29話 秋樹と一緒に閉じ込められた。

「やっと来タ。それじゃあ、さっそく行こウ!」

 

 支度を終えて出てきた俺と秋樹を見て、ハチバンは善は急げとばかりに歩き始めた。

 昼下がりの住宅街を、ハチバンはスキップ交じりに進んでいく。先ほどのインターホン越しの切実さは微塵も見えない。いつも通りの元気な片桐ハチバンだ。

 白々しいほどに。


「クロウさん。事情はわからないですけど、ハッちゃん、無理してるんじゃあ……」


「……深くは言及しないでやろう。話したくなったら話してくれるさ」

 

 前を歩く銀髪の背中を見つめながら、隣り合う秋樹にそう耳打ちする。

 事実、俺たちは話してくれるのを待つことしかできない。

 

 ここで問い詰めるのは簡単だが、ハチバンはやり手のスパイ、どうせまた嘘の言い訳を並べ立てられてけむに巻かれるのがオチだ。

 そんな嘘の情報を掴まされるぐらいなら、真実を吐露してくるのを待っていたほうが何倍も効率がいい。

 

 が。あの酒飲み局長は、待つのが嫌いなのだろう。


(本当、キャサリンに任せなくてよかったな……)

 

 ありていに言ってキャサリンは、ハチバンに『懲罰』を与えるために日本に来たのだ。

 

 諜報部のみんなは家族だ。けれど、家族ごっこよろしく慣れ合っているわけではない。皆が皆、情報ひとつで生死が別れる世界に生きる、生粋のスパイだ。

 ハチバンは、そうしたスパイを統括している局長室に忍び込み、情報を盗んだ。

 ほかのスパイたちに示しをつけるためにも、無罪放免で済むはずがない。

 本来なら、諜報部を辞めさせられたあと、法的機関に逮捕されるレベルの重罪である。


〝――子供の不始末は、親がするものでしょ――〟

 

 だからこそ、キャサリンは自ら出向いてきた。

 それは、自身の失態を拭うためと……なにより、ハチバンへの懲罰をできるだけ軽くしようという善意にほかならない。

 ただ罰を与えるだけなら、拷問好きのスパイにでも任せればいいのだから。

 それをしなかったのは、キャサリンのやさしさゆえ。

 

 現時点で情報が盗まれた事実を知る者は、ワタシしかいない。

 なら、ワタシがこっそりと罰を与えておけばいい。

 

 おそらくは、そう考えたのだ。


(まったく、スパイらしからぬ甘さだ)

 

 まあ。とは言え。

 局長室から情報を盗んだ事実は変わらないので、スパイを辞めることはないにしろ、ハチバンはそれなりの罰を受けることにはなるのだろうけれど。

 それでも、逮捕されるよりもマシな処分にはなるはずだ。でなければ、ハチバンへの言及を俺に任せて本部に帰還するはずもないのだから。


「お、やっと見えてきたゼー!」

 

 と。ハチバンの背を見つつ、思案しながら歩いていると、いつの間にか周囲の風景は風の子院前の坂へと切り替わっていた。

 まさに風の子と言わんばかりの元気さで、ハチバンは坂を駆け上っていく。


「げ、元気だなあ、ハッちゃん……」


「あれだけ元気なら、心配なさそうだな――、あ」

 

 肩で息をする秋樹を横目に、時間を確認しようと空のポケットに手を伸ばしたところで、俺はふと気づく。

 スマホは、スーパーから帰ってきたあとに充電していたのだった。


「うっかりしてた……秋樹、すまないが、スマホで時間を見てもらえないか? 充電中のまま持ってくるのを忘れてしまった」


「え? わ、わたしも持ってきてないですよ? クロウさんが持ってきてくれてるだろうな、と思って」


「……忘れた俺が言える立場ではないが、同行者の所持に関係なく、携帯は常に携帯するようにしたほうがいいと思うぞ?」


「そうなんですけど……読書中に音を鳴らされるのが嫌いで。持ち歩く習慣が身についてないんですよね、わたし。ひとりで外に出るときは、まあ防犯のためにも一応持ち歩きますけど」


「……本の虫」


「なんて? いまなんて言いました? ねえねえ?」

 

 ぺちぺち、と肩を叩いてくる秋樹を本の虫だけに無視しつつ、風の子院に足を踏み入れる。

 まあ。夕飯前には飾りつけも終わるだろうから、別にスマホがなくても大丈夫だろう。

 このときの俺は、そう思っていた。

 


     □



「ちょいと待ってテ。いまカナ呼んでくるかラ」

 

 風の子院に到着後。

 広場側の窓際で靴を脱ぎ、ハチバンが慣れた風に院内に入っていったかと思うと、奥のほうから青エプロンをした垂れ目の女性、白峰カナが姿を現した。

 視界の端の屋内では、子供たち数名に引っつかれながら「お前ら、飾りつけをしロ!」と喚いているハチバンが見える。子供たちとの距離感もだいぶ縮まっているようだ。


「おやおや? ハッちゃんの付き添いさんの、野宮クロウさんじゃないですか~! 昨日ぶりですね~!」


「昨日ぶりです。どうですか? ハチバン、ご迷惑おかけしてませんでしょうか?」


「迷惑だなんてとんでもない。すごくがんばってくれてますよ~。私のお仕事もだいぶ負担が軽減されました~。子供たちもすぐ懐いちゃって、いまでは院内のお姉さん気取っちゃってますね~。かわいい限りです」


「それはよかったです……っていうと、ハチバンに怒られそうですけど」


「ですね~。これは、ここだけの秘密にしておきましょう――というか、今日はかわいい彼女さんを連れて来たんですね~。隅に置けないですね~、野宮さんも。このこの~!」


「いや、この子は俺が家政夫としてお世話になっている家の子でして、彼女とかそういうのでは……、痛ッ! え、秋樹? なぜ脇腹を手刀で刺すんだ? え?」


「野宮さん、さては鈍感さんなのでは……まあ、それはさておき!」

 

 区切って、白峰は話題転換とばかりにパン、と両手を叩いた。


「すばらしい助っ人が来てくれて助かりました~! 実は、一週間後にうちでクリスマスパーティーがあるんですけど、それの飾りつけをすこし手伝ってもらえませんか~? この作業こそ、男手がほしくって~」


「もちろんです。というか、白峰さんはそのために俺を呼んだのでしょう?」


「うん? 私が、野宮さんを呼んだ?」


「え」


「来てくれたのはうれしいですけど、私は野宮さんを呼んでませんよ~」


「はい? い、いや……でも、ハチバンが俺たちにそう」


「たしかにハッちゃんは、『助っ人を連れてくル』って言って出ていきましたけど、野宮さんを連れてくるとまでは言ってなかったですよ~? あれ、私が聞き逃してたのかな?」

 

 首をかしげる白峰を前に、俺はわずかに息を呑む。

 これも――嘘。

 しかし。嘘をつかれたことはさほど問題ではない。


『なぜ』そんな嘘をついたのか?

 大事なのはその一点だ。

 

 何度でも言うように、ハチバンはやり手のスパイだ。意味のない嘘はつかない。

 スパイが嘘をつくときは、必ずなにかしらの意味があるときだけだ。

 

 俺の個人情報に関する嘘。護衛の任務を自ら引き受けていた嘘。そして、今回のこの嘘――


(……共通項はない、ように見えるが)

 

 白峰と俺への嘘など、こうして顔を合わせた瞬間に一瞬でバレる嘘だ。そんな浅い嘘をつく意味が、いったいどこにあるというのか?

 到底理解できないが――それでも、ハチバンの中ではしかと意味があるのだ。

 直接口にすることはできない、なにか重要な意味が。

 となると、自発的に口を割らない以上、やはりいま問い詰めるのは得策ではないということか。


「……クロウさん」

 

 怪訝そうな表情でスーツの袖を引っ張ってくる秋樹。さすがに秋樹も、これはおかしいと感じているようだ。

 俺はうなずきで応じたのち、軽い咳払いを挟んで。


「いや、もしかしたら俺が聞き間違えてたのかもしれません――なんであれ、今日は飾りつけのほう、よろしくお願いします」


「いえいえ~、こちらこそです! それじゃあ、お手伝いの内容をパパッと説明しますね~。どうぞ中へ~」

 

 白峰に招かれて、秋樹と共に風の子院の中に入る。


(ハチバンは、いったい俺になにを伝えたいんだ……?)

 

 子供たちの楽しそうな声をBGMに、そんなことを考えていた。

 



 

 その後。

 俺たちはクリスマスパーティーの飾りつけを手伝っていった。

 

 男手である俺の仕事は、予想通り、主に重い荷物の運搬だった。

 風の子院の周囲にある雑木林を挟んだ駐車場に、すこし広めの倉庫がポツリと建っているのだが、そこから電飾の入った段ボールやら、ツリーとなるモミの木を運んだりした。モミの木に至っては、植木鉢の重さも含めればおよそ三十キロはくだらない。これはたしかに、男手がほしくなる重労働だ。

 

 本命のツリーが風の子院に到着すると、子供たちはサンタが来たとばかりに大はしゃぎした。ここまで喜んでくれるとは。運搬の疲れが一気に吹き飛ぶようだった。


「ここは、こうして……そう、上手ですね。わたしよりも上手ですよ」

 

 秋樹はというと、女の子たちと車座くるまざになり、飾りつけとなる花や星を作っていた。白峰から支給されたお茶のペットボトルを横に置いていて。気分はまるでお茶会だ。

 なんか、あそこだけ女の子らしい空間ができあがっているな。普段は内気な秋樹でも、子供たち相手なら気軽に接することができるらしい。

 

 院長である白峰カナは、その作った花や星を壁に飾りつけていた。男の子たちも精いっぱい背伸びをして白峰の手伝いをしている。

 

 さて、俺も残りの運搬を済ませないと。

 そう思い、座っていた窓際から腰をあげようとした、そのとき。


「――ありがとナ」

 

 いつの間にか背後に来ていたハチバンが、そんな感謝の言葉を投げかけてきた。

 なんのことだ? 首をかしげる俺の横に座り、ハチバンは続ける。


「その、色々とサ」

 

 それだけを口にして、「ニシシ」とバツが悪そうにうつむくハチバン。

 ハチバン自身、自分の嘘がバレていることに、とっくに気が付いているのだろう。

 だから、『色々』なのだ。

 

 これまでのハチバンの嘘により、葉咲三姉妹に危害がおよぶような恐れはない。であれば、三姉妹を守る家政夫の俺としてはまったく問題ないのだが、家族に嘘をつかれるのは、なにか理由があるとは言え、やはり気持ちのいいものではない。

 

 俺は、呆れたようにため息をひとつ。

 ハチバンの銀髪に手を乗せて、くしゃくしゃ、とかき乱してやった。


「ナッ……やめロ! 『髪は女の命』なんだゾ! もっと丁重にあつかエ!」


「色々な仕返しだ――話せよ」


「ッ……、」

 

 問い詰めることができない以上、それしか言うことができない。

 俺の言葉を受け、ハチバンは穴の空いた風船のように「に、ニシシ……」と弱々しく笑うと。


「……いつかがあれば、ネ」

 

 と答えて、中に戻っていってしまった。

 その返事の意味を深く考えずに、俺はやれやれと肩をすくめると、倉庫に向かうために立ち上がった。

 

 



「これで最後、だな」


 倉庫内の棚から電飾の段ボールを下ろす。

 正確な時刻はわからないが、空がだいぶ茜色になってきた。冬であることを考えると、だいたい午後四時すぎぐらいだろうか。


(そろそろ帰って、夕飯の仕込みを始めないとな……)


 今日は初めておでん作りに挑戦するので、料理本などを見る手間も含めて時間はすこし余分にほしいのである。楽しみだ。はじめての料理は地味にワクワクしてしまう。


「クロウさん、お疲れさまです」


 そんな家政夫らしいことを考えながら段ボールを持ち上げると、倉庫の出口に秋樹が現れた。


「お疲れ。どうした?」


「白峰さんが、電飾はもう足りてるから、クロウさんに伝えてきてって」


「そうか、ありがとう。下ろし損だったな、コイツ……」


「ふふ、手伝いますよ」


 そう言って、倉庫内に入ってくる秋樹。

 クリスマスという、年に一度しかないイベントだからだろう。電飾が置いてある棚は倉庫の一番奥に位置していて、かなり薄暗かった。


「気をつけろ。そこら辺、ほうきやら小物やらが転がってるから、秋樹みたいなドジっ子はすぐに転んじゃうぞ」


「いつからわたしはドジっ子になったんですか……」


 ぶつくさ言いながら秋樹が近寄って来た。

 その直後である。


「――とじまり、えらいねー」「ねー」


 そんな、幼い子供ふたりの声が聴こえたかと思うと、倉庫の鉄の引き戸が、ガガガ、と重々しい音を立てて閉められた。

 倉庫の棚などの影になってしまったのか。俺と秋樹の存在には気づいていないようだ。

 次いで、ガチャリ、となにかを施錠したような音が倉庫内に響く。


 いや、なにかだなんて、わかりきっている。

 いま閉められたのは、この倉庫の――


「お、おい! ちょっと待っ……まだ残ってるぞッ!!」


 慌てて引き戸に駆け寄って叫ぶも、子供たちはキャッキャッ、と楽しそうにはしゃぎながら、風の子院のほうに向けて走っていってしまったようだった。

 声が完全に遠のいたところで、俺は背後の秋樹を振り返る。


「……閉じ込められた」


「……ですね」


 こうして。

 とんでもないドジっ子ふたりは、夕暮れ時の倉庫に閉じ込められてしまったのだった。

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