昔話 キャサリンと酒の肴。

(まえがき)

 WEB版と書籍版とで、内容に若干の差異があります。

 こちらはあくまでWEB版の物語としてお楽しみください。


―――――――― 


 七年前。

 ワタシが十八歳の頃の話だ。


「キャサリン少佐。本日付けで、お前を『軍部ぐんぶ』から解雇する」


「……なんですって?」


 一瞬、脳内があらゆる言語を忘れる。

 昼過ぎのトレーニングルーム。ワタシは両手に持っていたベンチプレスを置き、頭の悪い宣告をしてきたトム大佐をめつけた。


「笑えないジョークね」


「笑えなくて当然だ。これはジョークじゃなく、単なる事実なんだから」


 そう答えるトムの瞳は笑っていない。

 ワタシは額に浮かぶ汗もそのままに立ち上がり、トムに詰め寄った。


「解雇の理由を聞かせて」


「理由だと?」


「そうよ。ワタシは軍部に人生のすべてを注いできた。フルピースのために尽力してきた。戦績もそれなりにあげてきたはず。なのに、どうして――」


「独りよがりがすぎるんだよ、お前は」


 呆れを通り越し、もはや苦笑しながら、トムは続ける。


「上の命令を無視して独断専行、頭にあるのは敵の殲滅だけ。ワンマンアーミーを気取るのは勝手だが、それに振り回される仲間はたまったもんじゃない」


「振り回すだなんて……ワタシはただ、任務における最適解を選んできただけよ、命令を無視したわけじゃない。敵の殲滅だって、任務達成のためには不可欠なプロセスのはずだわ。第一、あなたたちを危険にさらしたことなんて一度もなかったはずよ」


「危険かどうかは関係ない。軍ってのはとにかく『規律』が大事なんだ」


 ベンチ台にかけてあったハンドタオルをこちらに投げて、トムは言う。


「『犬』と揶揄されることからもわかる通り、軍ってのは従うことこそがすべてなんだ。たとえ間違った命令が下されようとも、それに付き従うことこそが、俺たちの存在意義なんだよ。ほしいのは従順にうなずく端役の一兵卒。首輪を引きちぎるような一騎当千の『コマンドー』は、軍にはいらないのさ」


「――――」


「わかってくれ、キャサリン。これはもう決まったことなんだ。転属先のリストは後日持ってくる。それまでは寮で待機していてくれ。以上だ」


 坦々と告げて、トムはトレーニングルームを後にする。

 死に別れないだけマシだとでも思っているのか。彼の口調はひどく事務的で、別れの悲しみなどは皆無だった。


「……解雇、か」


 渡されたタオルで汗を拭い、ストン、とベンチ台に腰を下ろす。


 西の国の教会前に捨てられていたワタシは、軍部の元トップ『ベイブ・ランスター』に拾われ、今日まで生きてきた。

 孤児のワタシに姓はない。

 あるのは、キャサリンという、女の子らしい名前だけだ。

 以降十数年間。軍部のみんなを家族だと思い、家族を守るために任務に励んできた。


(そのがんばりが裏目に出た、ってわけね……)


 トムはもちろん、この決定を下した上層部を恨む気持ちはない。どころか納得すらしている。

 制御のきかなくなったラジコンは、廃棄するのが当然なのだから。

 ラジコン本体の意思など、どうだっていい。


「転職先、どうしよう……」


 肩を落としてうつむくと、ポタリ、と涙のように汗が垂れ落ちた。


 

     □


 

 それから数時間後。

 なにをするでもなく寮の自室でボーッとしていると、枕元の電話が鳴った。ワタシに来客だそうだ。


 名前は、『ビー』。アルファベットのB。

 電話してきた窓口担当の話によると、そのBはC倉庫の五番ゲートで待っているとのこと。


 ただの一兵卒に来客? ワタシは孤児なのに?

 外に出るのは戦場に赴くときばかりで、一年の大半はフルピースの施設内で過ごしている。ゆえに、外の世界に知り合いはいない。ましてやココは秘密組織フルピース。窓口を見つけることすら不可能に近いレベルのはずなのだが。

 というか、名前からして怪しすぎる。偽名なのが丸出しだ。

 まあ。窓口にたどり着けている時点で、テロ犯などの危険人物ではなさそうだけれど。


(フルピース内の誰か? いや、それならわざわざ窓口を通す必要はないだろうし……)


 訝しみながらも、ワタシはベッドから起き上がり、ブーツを履き始めた。



 

 

 数分後。


「お、やっと来たな!」


 軍用機も収納できる巨大なC倉庫。その五番ゲートに到着すると、開け放たれたゲートから差し込む茜日を背にして、白髪の老男性が大声で叫んだ。

 ガタイのいい老人だった。口髭や皺からするに五十代前後。Tシャツはパツンパツンで、ズボンのジーンズもダメージが入りまくり。白髪をオールバックにかきあげていて、気取ったハリウッドスターみたいなサングラスをかけていた。


(誰だろう、このひと……)


 怪訝を表情に滲ませながら、ワタシは重々しいブーツ音を鳴らして彼に近づいていく。


「はじめまして。あなたがBさん?」


「おうさ! オレこそ、お前を迎えに来たBだ! よろしくな!」


「よろしく。というか、ワタシを迎えに、ってどういう意味?」


「キャサリン! お前、孤児なんだってな?」


 ワタシの問いをスルーして、Bはサングラスを外し、楽しそうに続ける。


「キャサリンという名前も、ベイブに『女の子らしく育つように』と名づけられたものらしいじゃないか! まあ、その戦果は到底女の子らしさとは程遠いがな! 軍用ヘリをワンパンチで叩き落とす怪力なぞ、敵からすれば恐怖でしかないわ! ガハハハッ!」


「……あなた、ベイブさんの知り合いなの?」


 この怪力に関する話は、女の子らしくないからあまり好きじゃない。

 仕返しとばかりにスルーして問うと、Bはまったく気にする素振りも見せずに。


「ベイブは悪友だ! 数年前、あいつが軍部を抜けるときに『キャサリンはいずれ軍部を解雇されるだろうから、そのときはよろしく頼む』と言付ことづかっていたのさ! お前の怪力が軍隊にはそぐわないことを、ベイブは見越していたんだろう!」


「……、ベイブさんが、そんなことを」


「そして、お前は予定通りに軍部を解雇された。だから、オレがこうして迎えにきたんだ! お前を、諜報部局長に任命するために!」


「諜報部局長……って、ワタシにスパイになれって言ってんの?」


「そういうことだ!」


「いや、いやいやいや……というか、そもそもあなた何者? 局長を決められる人間なんて、フルピースを統括するボスぐらいし、か――」


 思わず言葉を途切れさせるワタシを見て、Bはニカッ、と真っ白な歯をむき出しにして笑う。


 ああ、そうか。

 Bって、『BOSSボス』の『B』……。


「お前だからこそいいんだ、キャサリン」


 声のボリュームを落として、やさしい声音でB――ボスは続ける。


「怪力という才能を有しているからこそ、お前は誰よりもやさしい。強さの裏側にある痛みを、よく理解しているからだ。そのやさしさは、孤高のスパイたちを繋ぎとめる『絆』になる――それこそ、家族よりも強い、な」


「……家族よりも、強い絆」


「スパイは、言わば個人戦のプロフェッショナルだ。軍規なんて煩わしいものも存在しない。孤児というレッテルも、諜報部では当たり前のステータスに挿げ変わる――どうだ? どうせ解雇されたばかりで、まだ転属先も示されていないんだろ? ここいらで心機一転、新しい世界に飛び込んでみないか? 色々と高待遇にするぞ?」


「スパイ、か……」


「と、というか、マジで来てくれんかな? ぶっちゃけると、つい先日諜報部の局長が事前の報告もなしに寿退社してな。局長の席が空いたままなんだ。普段身を隠してるオレが座るわけにもいかず、とにかく代わりの局長が必要なときなんだ! 頼む!」


「本当にぶっちゃけたわね……」


 ベイブさんに頼まれて迎えにきたんじゃなかったのか。


 しかし、まあ。

 スパイは陰気な奴がなるものだと思っていたけれど、脳筋で体力バカのワタシに声がかかる辺り、どうやらそういうわけでもないらしい。


 数秒ほど思案したのち、ワタシはボスに右手を差し出していた。


「それじゃあ、よろしくお願いするわ」


「お、おお! 引き受けてくれるのかッ!?」


「これがそれ以外の返答に見える?」


「いや、見えん! ありがとう! これで諜報部は安泰だ! よかったよかった!」


 ワタシの手を両手で握り返し、その場で弾むように踊り出すボス。

 こんな常時酔っぱらっているような爺さんがフルピースのトップだったとは……裏の世も末である。


「そうと決まれば、キャサリンにも『コードネーム』を与えんとな!」


「コードネーム? ああ、諜報部の人間は番号ナンバーで呼ばれてるんだっけ。でも残念、ワタシにはキャサリンって名前があるから、そんなものは不要よ」


「でも、姓はないんだろ?」


「……ないけど、なにか?」


「なら、その姓をコードネームにしてしまおう! うん、オレがいま決めた! 異論はないな?」


「強引すぎるでしょ……まあ、別にいいけど」


「では、そうだな……うむ!」


 顎髭をイジりながら悩んだ末、ボスはポン、と手を叩き、こう告げてきた。


「今日からお前の名前は、『キャサリン・ノーナンバー』だ! お前のその怪力のように何物にも、番号ナンバーにすら縛られないスパイとなるがいい!」


「……それはもう、スパイとして失格なんじゃ……」


「軍部育ちのくせに細かいやつだなあ! こういうのは勢いが大事なんだ、覚えておけ!」


「はいはい、わかりましたよ。ボス」


「よろしい!」


 ガハハッ! と豪快に笑って、ワタシの髪をくしゃくしゃにかきまぜるボス。

 諜報部。新しい家族たち。

 今度こそ、失わないようにしないと。


 

     □


 

 それから。

 局長に就任したワタシは、スパイの心得を自身に叩きこみつつ、未熟ながらも局長の仕事をこなしていった。

 ボスが言っていた通り、スパイは個人戦のプロばかりだった。個々の戦力だけで言えば、軍部をはるかに上回る化物ばかり。ワンマンアーミーを地でいく者たちしかいなかった。


 そんな中で、一際おかしな化物がいた。

 ナンバーナイン。

 のちの、野宮クロウである。


「キャサリン。コイツがオレの秘蔵っ子、ナインだ!」


 そう言って、ボスから紹介されたのが、十三歳のクロウ。

 それが、クロウとの初めての出会いである。

 軍部でも諜報部でも下についている人間がボスを拝む機会はそうそうないのだが……自分が直々に拾った孤児だからか、ボスはクロウと何度も対面しているようだった。


「はじめまして、キャサリン。ナンバーナインだ。寿退社したフューゲルの後任が、こんなに早く来るとはな。今後ともよろしく頼む」


「ええ。はじめまして、ナイン。随分とフランクなのね。驚いちゃった」


「ああ、すまない。ボスとの癖で……敬語にしたほうがいいか?」


「いいえ、大丈夫よ。仕事さえこなしてくれれば、口調なんてどうでもいいわ」


「了解した――しかし、おかしいな」


「おかしい?」


「ボスの話では、キャサリンは十八歳だと聞いていたんだが」


「? 十八歳だけど……ふふ、もしかして、もっと若く見えるってこと?」


「いや、目元に小皺があるから、二十代後半かと思った」


「ぶっ潰すッ!!」


 足元のコンクリートを踏み抜き、目の前のクロウを全力で殴り飛ばしたのも、いまではいい思い出だ。

 そんな出会い方をしたものだから、しばらくクロウはワタシと話すとき、最低でも三メートル距離を取るようになってしまったのだけれど、それも彼が十五歳になったときには解消された。


 この頃から、クロウの周りに女スパイが集まるようになっていった。端的に言って、クロウがカッコよくなりはじめたのだ。

 たしかに、クロウは美形だ。けれどワタシには、失礼で生意気なクソガキ、という初印象が色濃く残っていたので、異性として意識することはまだなかった。

 

 だが、ほかの女性陣にとってはそうではなかったようで、クロウの美貌は、ついには女スパイの任務達成率にまで影響をおよぼしはじめた。

 局長に就任して、七年目のことである。


「ボス。このままだと、諜報部の信頼に関わる事態になりかねないわ。クロウは、もう……」


「……わかった。オレがすべての責任を負う。あとはキャサリンの指示にゆだねる」


「ありがとう」


 ワタシは、選ぶしかなかった。

 諜報部という家族を守るために、過去の自分に下された解雇という決断を、クロウに下すしかなかった。


 そうして――クロウはスパイを辞めた。

 すべて、ワタシの責任だと思った。


 だからこそ、ワタシは事あるごとに、クロウに連絡を取った。

 ウザったいと思われてもいい。

 諜報部に入って初めて会った『息子』だから。彼の危機を救えるように、定期的に連絡を取りたかったのだ。

 かつての自分が、ボスにそうされたように。

 



 

「さて、と……」


 そして今日も、ワタシは電話を手に取る。

 片手には晩酌用のウィスキー。酒のさかなは用意しない。

 酒の肴は、太平洋を越えた先、受話器の向こう側にいるからだ。


 胸に手を当てて、小さな深呼吸をひとつ。

 通話ボタンを押して、息子の第一声を待った。


「――あ、クロウ? なによ、開口一番、気の抜けた声だして――それで用件は、って、冷たいわね。前の職場の上司に対して。……まあ」


 カラン、とウィスキーの氷を転がす。

 グラスに映る自分の顔がうれしさでニヤけてたことは、彼には黙っておこう。

 この生意気な魚を見失わなければ、それでいい。


「いつも通り、酒の肴にしてやろうかと思ってね」

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