47話 レイを見つけた。

 キャサリンの悪い癖のひとつに、動揺したときに無理やり平静をよそおう、というものがある。

 それは、相手に感情を読まれてはいけない、スパイならではの職業病だった。

 昨夜、俺はローガンのことをポーカーフェイスだと評したが、むしろポーカーフェイスはスパイにとっての平常であるとも言えるのだ。

 

 しかし、それはあくまで任務中でのこと。

 プライベートで南の島にバカンスに来ている最中にまで使用するような技術ではない。

 

 だから――すぐに察した。

 電話越しのキャサリンの声が、不自然なくらい平常な彼女の声が、なにを意味しているのかを。


「……、……」


 それを目のあたりにして、俺は思わず息を呑む。

 昨日、三姉妹たちと訪れたビーチ、そこから南西に下った場所にある切り立った崖の下の洞窟内。わずかに波が入り込む薄暗い空間。


 その、入り口付近に置かれた大岩の傍で――レイ・メタルは死んでいた。


 正確には、レイ・メタルだと『思われる遺体』が転がっていた。


「完全な白骨化。現存している遺留品は、岩の陰に挟まっていた衣類上下の切れ端と、財布。それに、レイがH島入国時に使用していた偽造パスポートだけ。ワタシも見覚えがあるパスポートだから間違いないわ。ほかは全部、風化して残っていない。おそらく、死後二年は経っているでしょうね」


 淡々と分析しながら、岩陰をさらにくまなく探り始めるキャサリン。

 キャサリンの電話を受けてからここに来るまで、三姉妹をホテルに送り返していたこともあって、およそ二十分ほどかかってしまっている。その間に、いまできうる限りの調査なんて、すべて済ませているだろうに。


(なにかしていないと冷静でいられないのか……)


 音沙汰のなかった家族が、遺体になって発見される。

 諜報部の親である局長キャサリンとしては、やりきれない思いでいっぱいだろう。

 だからこそ、俺は彼女に声をかけた。


「レイの死因はなんだと思う? キャサリン」


 レイが死んでしまった悲しみは、俺にはどうすることもできない。

 なら、キャサリンの気をすこしでもまぎらわせるために、彼女の調査ポーズに付き合おう。

 それが、残された家族にできることだ。


「……ふふ、ほんと不器用」


 俺の質問を受け、どうしてかキャサリンはそんな風に笑う。

「はて、なんのことだ?」白々しくとぼけ、肩をすくめてみせると、キャサリンは力なくもう一度笑い、表情を局長のソレに変えた。


「頭蓋骨の裏、後頭部に位置する部分の骨が広く砕けている。すべって転んだ程度では、この砕け方はしないわ。おそらくは、誰かに後頭部を強く殴打されたか、高所から落下したかのどちらかだと思う」


「ふむ。現役の、ましてやスパイ十指ともあろう人間が、後頭部を殴打されるようなヘマをするとは思えないな。もちろん、高所から落下死することも」


 この環境からするに、高所からの落下死の場合は、八割方この洞窟上の崖からの落下が原因と見て間違いないだろう。

 誰か別の人間が、ほかの場所で落下死したレイを洞窟に運んだ、という線は低いだろう。わざわざここに運ぶメリットがないし、仮に死体を隠蔽するためにこの洞窟を選んだのであれば、もっと洞窟の奥深くまで運ぶのが定石のはずだからだ。


「レイの自殺、って線もあるわよ?」


「それがありえないことは、キャサリンが一番よく知っているはずだろ?」


 自殺するかもしれない、とほんのすこしでも疑っていたら、そもそもこんな遠出してまで捜索には来ない。

 レイ・メタルは自殺するような人間ではないと確信していたからこそ、キャサリンは二年間の音信不通を不審に思い、こうしてH島くんだりまで出向いたのだ。


「……そうね。ゴメン、いまのは忘れて。ワタシらしくなかった」


「了解した、忘れよう」


 切り替えて、俺は洞窟内を見渡す。


「となると必然、どちらの死に方だったとしても、レイは誰かの手によって殺されたと見るのが妥当だな。レイ自身の意思ではなく、誰か別の人間……犯人の殺意が、彼を白骨にさせたんだ」


「犯人か……でも、レイを殺そうと思ったら機関銃の一丁や二丁は持ち出さないといけなくなるはずだけどね。『変装使い』だからって、別に戦闘が不得意ってわけじゃないし。ローガンほどではないけど、レイも結構な怪力の持ち主だったからね。この大岩くらいだったら、ギリギリ持ち上げられるぐらいの力は持ってたはずよ」


 見た目はもちろん、能力まで双子のように似ていたのか。ローガンとレイは。

 さておき。


「……となると、レイは不意をつかれて殺された、という線も出てくるな」


「ありえるわね。少なくとも、この殺され方は身構えていた人間の殺され方ではないわ」


「ふむ。これに関する問いは、ここでは答えを出しようがないな。いくらでも憶測を生み出せる――では、別の疑問に移ろう」


「別の疑問?」


「どうしていまのいままで、レイの遺体は見つからなかったのか?」


 言って、俺は洞窟の入り口を見やった。


「この洞窟は別に立ち入り禁止区域ってわけじゃない。俺がこうして来れているのがその良い証拠だ。地元の人間はもちろんのこと、観光客だってすこし足を伸ばせば来ることができる――なのに、なぜこの二年間、レイは見つからなかったのか?」


「岩の陰になっているから、薄暗くて見えづらかった?」


「それでも白骨が目につかないほどではない。中に入って内部を見渡せば、察しのいい一般人なら気づけるレベルだ」


「……アンタ、なんか気づいてるわね?」


 ジトッ、とキャサリンが半目でにらんでくる。

 局長モードのキャサリンはいつもの数倍察しがいい。

 俺はもったいぶることもせず、素直に自分の推理を伝えた。


「岩の陰に、レイの衣類と財布、それにパスポートが挟まっていたんだよな?」


「? ええ。衣類の上下は、上がジャケットとシャツのお腹あたりの切れ端、ズボンがベルト回りの切れ端ね。そのほかの部分は風化して残ってなかったわ。お尻の下にあった財布は皮がほつれて分解しちゃってて、硬貨以外は紙幣も消えてた。同じ場所にあったパスポートは水を吸って皺くちゃになってたけど、なんとか原型を留めてたわね。中身はぐちゃぐちゃで、もうなにが書いてあるかわからないけどね」


「おかしいと思わないか? キャサリン」


 岩陰に屈み、レイの白骨を間近で見つめながら続ける。


「ほかの遺留品は二年で風化したのに、なぜ衣類のその特定の部分と財布、パスポートだけが残っていたんだ――まるで、この白骨はレイ・メタルですよ、って誰かが示しているみたいじゃないか。あからさまに、白々しく」


「ッ……、まさか――」


 息を呑むキャサリンに、俺は告げた。


「レイの遺体が見つからなかったのは当然だ。なぜならレイは二年間、んだから」


 そう考えれば、ジャケットとシャツのお腹回り、ズボンのベルト回りの衣類が残っていたことにも納得がつく。


「なんらかの理由で死亡したレイは、犯人の手によってこの洞窟に運ばれ、大岩の下に隠された。だから二年間、地元の人間にも観光客にも見つからなかったんだ。ここはコケや潮の香りが強い。この場に一時間近く立ち止まりでもしない限り、岩の下からの腐乱臭になんて誰も気づかないだろうから、誰も疑いの目を向けることはしなかった」


「で、でも、ということは……ちょっと待って? じゃあ、いまこうしてレイの遺体が岩の外に出てきている、ってことは、つまり……」


「ああ、そういうことだ」


 屈んだ姿勢を戻し、俺とキャサリンは大岩を見上げた。

 大きな謎の到来を示すように、ザバン、と波しぶきが散る。


「ここ最近――おそらくは昨日か今日、犯人がこの洞窟を訪れて、大岩を動かした、ってことだ」

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