41話 ローガンに出会った。
一月のH島は日本だ。
そう錯覚してしまうほどに、ビーチ沿いの道路や商店は日本の観光客であふれていた。聞こえてくる言語も、英語より日本語のほうが多い。店の店員もカタコトの日本語を使って接客していた。H島に訪れる日本人がどれだけ多いのかが窺える光景である。
(日本語が聞こえてくると、海外に来た気がしないな……)
周りの建物は、ちゃんと海外っぽいんだけれど。
なんてことを考えつつ、俺はキャサリンの言っていた北西三キロの住宅街を目指した。
ヤシの木を背景に勾配のキツい坂を登り、『
……というか、待ってくれ。
キャサリンは、この辺りに住んでいるローガンって名前の人間は彼しかいない、などと言っていたが、それがわかるのは、その地元に住んでいる住民だけなのでは?
俺もローガンとはほぼ話したことはないが、一応フルピース内で見かけたことぐらいはある。だから、本人を見ればすぐにわかるはずだけれど……俺がこの状況からローガンの家を見つけようと思ったら、しらみ潰しに住宅街を巡るしかなくなる。
「……やられた」
このことに気づかないキャサリンではないだろうに。あの怪力酒飲み女、俺なら勝手に見つけ出すだろうと情報伝達を怠ったな?
海岸からの涼しい風を背に受けながら、深い嘆息をつく。
その直後だ。
「――誰か、そいつを止めてくれッ!!」
狭い十字路に差し掛かった瞬間。左側の路地からそんな逼迫した英語が聞こえてきた。
見ると、やけにガタイのいい顎ヒゲの男性が、口元に赤いマスクをした細身の男を必死の形相で追いかけていた。
あ、見つけた。
「お、おい! そこの黒髪のアンタ! そのひったくりを――、ッ!?」
俺と視線が合った瞬間。顎ヒゲの男性が、まるで死神にでも遭ったかのごとく目を見開き、ピタリ、とその脚を止めた。
マスクの男はこれ幸いとばかりに逃走の速度をあげ、俺の横を通り過ぎようとする。
逃がすわけないのに。
「よ、っと」
俺は着ていたパーカーを一息で脱ぐと、鞭のようにしならせ、ひったくり犯(でいいのか?)の片腕にパシッ! とからみつかせた。
「なッ!?」マスク男が驚きに速度を緩めた隙を狙い、パーカーを引っ張って半回転させる。
すると。マスク男の身体がぐるんと空中で回り、そのまま眼下の石畳に打ち付けられた。
鈴木と対峙した際にも披露した、合気道の応用である。
ただし。海外の犯罪者は最後の最後まであがき続ける執念があるので、鈴木のときよりもかなり強めにやらせてもらったけれど。
「身なりからするに、この街の若いギャングか? まあ、俺には関係のない話だが……おとなしくしてろよ」
暴れ回るマスク男を膝で押さえつけたまま、ねじったパーカーで両手首を後ろ手で締め上げる。手錠の代わりだ。
しっかりと手首が拘束されているのを確認し、マスク男がひったくったであろう女性もののバッグを手に取ると、俺は顎ヒゲの男性の下へ。
「ほら、お前の要望通りに止めたぞ? ローガン・メタル」
バッグを手渡しながらそう言うと、顎ヒゲの男性――ローガンは、ひったくり犯を追っているときよりも緊迫した表情で、目の前の俺をにらみつけてきた。
「……どうして、お前がここにいる」
どうやらローガンは、こんな出来損ないスパイの俺の顔を覚えていたようだ。なるほど。キャサリンの言う通り、俺はもうすこし自分の認識を改めたほうがよさそうだ。
さておき。
「色々と事情があってな。端的に言えば、『キャサリンのおつかいで来た』」
「ッ……、」
キャサリンに教えられていた台詞を告げると、ローガンは息を呑んだのち「ハッ……」と、自嘲するようにして笑みをこぼした。
「そうか……ついに、キャサリンにバレちまったのか……まあ、そろそろだろうとは思っていたが」
「? バレた、というのは、いったい……」
訝しんだ、そのとき。
「――ローガーン!」
そんな女性の声が、狭いこの路地に響いた。
ローガンたちが走ってきた方向から、ひとりの女性が駆け寄ってきていた。
現地の人間だろうか。亜麻色の髪をした綺麗な女性だった。
真っ白なワンピースをたなびかせながら「えいしょ、えいしょ」と懸命に走ってきている。速度はものすごく遅いが。
「ふぅ……やっと追いついた。ローガンってば走るの速いのね」
「あ、ああ……すまん、オリビアのバッグを盗られたから、つい……」
「わあ、取り返してくれたのね! ありがとう、ローガン!」
「いや、取り返したのは、こちらの……」
そう言って、ローガンは気まずそうに俺に視線を向けた。
まあ、俺のことを元同僚と説明するわけにもいかないからな。気まずくなるのはわかる。
と。彼の目線を追うようにして、亜麻色の髪の女性――オリビアが俺を見つめた。
「あなたが、私のバッグを?」
「いいや? 取り返したのはローガンさ。俺はただ、片足を出してそこのひったくり犯を転ばせただけだよ」
俺が捕まえたことにするよりは、そっちのほうがストーリーは偽造しやすい。
白々しくそう嘘をつくと、眼下で押さえつけられているマスク男が「ローガン……」と小さく、憎々しげにつぶやいたように聴こえた。
俺の聞き間違い、か?
「それでも、あなたが手伝ってくれたことには変わりないわ! ねえ、よければうちに来ない? バッグを取り返してくれたお礼がしたいわ!」
「お礼か……そうだな、それではお邪魔させてもらおうか」
「お、おい! お前――」
「やった! そうと決まれば、さっそくティーパーティーの準備をしなくちゃ! ローガンも、警察への説明が済んだらすぐに来てね!」
言って、ローガンの頬にキスをしたあと、ぴょんぴょんとうれしそうに跳ねながら、来た道を戻りはじめるオリビア。
……なるほど、そういうことか。
俺は、唖然とした表情で固まるローガンの肩にポン、と手を置く。
「彼女のこと、じっくり聞かせてもらおうか。ローガン?」
「…………」
ローガンの返事は、遠くでたゆたう波音にかき消された。
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