45話 キャサリンに伝えた。

 ローガンと別れたあと。

 人気ひとけがすっかりなくなった夕暮れのビーチに戻ると、パラソルを片づけていた夏海が俺の存在に気づいた。


「あ、鈍感クロウがやっと帰ってきやがった! ったく、いままでなにしてたんだよ?」


「すまない、H島の観光をすこし。三人とも、ちゃんとキャサリンの傍にいたか?」


「ご覧の通りだよ」


 夏海が顎先で、ほんの数メートル先の砂浜を示す。

 泥酔したキャサリンが、顔だけを外に出して砂に埋められていた。

 ぐがー、と豪快な寝息を立てているキャサリンは、埋められてもなお一向に起きる気配を見せない。爆睡しているようだ。

 その両脇で、桜と秋樹がくすくす、と忍び笑いをもらしながら、丁寧に砂を盛りつけている。

 

 この和やかな雰囲気からするに、特におかしな連中などに絡まれたりはしなかったようだが……。


「……これは、どうしてこんなことに?」


「二時間前くらいに、めちゃくちゃ酔っぱらっちゃったキャサリンさんが、セクハラ親父みてえに秋樹の胸をもみはじめてさ。んで、その制裁として埋めた。キャサリンさん自身も、ハイテンションで『もっと埋めてー!』ってはしゃいでたよ」


「その光景が容易に想像できるな……」


「ともあれ」


 区切って、夏海は荷物を肩にさげ、桜たちを見やった。


「あたしらはクロウの言いつけをしっかり守って、しっかりキャサリンさんの傍を離れなかったよ。ぶらっと観光をはじめちまう、どっかの誰かさんとはちがってな」


「うぐっ」


「桜も秋樹も、クロウがいねえからさみしがってたんだぜ? ……一応、あたしも」


 むすっ、とした表情でこちらをめつけてくる夏海。

 たしかに、こちらから一方的に約束事を押しつけておいて、当の俺がソレを反故にするような行動を取っていたら、三姉妹からしても面白くはない。


「わ、悪かったよ。お詫びになんでも好きなもの買ってやるから、それで許してくれ」


「……なんでも?」


「ああ、なんでもだ。ブランドもののバッグや時計でもいいぞ」


 今回の依頼の報酬金は、こうして三人のために使うのがベストだろう。


「うーん。あたし、ブランドもんには興味ねえ人間だからなあ……桜と秋樹もたぶん同じだと思うぜ?」


「そうなのか。うむ、リーズナブルな姉妹でよろしい」


「煽ってんのか――んじゃまあ、高いもんはいらねえから、ダチに渡すお土産とかほしいかな。H島特産の食べ物とか、奇抜な色のシャツとかさ」


「そんな安価なものでいいのか?」


「充分だよ。それに、三人分ともなれば結構な額いくぜ? そこまで負担させちゃったら、クロウが可哀相だろ」


「夏海……」


「ほら、そろそろホテルに戻ろうぜ。昼飯も軽いもんしか食ってねえから、空腹が限界だ――おーい、桜、秋樹! いい加減キャサリンさんを発掘してやれー」


 告げたあと、パラソルを両手で持ち、ホテルへの道を進む夏海。

 夏海……なんて思いやりのある子なんだッ! お父さんうれしい! お父さんじゃないけど!


 前世は本当に天使だったのかもしれないな……、などとアホなことを考えながら、砂山からようやく起き上がり始めたキャサリンを横目に、俺は夏海の隣に並んだ。


「夏海。ほら」


「ん? ――お、おお。サンキュー」


 夏海から、パラソルと荷物を受け取る。

 ん、意外に重たいな。華奢な夏海なら、なおのこと重たく感じたことだろう。


「へへ、男の子じゃん」


 照れくさそうにはにかんで、夏海は水平線に沈む夕日を見つめる。

 夏海の淡い茶髪と夕暮れの茜色がきらめいて混ざり、H島の宵闇に吸い込まれた。


 

     □


 

「――といった具合に、ローガン・メタルというスパイは排除させてもらった。これから奴がどう生きるかまでは、俺の与り知るところではない」


「そう、ご苦労様……」


「その後、レイ・メタルの行方について訊ねてみたが、有力な情報は得られなかった。ローガンの表情と声からして、嘘をついているようには見えなかった。隠し事をしているかどうかすらも、あのポーカーフェイスからは読み取れなかったな……って、大丈夫か? キャサリン」


「大丈夫大丈夫。ちょっと胃液が逆流してきただけ……うぷっ!」


「昼間から飲みすぎだ、まったく……」


 呆れつつ、俺は部屋の冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出し、窓際のソファでぐったりと溶けているキャサリンに手渡した。


 暗闇の中に波音が木霊する、午後九時四十分。

 ビーチから戻り、五人で高級ホテルの豪勢な夕食を味わったあと、俺はキャサリンの部屋でローガンに関する情報を伝えていた。


 盗聴の心配はない。今日から宿泊するこの最上階のフロアは、いま現在俺たち五人しか泊まっていない貸し切りの状態で、さらに、階段とエレベーターの前には警備員に扮したフルピースの人間が待ち構えていた。何十年と前線で戦い続けてきた凄腕のスパイでも、俺たちの会話を盗聴するのはむずかしい。

 この領域内であれば安全だろうと、三姉妹にもこのフロア内での移動は許可していた。いまは桜の部屋に集まって『UMO』をしている最中らしい。


 さておき。


「それで、これからどうするつもりなんだ?」


 キャサリンの対面のソファに座り、俺は本題を切り出す。


「ローガンはレイの行方を知らなかった。心当たりもないと言っていた。となれば、あとはキャサリンが自身で行動するしかなくなるわけだが?」


「――ぷはっ」


 ペットボトル一本を飲み干したあと、キャサリンは口元を拭って。


「H島中を捜索……といきたいところだけど、それで見つかってたら二年も見失わないのよねー。どうしようかしらねー」


「かしらねー、と言われてもな……」


「そういえば、さ」


 空のペットボトルを手持無沙汰とばかりにイジりながら、キャサリンは続ける。


「さっきクロウ、ローガンのことを『ポーカーフェイス』って言ってたわよね?」


「? ああ、俺にはそう見えたな。恋人の前ではそうもいかないようだが、基本的には無口というか、寡黙な印象を受ける男だった」


「……やっぱりね」


 つぶやいて、クシャリ、とペットボトルを潰し、ゴミ箱にノールックで放るキャサリン。

 嫌な予感が当たった、とでも言いたげな、それは苛立ち加減だった。

 そのイライラの理由がわからない俺は、訝しみながらも話を戻した。


「一応、ローガンには後日連絡するかもしれないと伝えてあるから、キャサリンが直接、話を聞きに行くこともできるぞ?」


「……いや、それだけはやめておくわ」


「……?」


『それだけは』やめておく?

 俺がもう事情を訊いているのだから、二度手間になることはしたくない……という意味だろうか?


「そうか。まあ、キャサリンの好きにすればいいさ――では、明日の予定は?」


「とりあえずは自由フリーかしらね。望み薄だろうけど、念のために明日はワタシがH島を捜索してみるわ。クロウは三人とショッピングでもして、イチャコラしてきなさいな」


「了解した。……いや、イチャコラを了解したわけではなくてな?」


「はいはい、わかってるわかってる。それじゃあ、また明日ね。むっつりスケベクロウ」


「ちょっと語呂のいい悪口はやめろ」


 なんて、いつものやり取りをして、俺はキャサリンの部屋を後にする。


「それじゃあ、おやすみだ。キャサリン」


「ええ、おやすみなさい」


 扉を閉める別れ際。

 どこか悲し気に微笑んだキャサリンの表情が、やけに脳にこびりついた。

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