナ」


「……まあ、そうだな」


「んデ? そのあとはどうなったのサ?」


「レイの遺体はローガン・メタルの遺体として搬送され、崖下で落下死していたひったくり犯は殺人犯として処理された。本物のローガンの白骨も、H島の警察が処理する運びになった。最初はフルピースに移送して死因を特定するつもりだったが、こうなってしまってはもう、それも意味をなさないからな」


「そのオリビアって女ハ?」


「ただ茫然としていた。感情が追いついていないような複雑な表情をしていた……俺たちがH島を発つまで、ずっとそんな調子だったよ」


 空港で俺たちを見送ろうとする際、オリビアが見せたあのぎこちない笑顔は、しばらく忘れられそうにない。


 キャサリンはキャサリンで、日本の空港で別れるまでずっと、後悔の念に押しつぶされそうな顔をしていた。

 もっと家族部下と話していれば、恋愛ひとつで抹消されるだなんて誤解は生まれなかったのに……そんなことを考えていたのだろう、きっと。


「まあ、偽物とは言え、二年間一緒に過ごした人間の死だからナ。その女もすぐには受け止められないカ。悲しむのもちがうシ。死んじゃった以上、怒ろうにも怒れないシ。むずかしいところだナ」


「ハチバンだったら」


 区切って、白峰カナと子供たちがはしゃぎ回る光景を眺めながら、俺は続ける。

 きっと、この質問をしたいから、俺はここに来たのだと思う。


「ハチバンが俺の立場だったら、どうしていた?」


「? どうしてたってのは、どこでの判断のこト?」


「『幸せな嘘』か『辛い真実』か、オリビアに伝えるとしたら、どちらを伝えていた?」


「なにも伝えないで帰国すル」


「……いや、俺は真剣に訊いてるんだが」


「ボクも真剣に答えてるヨ」


 ベンチ横に座るハチバンが、ずい、とこちらに顔を近づけてくる。


「ボクはクロウみたいな『主人公脳』じゃないからネ。そもそも、そこでオリビアに二択を迫るようなことすらしないんだヨ。干渉せずに、バイバイするだケ。それが、普通の人間の選択だと思うけド?」


「……主人公脳って」


「主人公脳でしょ、どう見たっテ。やらなくてもいい事後処理を請け負っテ? 伝えなくてもいいレイの恋心を伝えさせようとすル? お節介にも程があるヨ。余計な正義心、迷惑千万。僕はそこまでひとに甘くないし、厳しくもなイ。クロウとしては、正しいことをしてあげてるって気持ちになれて、さぞ気持ちよかっただろうけどネ」


「……そんなこと、俺は別に」


「ニシシ。ゴメン、イジワルすぎタ。要は、クロウは断罪してほしいんだよネ?」


 からかうような微笑と共に、ハチバンは言う。


「オリビアが『幸せな嘘』を選ぼうが『辛い真実』を選ぼうが、そのひったくり犯の執念を見るに、おそらくレイが死ぬ運命は変わらなかっタ。仮に、その二択のどちらも選ばなかったとしても、レイは死んでいタ――だけど、クロウは主人公脳だから、そのどうしようもない運命すらも変えたかっタ」


「…………」


「そしていま、変えられなかった運命を引きずって、ウジウジ悩んでル。そのウジウジを断ち切るために、ボクのところに来たんでショ? 自分の判断が正しかったか、正しくなかったか、いまここでジャッジしてほしいわけダ」


「……そう、なのかもしれない」


 帰国してからずっと、最期に見たレイの微笑が頭から離れてくれなかった。

 あそこでオリビアを連れ戻し、レイの『想い』を吐き出させたところで、オリビアが彼の気持ちに応えることはなかっただろう。


 それでも、なにも知らないまま物別れに終わるよりは何倍もマシだと思った。なんなら、互いの本音をぶつけあった上で、友人関係程度にはなれるのではないかと楽観視すらしていた。


 けれど――結果的に、レイは死んだ。

『辛い真実』を伝えた俺の独断が、彼を死に至らしめた。


 死神。


 相応しい名だ、と俺は自嘲する。


「それじゃあ、お望み通り断罪してあげル――クロウ、きみの今回の判断は間違ってタ。きみがレイを殺したも同然ダ」


「それでモ」と一拍置いて、ハチバンは意地悪そうにほほ笑んだ。


「きみのその主人公脳が、過去にボクを救ってくれたのも、まぎれもない真実ダ」


「……ハチバン」


「だから、クロウのその主人公脳はそのままで、今回の過ちだけを大いに後悔するといいヨ。そして、何度も何度もレイとローガンを思い出すんダ。そうすれば、ふたりはクロウの中で生き続けることができル――思い出の中でふたりを生かし続けル。それが、クロウの贖罪にもなル」


 辛い真実を伝えたんダ。なら、クロウもこの辛い真実を受け止めないとナ。


 そう言って、ハチバンは人差し指を突き出し、俺の鼻先をむにむに押してくる。


 人間は二度死ぬ。

 命が途絶えたときと、ひとに忘れられたときだ。

 ならば、間違えてしまった俺ができることは、二度と彼らを殺さないこと。


「……了解した。その贖罪、しかと償い続けよう」


「ニシシ。その意気その意気。主人公はこういう単純バカじゃないト」


「誰が単純バカだ」


 両手でわしゃわしゃ、とハチバンの銀髪をかき乱して、ベンチから立ち上がる。

 日本に帰国してからずっと抱いていた胸のモヤモヤは、わずかに晴れはじめていた。


「女の髪は命じゃなかったのカー!」と怒り狂うハチバンに別れを告げ、風の子院を後にする。


 帰り道。溶ける夕焼けが、やさしく網膜をあぶる。

 あの双子の目に映る夕焼けには、きっとここに、綺麗な亜麻色が混ざっていたのだろう。

 そんなことを、思った。





      第三章 完



――――――――

(あとがき)


 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

 いつも通り、第四章などの今後の予定は近況ノートでお伝えしようかと思います。

 

 これまでにこの『元スパイ』をフォロー、評価してくださった皆様には感謝しかございません。

 よろしければ、これからもお付き合いいただけると幸いです。

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