50話 ローガンに告げた。
翌日。真っ赤な茜空の下。午後四時四十分。
彼――ローガン・メタルは、
寄せては返しを繰り返す、
この波は、いつ休むことができるのだろう?
この『オレ』は、いつ終わることができるのだろう?
そんなの、決まっている。
死ぬまで、終わることは許されない。
脳裏に焼きついた『アイツ』が、楽になることを許してはくれない。
「……そりゃそうだよな」
それが、ローガン・メタルの
この生活が、この日々が……こうしてここに立っていることそれ自体が、彼にとっての贖罪なのだ。
期待して
これで気づかれないのであれば、この贖罪の日々は永遠に続くことになる。
「ぼ――『オレ』は、どうしたら……」
「待たせたな、ローガン」
不意に、背後から声がした。
聞き覚えのある声だ。ローガンは意識を現実に戻し、声の主を振り返る。
そこには、フルピース諜報部の元スパイ、『死神ナイン』――野宮クロウが立っていた。
クロウは背後の茂みを一度確認すると、再度ローガンに向き直り。
「すまない、キャサリンとの話が長引いてな。待ったか?」
「数分前に来たところだ――それで?」
「それで、とは?」
「とぼけるな。お前がオレをここに呼んだんだろうが」
いまから二十分ほど前のこと。
突然、ローガンの携帯に着信が入った。
着信相手は、いま目の前にいる野宮クロウ。
〝これから、ビーチの南西にある崖上に来てくれ〟
相手は死神ナイン。ここで断れば、なにをされるかわかったものではない。
深夜勤明けで眠っていたローガンは訝しみながらもベッドを出て、渋々この崖までやってきたのだった。
「というか、お前たちは今日の昼に帰る予定だっただろ。なぜこんな夕方までフライトの時間をズラしたんだ? そうしなければいけないほど、オレへの用事が重要だとでも?」
「その通りだよ、『ローガン・メタル』」
やけにローガンの名前を強調して、クロウは続ける。
「とっくに落ち着いているだろうが、落ち着いて聞いてくれ――昨日の昼、この崖の下にある洞窟で、レイ・メタルと
「ッ……、――」
「死後二年は経過しているようだったが、比較的綺麗な白骨だった。キャサリンが『完全な白骨化』と表現した通り、おかしな傷はひとつもない、綺麗すぎる白骨だった――この白骨遺体、レイを殺した犯人は……お前だな? ローガン」
夕焼けが赤みを増し、水平線の向こうにゆっくりと沈みはじめる。
ローガンは、胸中で得も言われぬ感動に襲われていた。
――気づいて、くれていたのか。
思わず口元を押さえるローガンを見つめながら、クロウは口を開く。
「二年前。H島を訪れたレイを、お前はこの崖から突き落とし、殺害した。レイに会っていないというお前の発言は、真っ赤な嘘だったというわけだ。まったく、大したポーカーフェイスだよ」
「…………」
「崖からの転落死だなんて、おおよそスパイ十指とは思えない呆気ない死に方から、おそらくは当事者たちも意図していなかった、事故に近い殺され方だったことが窺える――そして殺害後、お前は遺体を洞窟に運び、近くの大岩で隠蔽した。そもそも、数百キロはあろうあの大岩を動かせる人間なんて、キャサリンかお前ぐらいのものだからな。必然的に容疑者は絞られる……この俺の推測、間違っているか?」
クロウの坦々とした言及。
溶ける太陽を背に、ローガンは茫然自失とした表情でうなだれたあと、静かに首を横に振った。
「いや、間違っていない。死神の言う通り……レイ・メタルを殺したのは、このオレだ」
「……随分と素直に自白するじゃないか」
「死神に嘘は通用しないだろ。シラを切るだけ無駄というものだ――ただ、ひとつだけ弁解を……いや、醜い言い訳をさせてくれ」
「なんだ?」
「レイを殺したのは間違いない。だが、あれは完全に『事故』だったんだ」
事故? と訊ね返すクロウに、ローガンは丁寧に言葉をつなげる。
二年間、待ち望んだ弁明だった。
「二年前。オリビアと運命の出会いを果たしたオレは、任務を終えたあともルート分散化の虚偽報告を続け、H島に滞在し続けた。これは、二日前に話した通りだ――そんなある日、オレが帰らないことを不審に思ったレイが、オレの携帯に連絡してきたことがあった。オリビアと同棲をはじめて、一ヶ月経った頃のことだった」
「……まあ、そのあたりだろうな」
ぼそっ、と小さくつぶやくクロウ。
まるで、はじめから予測していたかのような、そんなつぶやきだ。
ローガンは怪訝そうに眉をひそめるも、話を続けた。
「そのとき、同棲生活で浮かれていたからか、オレは馬鹿正直にオリビアという恋人のことを話してしまったんだ――すると、レイは一日と経たずにオレに会いに来た。レイの用件はただひとつ。スパイであるオレと、一般人であるオリビアとの仲を裂くことだった」
「ローガンと、オリビアの仲を?」
「一般人との恋愛はご法度だ。恋なんてものに
「レイが『雑用で出る』と言い残していたのは、そのことか……」
「それでも、オレは必死にレイを説得した。レイは、キャサリンに殺されるぞ、と一歩も譲らなかったが、譲れないのはオレも同じだった。キャサリンを『無理やりにでも説得してみせる』と、感情論でしかない弁で強引に説き伏せようともした――だが、そのとき、そのときだったんだ」
区切って、ローガンは背後の崖を見やった。
「レイはなにを思ったか、オレを抱きしめるように両腕で強く拘束すると、崖のほうに足を踏み出したんだ……局長のキャサリンに代わって、この場でオレを殺すつもりなんだと、そう思った」
「…………」
「オレは、反射的に抵抗した。身をよじって、レイの両腕の拘束を力ずくで解いた。次の瞬間、レイは足を踏み外し、バランスを崩したまま崖下に落下して、それで……」
「……なるほど。
チラリ、と背後の茂みを見やったあと、クロウは吐息交じりに両腕をつかねて。
「では、レイの死を隠蔽したのはなぜだ?」
「明るみに出せば、警察に捕まる以前に、キャサリンに確実に殺されると思ったからだ。諜報部において『仲間殺し』は大罪だ。どれだけの功績をあげようとも、その断罪の手からは逃れられない――オリビアの傍に居続けるため、オレは捕まるわけにも、死ぬわけにもいかなかったんだ」
「……なら逆に、いまになってレイの遺体を日の下にさらしたのは、なぜだ?」
「罪の意識に堪え切れなかったからだ。贖罪の日々に折れかけていたからだ――だから、キャサリンとお前が来ているこのタイミングで死体をさらした。スパイの思考回路はスパイが一番よく知っている。お前たちならレイを見つけ出してくれるだろうと、そう期待して岩を動かしたんだ」
「ハッ、随分とうれしそうに語るじゃないか。『ローガン・メタル』。言葉にも
挑発するように、あるいは試すように、クロウは鼻で笑い飛ばす。
「俺たちがレイの遺体を見つけたことが、そんなにうれしかったのか?」
「当たり前だ。これでようやく、オレの贖罪は終わるのだから」
「贖罪が、終わる?」
「お前が来てくれて本当によかった――このあと、オレは警察に
湿気交じりの海風が、ビュウ、と崖上に吹きつける。
わずかに目を見開くクロウを前に、ローガンは坦々と告げる。
この結末もやはり、彼が待ち望んでいたソレだった。
「レイを殺してしまった罪を、すこしでも償いたいんだ。ひとりで抱えていた罪を、誰かに裁いてほしいんだ」
「……二年前の、ましてや身元不明の白骨となれば、証拠不十分となって不起訴になる確率が高いが?」
「それでもだ。なんだったら、いまここでお前がオレを抹消してくれてもいい」
言って、ローガンはすべてを受け入れると言わんばかりに、両腕を大きく広げた。
しかし、クロウはつまらなそうに視線をそらして。
「するはずないだろう。いまのお前は、俺と同じ『元スパイ』だ。『仲間殺し』の罪に問われる
「そうか……それは、残念だ」
本当に残念だ、とローガンは両腕を下ろし、右手を胸元に当てた。
さも、心が痛んでいますよ、とアピールしているかのようだった。
「とても残念そうには見えないけどな、ソレ」
「……先ほどから引っ掛かっていたんだが」
区切って、ローガンはすこし不快そうな表情で、クロウを見据えた。
「死神ナイン。お前のその態度は、いったいなんなんだ? まるでオレを、快楽殺人者かなにかだと決めつけているかのような言動だ」
「あはは。そう見えたか? ……いやまあ、快楽殺人者とまでは思っていないが、とんでもないポーカーフェイスだと思ってさ。およそ『ローガン・メタル』には似合わない、クールなポーカーフェイスだ」
「……なにが言いたい?」
「感情の込められた声音からするに、さっきの話は大半が真実なんだろう」
思いっきり伸びをして、崖の先を見つめながら、クロウは言う。
「二年前、レイから連絡があったことも。事故で崖から突き落としてしまったことも。キャサリンに殺されることを恐れて遺体を隠蔽したのも。俺たちに発見させるために岩を動かしたことも。罪を償うために自首しようとしていることも……すべて真実で、そして、半分は大嘘だ」
「嘘、だと……?」
「俺はな、『ローガン・メタル』。今回の事件の事後処理を済ませるために、ここにお前を呼んだのさ――本当、キャサリンの慧眼には感服するよ。こうなることも見据えて、準備して、警戒して。俺という用心棒を用意していたんだからな」
「な、なんの話をしている?」
「お前こそとぼけるなよ――『No,006』」
ドクン、と。
ローガンの心臓が、強く跳ね上がった。
まさか、そんな、だって、そこまでは、ありえない――
唖然とした表情で困惑するローガンに、クロウはハッキリと告げる。
「お前はローガン・メタルじゃない。お前の正体は――スパイ
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