40話 三姉妹とビーチに行った。
H島時間、午前十一時。
七時間超のフライトを終え、H島に到着した俺たちを待ち受けていたのは、肌を焦がすまぶしい日光と、冬の季節を忘れさせる暖かな気候だった。
日本の季節だと、七月初旬ぐらいの気候だろうか?
暖かいというよりは、むしろ暑い、というべきかもしれない。
空港を出ると、三姉妹が声にならない感嘆の声をあげ、H島の風景を物珍しそうに眺めはじめた。はじめての海外に、三人の瞳は輝きっぱなしだ。なんの変哲もない時計やオブジェを指さしては、楽しそうにはしゃいでいる。それ、日本にもあるオブジェだぞ?
まあなんであれ、楽しそうでなによりだ。
おせちとお雑煮を無駄にした甲斐がある。
だからこそ、この旅行は楽しいままで終わらせないと。
「ハァッ!? 13ドルとかふざけてんの!? あのホテルまでの道のりなら5ドルもかかんないじゃない! あんまぼったくってるとアンタの■■■を■■■にして■■■にぶちこむわよッ!!」
と、タクシー運転手と英語で口喧嘩しているキャサリンから視線をそらし、三姉妹に向き直る。
いまだけは他人の振りをしておこう。
「桜、夏海、秋樹。街に出る前に、すこし大事な話がある。こっちに集合だ」
「「「はーい」」」
トトト、と素直に集まった三姉妹に、俺は真剣な声音で告げる。
「財布やパスポートの持ち方に関しては、着陸前に忠告した通りなんだが、最後にひとつ――この旅行中は絶対、俺かキャサリンの傍にいるようにしてくれ。絶対に単独行動をしないこと。誰かに話しかけられても答えるな、俺かキャサリンが対応する。ホテルからも出ないこと。もうとにかく、最悪財布もパスポートも捨てていいから、俺とキャサリンの傍にいることだけを守り通すようにしてくれ。約束してくれるか?」
この国の人間からすれば、日本人……それも美女である三人は、うますぎるカモだ。
金をスラれるだけじゃなく、そのまま人身売買される可能性すらある。
冗談でも過保護でもなく、実際にそういう事件が年に数回起きているのだ。
そうした俺の危機感が伝わったのか。三姉妹は真面目な表情で、コクリ、とうなずいてくれた。
よし。この三人だったら、俺の警告を破るような真似はしないだろう。
「ありがとう。それじゃあ、まずはホテルに向かおうか。キャサリンの話では、H島で一番有名な高級ホテルだそうだから、期待していいと思うぞ」
これだけ突発的な旅行に対応できるあたり、そのホテルも確実にフルピースの息がかかった宿泊施設なのだろう。まあ、ありがたい限りだが。
俺の言葉に、わあ、と三姉妹はその表情を咲かせた。俺が企画した旅行ではないけれど、こうして喜んでくれるのは素直にうれしい。
キャサリンとタクシー運転手の交渉がようやく収まりはじめたところで、俺はタクシーに向けて歩き出す。
と。
不意に、くいっ、と後方に引っ張られるような感覚。
見ると、三姉妹が俺のシャツの裾をギュッ、とつまんでいた。
「……えっと、なにをしてるんだ?」
「だって、傍にいろって言うから……ねえ?」
「そうだぞ。あたしだって、ほんとはしたくねえけど、クロウが絶対にっていうから」
「そ、そうですそうです」
三人の上目遣いが、唖然とする俺に向けられる。
……注意の仕方を間違えたかな?
いやまあ、このぐらい引っ付いてくれていたほうが、確実に守れはするか。
かなり歩きづらいが、シャツを掴む三姉妹を引きつれて、タクシーの下へ。
「……到着早々、イチャつかないでもらえる?」
キャサリンの嫌味に、俺は返す言葉がなかった。
□
天使がいた。
いや、突然なにを言い出すんだと思われるだろうが……聞いてくれ、天使がいたんだ。
ホテルでのチェックインを済ませたあと、俺たちは真っ先にこの『ワイモモビーチ』に向かったわけなんだが……なんてこった! まさか、天使が降臨なされるとはな。
神は信じちゃいないが、その使いである天使はしかと存在したようだ。
「ただいまー。クロウ、アンタはジンジャエールでよかったんだっけ?」
「キャサリン。いまはそんな
「生姜汁て……」
呆れた様子のキャサリンが、数メートルほど先の天使たち――水着姿のかわいい三姉妹を見やる。
桜はおとなしめな色のオフショルダービキニ、夏海は黒のハイネックビキニ、秋樹はワンピースタイプの水着を着ていた。それぞれの個性を最大限に引き出す水着だ。ああかわいい。桜は最近食べ過ぎていたせいか、ほんのすこし脇腹に肉が乗っかってしまっているけれど、ある意味それは家政夫の勲章だ。かわいい。夏海は痩せすぎていて、あばらがすこし浮かんでしまっているけれど、かわいいことと似合っていることに変わりはない。かわいい。秋樹は……うん、やはり胸元がいい意味で目の毒だな。いい意味で。かわいい。
「……見たけど、それが?」
「まごうことなき天使だろ? なぜ羽が生えていないんだろうな。あんなかわいいのに。不思議だ……」
「アンタの脳内のほうが不思議よ……ったく、父親気分かっての」
「父親ではない、家政夫だ」
「やかましい」
ぶつくさボヤきながら、俺の真隣に腰を下ろすキャサリン。
「というか、これ結構冷たいんだけど」
「ああ、すまない。助かる」
手渡されたジンジャエールを受け取り、さっそく口にしていると、それをジっと眺めていたキャサリンが話題を変えてきた。
いや、本題に戻ったというべきか。
「さて、と。それじゃあまあ、今回の問題もちゃちゃっと片づけちゃいましょうか。クロウに払う報酬金もタダじゃないしねー」
「そうだな。面倒事を先に片づけるのは定石だ――となると、アテもなくレイを探すわけにもいかないから、まずはこの島に出向いているというローガン・メタルの下を訪ねるのか?」
「ま、そうなるわね」
キャサリンの説明によると、ローガン・メタルは、H島で麻薬の密輸を阻止する任務に就いていたそうだ。
スパイ十指の名は伊達じゃない――ローガンは一ヶ月と経たずにその任務を遂行したが、あとになって密輸ルートの分散化が発覚した。このままでは、ローガンが阻止した以外のルートから、H島に麻薬が輸入されてしまう。
この失態を重く受け止めたローガンは、責任を取るため、H島に残って麻薬密輸ルート根絶の任務を自身に課したのだった。
それが、いまから二年前のこと。
レイ・ローガンの行方がわからなくなった時期の話である。
「ローガンの拠点は、このビーチから北西に三キロほど行った先にある住宅街にあるわ。その辺りにローガンって名前の人間は彼しかいないから、すぐにわかるはず。気をつけて行ってらっしゃいね」
「……ちょっと待て」
キャサリンのその言いぶりに、思わず会話をストップさせる。
「その口ぶりだと、まるで俺がローガンの下に行くかのように聞こえるが……?」
「聞こえるじゃなくて、しっかりとそう言ってるのよ。理解できなかった?」
「……この問題の性質上、諜報部局長であるキャサリンが赴くべきなのでは? 機内でも、自ら事情を問いただす、みたいなことを言っていただろう」
「言ったけど、あの子たちがいるんだから、片方はここに残らないといけないでしょ? なら、こうするしかないじゃない」
「いやいや、俺が残るという選択肢もあるだろう」
「だから、アンタは自分のことをもっと知るべきなのよ。ここにクロウがひとりでポツンと座っていたら、どうなると思う? 十分後には海岸中の女性がこぞってアンタを逆ナンしに来るわよ? 十人……いや、五十人は集まるでしょうね。そうなったら三姉妹のこと、しっかり守れるの?」
「うぐッ……」
そんなことはありえない、と反論したいところだが……解雇時、女スパイたちに泣かれた経験があるので、強く返すことができない。
「それに、ワタシがここに出向いた真の理由はレイの捜索であって、ローガンへの尋問じゃないもの。ローガンへの尋問は別にクロウに任せちゃってもいいかなー、と思ってね。ワタシの独断からはじまった依頼だけど、飛行機やらホテルやらを用意したワタシへの労いだと思って、ここはひとつ、ね?」
「……いや、しかし、そうは言っても」
「ジンジャエール、飲んだわよね?」
ニタァ、と頬を悪辣に歪めながら、キャサリンがこちらの顔を覗き込む。
キャサリンの赤く過激なビキニが、まるで悪魔の衣装かのように見えた。
「しっかり見たわよ? アンタ、ワタシが買ってきたその『ワタシのジンジャエール』、我が物顔でごくごく飲んでたわよねえ?」
「なッ……こ、これは俺のために買ってきてくれたものなんじゃないのかッ!? 出店に買いに行くときも『クロウはなに飲みたい?』って俺の飲みたいものを聞いてきて、手渡すときだって――」
「別にワタシは、クロウが飲みたいものってなんだろーと思って聞いただけで、買ってくるつもりなんかサラサラなかったわよ? 手渡すときも、『これ冷たいんだけど』って言っただけだし。それをクロウが勝手に勘違いして、勝手に受け取っただけでしょー?」
「……、は、ハメやがったな……!」
「ふふふ。いやあほんと、クロウは引っかけやすいから好きなのよねー」
パキッ、と瓶ビールを開け、愉快そうにキャサリンは続ける。
「まあまあ、そんな不貞腐れた顔しないでよ。ローガンには、『キャサリンのおつかいで来た』って言いなさい。そうすれば、大抵の事情は話すはずだから」
「……いつか地獄に落ちるぞ」
「知ってるわ。クロウと一緒の未来だもの」
皮肉を皮肉で返された。
クソ、何枚も上手だ。
俺は「ハァ……」と、諦めのため息を深々とひとつ。
パラソルの下の荷物から薄手のパーカーを取り出すと、レイの行方を知るため、一路ローガンの拠点を目指したのだった。
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