42話 キャサリンに命じられた。

 二年前。

 麻薬密輸ルートの分散化が発覚する直前。H島国際空港近くにある飲み屋で、ローガンはバイト中のオリビアと出会った。

 

 一目惚れだった。

 自分は彼女と幸せになるために生まれてきたのだと、そう錯覚するほどだった。

 

 けれど、スパイは一般人と恋愛関係を持つことを禁止されていた。『弱み』を作ることになるからだ。これは、フルピース設立当初から存在する、スパイの暗黙の了解だった。

 

 それでも。

 それでも、ローガン・メタルの想いは止められなかった。

 一生オリビアを愛していきたいと、彼はそう強く願った。

 

 ゆえに――ローガンはあざむくことにした。

 密輸ルートが分散化した、という、H島に残る口実を……オリビアの傍にいるための言い訳をでっちあげた。

 

 その後。ローガンはキャサリンに嘘の定期報告を続けながら、オリビアの隣に居続けた。

 

 

 ――と、いうことらしかった。


「なんというか……見かけによらず、随分と愛らしいところもあるんだな。ローガン」


 からかいながら、テーブルの上のスマホがしかと起動していることを確認したのち、俺は目の前に置かれた紅茶を口につける。


 マスクのひったくり犯を警察に突き出したあと。午後一時手前。

 オリビアのお誘い通り、俺はローガンの拠点――白い平屋のテラスで、ティーパーティーにお呼ばれしていた。こうしたお茶会は、日本で近所の奥様方と何度も行ってきたので慣れっこだ。

 そしていまは、オリビアに聞こえないよう配慮しながら、ローガンにこれまでの事情を説明してもらっていたところである。


 話を聞くうちに、この説明もまた虚偽ではないだろうかと勘ぐったが、局長であるキャサリンの使いが直々に来ている状況で、彼が嘘をつくメリットがない。

 なにより、話している最中のローガンの真剣な表情と声音は、これがまごうことなき真実だと雄弁に語っていた。


恋人オリビアと駆け落ちするために、組織を裏切る……か)


 エンタメのスパイ映画では、よく見かける話だ。

 が。現実のスパイ界隈では一切耳にしない話である。

 耳にする以前に、そのスパイは裏切り者として排除殺害されるからだ。

 俺のような、組織の追っ手に見つかって――


 つとめて警戒させないよう、自然をよそおってコトン、と紅茶を置く。


「かと思えば、付き合いはじめて二年もせずに同棲とは……やはり、外国の人間は恋愛の進め方が速いな。三人には見習わせないようにしないと」


「……『死神』のお前になにがわかる」


 キッチンでクッキーを準備しているオリビアを見やり、ローガンは仏頂面でそう答えた。

 愛想のない奴め。ジョークのひとつでも言えないのか、まったく。

 キャサリンに、お前が言うな、とツッコまれそうだけれど。

 ……というか、ちょっと待て。


「ローガン……その『死神』ってのは、もしかして俺のことか?」


「ほかに誰がいる。フルピース史上最凶のスパイ、『死神ナイン』。お前が解雇されたのも、実はキャサリンを殺しそこねたからだと噂されているぞ」


「…………」


 まあ、うん。

 スパイを辞めたいま、誰がどう噂してようとも関係はないけれど。うん、別に死神とか、そんな気にしてないし。ほんと。ほんとだよ?


 俺のその受け入れがたい二つ名の噂は、キャサリンの耳にも入っていたはず。にもかかわらず、こうして広まっているということは、キャサリンは面白半分で噂の流布を放置していた、ということにほかならない。

 あとで覚えてろよ、とスマホの受話口を指で叩いていると、ローガンが「それで」と、ひどく緊迫した面持ちで口を開いた。


「死神ナイン。お前はオレを、どうするつもりなんだ?」


「どうする、とは?」


「とぼけるな。キャサリンはすでに、オレが一般人と恋人関係になっていることに気づいていて……それで、お前をここに向かわせたんだろ?」


「……まあ、普通はそう思うか」


「誰だってそう思うだろ……やはり、オレを抹消する、のか……?」


 怯えや恐怖というより、覚悟を決めたような声音。

 オリビアとの幸せな生活を過ごしながら……しかし、この瞬間が来ることをどこかで悟っていたのだろう。まるで、切腹前の武士のようだ。


  俺は、テーブル上のスマホを手に取りつつ。


「セオリー通りならそうなるだろうな。そのあたりは直接、局長さまに訊いてみるしかないだろう――なあ、どうなんだ?」


 そう言い、スマホを裏返して受話口をローガンに向ける。

 画面に表示されている通話相手の名前は――キャサリン・ノーナンバー。


『うーん、どうしようかしらねー?』


「なッ、!?」スマホから響いたその声に、ローガンは顔をこわばらせながら立ち上がった。まるで足元にゴキブリの大群が通ったかのような驚き方だ。

 あとで尋問内容を伝えるのも面倒だと思い、ティーパーティーが始まった直後からこうして通話をつないでいたのだ。


『恋多き乙女としては応援してあげたいところだけど……ワタシたち、スパイだものねー。組織で育った以上、死ぬまでスパイを続けなきゃいけないものねー』


 呂律が回っていない。コイツ、あのあとから相当呑んだみたいだな……。

 と。ローガンがテーブルに両手をつき、必死の形相でスマホに語りかけはじめた。ここが最後のチャンスだと思ったのだろう。


「あ、あの、キャサリン! 頼む、ワガママなのはわかっているが、オレの話をすこしだけでも聞いて――」


『――OK、決めたわ。クロウー』


 ローガンのすがるような言葉も無視して、酔っ払いキャサリンは俺にこう命じてきた。

 正直、こうなるような予感はしていた。


『そこのローガン・メタルっていうスパイを、殺しちゃいなさーい』

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