19話 桜は祈った。

 その日の朝は、いつもと変わらぬ朝だった。

 早朝五時から弁当を作り、三姉妹を見送ったあと、俺はいつもの家事をこなしていった。

 天気は快晴。十一月中旬にしては暖かな陽射しが差し込む、のどかな一日だった。


「ん?」

 

 あらかた家事を終えた、昼の十二時四十分すぎ。

 唐突に、桜からRINEが飛んできた。

 確認すると、『おいしかったよー!』というメッセージと共に、空の弁当箱と桜の手のピースが映りこんだ画像が添付されていた。

 画像の端っこに映っている学生鞄のチャック部分には、温泉旅行で買ったあのピンク色の謎生物キーホルダーがぶら下がっている。


「わざわざ報告しなくてもいいのに」

 

 俺はひとり笑みをこぼしつつ、『お粗末さま』とだけ返信した。

 



 

 その後。

 特に外出することもなく家に居続け――気づけば夕方、午後四時十分。

 最初に帰宅してきたのは、秋樹だった。


「ただいま帰りました」


「おかえり、秋樹。今日もご苦労様だ」


「クロウさんこそお疲れ様です。今日もお弁当、おいしかったです」


「そいつはなによりだ」

 

 リビングでそんな他愛のない会話を交わしていると、続いて夏海が帰ってきた。


「ういー、ただいまー。クロウ、弁当さんきゅー。うまかったぜ」


「それはよかった」

 

 そうして今夜の夕飯の話などをしたのち、秋樹と夏海は二階の自室に戻っていった。

 これで、三姉妹のうち、ふたりが帰ってきた。

 残るは、ひとりだけ。


「……また寄り道でもしているのか?」

 

 時刻は現在、午後四時四十分。

 別段おかしな時間ではない。桜と秋樹を見るに、日本の高校生の帰宅時間としては、おそらく平均並の時間帯だろう。事実、桜はこれまでにもっと遅い時間に帰宅してきたこともある。最長で、午後七時ぐらいだっただろうか。

 

 けれど。

 けれど、どうしてかこの日だけは、その遅延がひどく気になってしまった。


「とりあえず、RINEだけでも……」

 

 過保護な親はいつもこういう気持ちでいるのだろうか? なんて、すこし見当違いなことを考えながら、桜に『いまどこにいるんだ?』とRINEを飛ばしておく。

 昼間。返信したらすぐについていた既読マークは、いつまで経ってもつかなかった。

 



 

 時計の針は午後七時を回り、ついには八時を回った。

 秋樹と夏海は、すでに夕飯を食べ終えている。

 

 桜は――まだ帰宅していなかった。

  

 RINEの俺のメッセージにも、いまだ既読マークはついていない。

 過保護すぎると嫌われてしまうかもしれないが……ここで、俺は思い切ってRINE通話をかけてみた。

 しかし。どれだけかけても、桜に繋がることはなかった。

 コール音もなしに切れているから、電源を落としているのかもしれない。あるいは、スマホの電池がなくなっただけか。


「……部活は、していないんだったよな?」

 

 リビングを離れ、家の前に出てみる。

 帰ってくるような人影は見えない。犬の鳴き声が響く中。等間隔に設置された電柱の明かりが、薄暗い路地をぼんやりと照らしているだけだった。

 そういえば、十一月下旬に学園祭があると言っていたな。白雪姫の劇をやるのだとか。その準備で遅れているだけなのだろうか? スマホを切っているのも、準備の邪魔にならないために?


「いや、クラスメイト間で準備の相談をする際、スマホを使用しないとも限らないから、その線は考えにくいか……」


「お、どしたん? クロウ」

 

 と。思案しながら家の中に戻ると、ちょうど二階から降りてきた夏海に出くわした。

 俺は、すこしだけ焦燥まじりに。


「桜がまだ帰っていないんだ。夏海は、桜からなにか、帰りが遅れるといった話を聞いていないか?」


「いや、聞いてねえけど……心配しすぎじゃね? まだ八時だろ?」


「もう八時だ。女の子がひとりで出歩いていい時間ではない。ましてや、桜は未成年なのだぞ?」


「まあ、それはそうだけど……RINEはしてみたのか?」


「通話をかけたが出ない。コール音が鳴らないから、電源からして切れているようだ。午後四時すぎに送ったメッセージにも、一切既読がついていない。そのタイミングで電池が切れた、というだけの話であれば、まだ安心もできるのだが……」


「……いや、それはねえな」

 

 俺の話を聞き、突如、夏海の表情が曇った。


「と、言うと?」


「桜は几帳面な奴だから、半端な電池残量でスマホを持ってくわけねえんだよ。寝る前に必ず充電器にスマホぶっさして寝るからな、桜は。朝家を出るとき、スマホの電池残量はいつも100%になってるはずだぜ」


「……それが半日で0%になることは、あまりに考えにくい?」


「登校直後からバカみてえに動画を見続けてたら、あっという間に0%にはなるけど、真面目な桜が授業そっちのけで動画を見るわけねえしな。考えにくいと思うぜ――OK、わかった。ちょい待ってな」

 

 そう言って、夏海は小走りで二階に戻ると、自分のスマホを持って戻ってきた。

 ふたりでリビングのソファに座り、夏海が手慣れた操作で誰かに通話をかけはじめる。

 いったい誰に? 目線でそう訊ねると、夏海は小声でこう答えた。


「桜と同じクラスの親友。桜が前に、家にこの親友連れてきたときがあってさ。そんときにRINE交換してたんよ。いまでも暇さえあれば連絡取ってんだ。そいつに、桜がいまどこにいるか訊いてみようぜ」


「……随分と社交的なんだな、夏海は」


「あたし、そんとき酒飲んでたから、完全にノリで交換しただけだよ。でも、まさかこんな風に役に立つときが来るとは――、あ、もしもし?」

 

 相手が出たのだろう。

 俺から視線を切ると、夏海はこちらにも聞こえるようにスピーカーホンに切り替え、その親友とやらと通話しはじめた。


「久しぶり、急に悪いな」


『夏海さーん! 地味にお久じゃないっスか! え、どうしたの? ウチと恋バナしたくてかけてきたんスか?』


「相変わらずの恋愛脳だな……いや、ちょっと訊きてえことがあってさ。いま、そこにうちの桜いる?」


『桜? いや、いないっスよ? 学校から一緒に帰って途中で別れたっきり、RINEもしてないっスね。別れたのが、だいたい午後四時半すぎぐらいだったかな?』


「午後四時半……」

 

 つぶやいて、夏海がわずかに視線を向けてくる。

 午後四時半すぎ。俺がメッセージを送る十分前のことだ。

 その十分の間に、桜は音信不通になった、というわけか。


「学校で、桜になんかおかしな様子とか、なかったんか?」


『? いや、特にはなかったっスよ――ああ、でも、ひとつだけ』


「なんだ?」


『桜のやつ、前にクラスに乗り込んできたイケメンとのツーショット写真を、これ見よがしに自慢してきたんスよ! 友達のウチらはもう、嫉妬と羨ましさでウキー! ってお猿さん状態っス! 周りにいた男子とか、通りすがったちょいキモい男子とかまで、その写真を見て驚いちゃってて。もう、すごい大惨事だったんスよー』


「イケメンって……まさか」

 

 ジト目でこちらを睥睨へいげいしてくる夏海。

 俺は冷や汗を流しながらも、ジェスチャーで夏海に電話の続きを促した。


「ったく……んで、桜と帰りに別れたのって、どの辺り?」


『ほら、あそこっス。叶画高から西に伸びてる、四車線の大道路あるじゃないっスか? それをグーっと下っていって、コンビニ前の交差点のところで別れたんスよ。そのあとは、ウチはそのまま大道路を下っていく感じで帰って、桜は、そっから住宅街に入っていったっス』


「――ありがとう!」

 

 直後。

 会話に割り込むようにして、俺は通話相手に一言感謝を告げると、弾けるようにしてソファから立ち上がり、玄関に向かった。

 

 場所がわかれば充分だ。

 あとは、そこから調べていけばいい!


「お、おい、クロウ!」慌てた様子で玄関先まで追いかけてきた夏海に、俺は靴を履きながら口早に警戒を促す。


「俺が家を出たら、家中の扉と窓に鍵をかけろ! インターホンが鳴っても絶対に出るな! 帰ったときは俺のスマホから連絡する! それまでは、秋樹と一緒に行動しろッ!」


「わ、わかった……でも、桜がどこに行ったかまでは、まだ」


「これ以上、ジっとしてなどいられるかッ!」

 

 行ってきます! と告げて玄関を出ると、俺はママチャリにまたがった。

 焦る気持ちをペダルに込めて、いつものエプロン姿のまま、夜の路地を高速で走っていく。

 


     □

 


 嫌な予感が、胸の奥で蠢いていた。

 ムカデのように全身を這うソレは、件の交差点が近づいていくたびに、その毒を強めていく。

 

 そして。

 全速力で駆け抜け、ものの数分でたどり着いた、コンビニ前の交差点。

 住宅街に入っていく、その薄暗い路地の上に。

 

 ピンク色をした、謎の生物のキーホルダーが落ちていた。

 

 こんな奇怪な生物、見間違えるはずがない。

 嫌な予感、的中だ。


「……、クソッ!!」

 

 思わず叫び散らす。

 三姉妹のことになると、どうにも感情の抑制が利かなくなる。理性を忘れてしまう。

 だが、落ち着け。スパイは冷静沈着になることが大事だ。

 いや、だから、もう俺はスパイではないけれど。

 それでも――いまは三姉妹を守る、『騎士』なんだ。


「よし……大丈夫、大丈夫だ」

 

 自身を落ち着かせつつ、ママチャリを降りてキーホルダーを拾うと、俺はソレの確認に入る。

 スパイも、そして偽の前職である探偵も、まずは状況を見定めることが大切なのだ。

 

 深呼吸をして、キーホルダーを見つめる。

 学生鞄のチャック部分についていた金具が、なにか強い力で引きちぎられていた。桜の力ではない、別の力が働いた証拠だ。

 謎の生物の顔の部分は、踏まれた跡のように黒ずんでいる。


(誰かともみ合いになって、キーホルダーを引っ張られた?)

 

 いや、そうだとすれば、引っ張っている最中に叫び声をあげて助けを呼んでいるはず。十一月の午後四時半すぎであれば、辺りはまだ薄明るい。声をあげれば、それも女性の甲高い声であれば、周辺に住む誰かが気づくはずだ。

 そんな機転が利かないほど、桜はハプニングに弱い性格ではない。

 

 つまりは、助けを呼ぶ間もなくキーホルダーを引きちぎられた、ということ。

 となれば、導き出される答えは、ひとつ。


「誰かにさらわれた、か……」

 

 この路地の入口付近で、ワゴン車かなにかを横付けされ、叫ぶ間もなく車内に連れ込まれた。そう考えるのが妥当だろう。

 スマホの電源もそこで切られたのだろう。スマホには位置を特定するGPS機能があるからな。

 黒ずんだこの跡は、その車のタイヤ痕だったというわけだ。

 暴漢やストーカーに襲われるかもという心配はしていたが……まさか、さらう人間が出てくるとは。

 

 このキーホルダーを証拠に、いまからでも警察に通報する?

 いや、それではあまりに遅すぎる。さらわれたというのは、現段階では俺の推測でしかない。警察が動く理由には弱すぎる。仮に動いてくれたとしても、捜索願の提出や手続きなど、手間がかかりすぎる。

 その間に、桜の身に危険がおよぶとも限らない!

 

 フルピースの諜報部を頼るのも同様の理由で却下だ。海外に拠点を置く彼らに、日本にいる俺の問題をスピード解決する手段はない。


(俺が助けるしかない、というわけだ)

 

 まあ、最初からそのつもりではあったけれど。

 

 さておき――では、その車は桜をさらったあと、どこに向かったのか?

 俺は両腕を束ね、まずは犯人の動機、ないし心理をたどる。

 水平思考だ。

 以前、秋樹と話したことのある、『ウミガメのスープ』で有名なアレである。

 柔軟な発想で『道筋動機』の推測を立て、実際に起きた『結果さらう』を補完するのだ。

 

 その中で――俺が仮の犯人として打ち立てたのは、もちろん『アイツ』だ。

 桜をターゲットにした事件を起こす人間など、アイツ以外思いつかない。

 では、どのようにしてアイツは犯行におよんだのか?

 

 犯人の恋慕れんぼ

 不良が溜まっている埼宮港さきみやこう

 よその自治区に設置された防犯カメラ。

 学園祭のヒロイン決め。

 その相手役にと俺の名前を出され、顔を真っ赤にした桜。

 監視カメラに映った謎の人影。

 温泉旅行で撮った俺とのツーショット写真。

 それを自慢した際の周囲の反応。

 

 あらゆる情報が結合した結果――俺は、ひとつの『仮説』を閃いた。

 脳内を整理するように、それを順序立てて口にしていく。


「犯人は、桜に想いを寄せていた。はじめて見る俺に殺意を向けてくるほど熱烈な想いだ――そして、犯人は俺に接触し、こう訊ねた。『桜とはどういう関係なのか?』と。それに対し、俺は答えてしまった。『訊きたければ、桜本人に訊いてくれ』」

 

 思えば、あれが最大の過ち。

 この事態を招いてしまった、きっかけだったのだ。


「そこで犯人は、実際に桜に訊こうと思い至る。しかし、想いが強すぎて、恥ずかしくて、すぐにそれを実行することはできなかった……そうこうしているうちに、学園祭のヒロイン決めの話になり、桜が見事抜擢された。その際、周囲がからかって、俺の名前を出した。すると、桜は顔を真っ赤にしてしまった――それを見て、犯人は察する。『ああ、桜はあの乗り込んできた男のことが気になっているのだ』と」

 

 自意識過剰な推測だが、こう考えることですべては繋がるのだ。

 俺はママチャリにまたがり直し、入口の路地を住宅街に向けて走りはじめた。


「犯人は嫉妬に悶えた。悶えた結果、深夜に葉咲家を訪れた。こんなに苦しむくらいなら、もういっそのこと本人に直接訊いてしまえと、そう思った――けれど、やはりそれはできなかった。想いが強すぎるゆえに、拒絶されたときのことを考えて、怖くなってしまったんだ」

 

 しかし、と区切って、俺は周囲の電信柱を見上げる。

 そこには、奥様方から伝え聞いていた防犯カメラが設置されていた。


「そこに追い打ちをかけるようにして、桜は俺とのツーショット写真を友人に自慢してしまった。それを偶然、近くを通りすがったときに見かけた犯人は、絶望した。やっぱり、そういう関係だったのかと、深い深い絶望に打ちひしがれた――その結果、犯人は今回の事件を思いついた。今度こそ本人に直接訊いてやると、犯罪に手を染めることを決意した」

 

 キキィ、とブレーキをして、ある一軒家の前で停まる。

 そこは、近所の奥様方のツテで知り合っていた、この自治区の会長さんの家だった。

 ここら辺一帯の防犯カメラを管理しているのも、この家の会長さんになる。

 会長として守らなければいけない規約などもあるだろうが、桜が帰ってきていない事情を説明すれば、防犯映像の確認ぐらいはしてくれるはずだ。

 

 俺が、スパイ時代の悪癖で振りまいていた『種』。

 それは、協力者――エージェントとなってくれる人物を作ることだった。

 

 最初は近所の奥様方との交流に始まり、それが広まりに広まって、よその自治区の会長にまでおよんだ。

 種が見事に実ったわけだ。

 

 豪華な門前に立ってインターホンを押したのち、俺は水平思考の締めに入る。


「だが、ひとりでは実行不可能だと感じた犯人は、桜をさらう役目を不良たちに任せることにした。奥様方も噂にするような、有名な不良だ――このことから、おそらく犯人の家庭は裕福なのだろうことが窺える。犯人に不良の仲間がいるとも思えない。不良を従えるとしたら、それは金の力以外にありえないからだ。どれだけの金をバラまいたのかまではわからないが、車を用意させるだけの大金であったことは確実だ」

 

 ――そうして。

 犯人は、桜をさらう計画を実行した。

 

 無論、この仮説はすべて水平思考法による『憶測』だ。推測と呼ぶのもおこがましい。

 だから。

 最後の一手として、協力者エージェントの情報を頼るのだ。

 スパイは、協力者なしでは任務を達成できないから。

 俺の仮説が正しければ、防犯カメラにはワゴン車と、その行き先が映っているはず。

 あとは、その行き先を追いかければいいだけ。

 

 と。門の奥で扉が開き、会長さんが姿を現した。

 俺は、いつも通りの笑顔をたたえて、口を開く。


「ああ、夜分遅くにすみません。実は――」

 


     ■

 


 防波堤に打ちつける静かな波音が、埼宮港一帯を支配していた。

 埼宮港は漁業を行う港ではなく、大型貨物を運び入れるための荷物置き場として機能しており、夜に限らず昼間にもひとの姿はあまりない。その運搬にしても、月に三・四回の周期なのだから、一見、港全体が死んでいるようにも見える。

 

 そんな――ひとが寄りつかない港の一画。

 赤錆びた大型車庫の周囲に、二十名を超える不良たちが集結していた。

 潮風を浴びながら、タバコを吸い、酒を飲み、『雇い主』の用事が終わるのを待ちわびている。

 雇い主の用事が終わった瞬間、さらった女を好きにしてやろう、という魂胆なのだ。

 

 そして。

 肝心の雇い主はというと、現在。


「あ、ああ、あの……さ、『桜姫』、さん……」


「――――」

 

 その大型車庫の中で、黒髪セミロングの美少女――葉咲桜を前に、必死に言葉を紡ごうとしていた。

 しかし。後ろ手に両手首を縛られている桜は、コンクリートの上に座らされたまま、断固として口を開かない。開いてやるものかと、目の前の雇い主をにらみつけている。

 屋根の所々に空いた穴から、青白い月光がスポットライトよろしく差し込む。

 月の光に照らされた雇い主――桜のクラスメイトである鈴木は、不気味な眼光を強めて。


「は、はじめて、お話しますね……」


「――――」


「こ、こんな形で、お話したくはなかったのデス……で、でも、こうせざるを得なかった。あ、あなたが、ぼくをイタズラにかき乱すから……ぼ、ぼくが訊きたいのは、たったひとつのことだけだったのデス……」


「――――」


「あの、クラスに乗り込んできた男とは、いったいどういった関係なのデスか?」


「……は?」

 

 思わず、桜は眉をひそめた。


「それ、鈴木くんに関係なくない?」


「す、『鈴木くん』ッ!? ああ、ああ! あの桜姫の口からぼくの名前が……! あああ! 今日は最高の日なのデスッ!!」


「……も、もういいでしょ。いいから帰して……」


「それで、どういった関係なのデス?」

 

 ぐるん、と血走った眼球を動かし、こちらを見つめてくる鈴木。

 桜は不気味さを覚えながらも、身をよじってできるだけ鈴木から離れつつ。


「別に、ただの住み込み家政夫ってだけよ……」


「家政夫?」


「お母さんが海外出張してるから、その間の家の手伝いをしてもらってるのよ……ほら、もう話したから満足でしょ?」


「しかし。ならどうして、ヒロイン決めのときにあの男の名前を出されて、顔を赤らめたのデスか? まるで、恋する乙女かのごとく」


「そ、それは……」


「……………………そう、デスか」

 

 言い淀む桜の反応ですべてを察したのか。

 鈴木はそれ以上言及せず、代わりに、ポケットからバタフライナイフを取り出した。

 片手で器用に刃を出して、怯む桜に歩み寄る。


「なら、ぼくの恋人になると口にするまで、あなたの身体を痛めつけるのデス。ぼくの恋人になったほうがマシだと、そう思わせるのデス」


「……ッ、いや、来ないで……!」


「ああ、そんなに怖がらなくていいのデス。これは、ぼくたちの披露宴なのデスから――ぼくたちはここで、永遠の愛を誓いあうのデスよッ!!」

 

 叫び、鈴木が「クケケケケケッ!!」と甲高い笑い声をあげながら、桜に駆け寄ってきた。

 片手に握られたバタフライナイフが、青白い月光に反射する。

 桜は恐怖に身を震わせながら、強く目をつむった。


〝――俺は、桜のことを大切に想っている――〟

 

 あんなこと言ってたくせに、どうしてこんなときに隣にいてくれないの?

 どうして、守ってくれないの?


「……た、すけて」

 

 かすれた声で祈りをつぶやいた直後、鈴木が桜の上にまたがってきた。

 鈴木の歪んだ口端から透明のヨダレが垂れ、桜の頬を汚す。

 桜は、その瞳を涙でいっぱいに濡らすと、はち切れんばかりの大声で叫んだ。


「助けてよ、クロウッ!!」


 

「――了解した」


 

 と。

 聴き慣れた、聴きたかった声が響いたかと思うと、ゴゴゴ、と車庫の扉が開いていった。

 驚きに振り向く鈴木。

 桜もまた、目を見開いて声の主を確認する。

 突如として現れた『彼』の背後では、数十名の不良たち全員が、意識を失い倒れていた。


「なッ……だ、誰なのデスかッ!?」

 

 桜から離れ、ナイフを両手で握りしめる鈴木。

 現れた『彼』――野宮クロウは、身にまとったエプロンを誇らしげに見せつけつつ、こう言った。


「葉咲家の家政夫だ」

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