16話 桜に誘われた。
「おんおんせんせん、温泉旅行ー。身体のうちまでポッカポカー。心も癒えるよ温泉旅行ー」
「お、ようやく見えてきたぞ」
スキップ交じりに謎の歌を唄う桜を隣に、俺は視界の先の温泉街を見やる。
温泉旅行当日。午前十一時半。
叶画市の隣の他県にやってきた俺と桜は、電車とバスを乗り継ぎ、山間にひっそりと広がる温泉街を訪れていた。
元々は山肌に作られた町なのだろうか。周りを緑豊かな森林に囲まれたこの温泉街は、どの道も傾斜が激しく、軒を連ねる旅館や土産屋の土台も水平を保つための造りがなされていた。温泉街を分断するように流れている川も、この傾斜のせいで雨上がりかのごとき速さで流れている。
「ふぅ、ここ歩くだけで筋トレになりそう」
「だな――桜。川の近くで道が湿っているから、転ばないように注意しろよ」
「わかってるよ……あ、ううん。やっぱわかんないかも」
「どういう意味だ、それ……」
「わかんないから、ちゃんとエスコートして?」
そう言って、はにかみながら左手を差し出してくる桜。
俺は呆れたようにため息をひとつ。しっかりとその細い左手を握り、歩みを進めたのだった。
「えへへ、紳士ですねー。クロウくんは」
「そういう桜は甘えん坊だ」
「クロウの前でだけだから、いいんですよーだ」
子供っぽくボヤいて、桜は握った手を、にぎにぎ、と感触をたしかめるように動かしてきた。
家を出たときからここまで、桜はずっとこんな調子だった。
すべてを俺に委ねているというか、任せているというか。
姉妹の目がなくなったことで、完全なる甘えん坊になってしまったようだった。
さておき。
「この道をあがっていけば黒田旅館に着くが、チェックインまではまだすこし時間がある。どうせなら土産屋にでも寄っていくか?」
「お、いいですねー。さっそく行きやしょうぜ、旦那!」
「どんなキャラなんだ、それは……」
山賊の子分のような桜を引き連れつつ、とりあえず近場の土産屋に入ってみる。
陳列されている商品は、パっと見た限りでは食べ物が多いように感じた。温泉卵、温泉まんじゅう、この土地自慢のおせんべえ……などなど、その種類は豊富だ。
今回は秋樹のときのように秘密にしているわけではないから、いくらでも買って帰ることができるな。
「食べ物は、買うなら帰りのほうがいいよね。卵とかは賞味期限が怖いし」
「そうだな。日持ちするものなら、いま買っていってもいいんだがな……では、こっちの雑貨などはどうだ?」
「湯呑み、お茶碗、お箸……温泉街のお土産、って感じだねー。『和』って感じ」
「『和』じゃないものもあるぞ? ほら」
言いながら、俺は謎のキャラクターを模したであろうキーホルダーを手に取った。
「すごくないか? これ。猫なのか狸なのか、はたまたゴリラなのかさっぱりわからん。ご当地キャラなんだろうか? ともあれ、こんなキャラのキーホルダーを買う奴なんて――」
「かわいいッ!」
「……え?」
信じられない感想を口にした桜は、俺の手からキーホルダーを取って、まじまじと眺めはじめる。
「いいじゃん、これ最高にかわいいわよ! センスあるわね、クロウ!」
「……いや、それかわいいか?」
「かわいいじゃん。ブサかわで」
「……ああ」
秋樹も遊園地の土産屋で同じようなことを言っていたな。さすがは姉妹ということか。
もしかしたら、夏海の部屋にあるぬいぐるみも、よく見たらブサかわなものばかりなのかもしれない。
「ねえねえ。このキーホルダー、色違いで一緒の買わない?」
「……俺も買うのか? この謎の生物キーホルダーを?」
「謎とか言わないで! まあ、たしかに生態系は謎だけど……でも、かわいいからいいの! いいから一緒の買おうよ! ねえねえ!」
「わ、わかった。わかったから服を引っ張るな……じゃあ、俺は青でいいか?」
「うん! それじゃあ、私はピンクにするー……えへへ、ペアルックだね」
「こういうアクセサリーをそろえることも、ペアルックと言うのか?」
「たしかそのはず……って、細かいことはいいのよ! とにかくこれで決まりねー」
レジへレッツゴー! と小走りで商品を持っていく桜。
桜はともかく、俺はこのキーホルダーをどのように使用していけばいいんだ……。
これからの用途に悩みつつ、俺も桜が待つレジへと向かったのだった。
□
「本日は黒田旅館へ、ようこそおいでくださいました。お客様の案内を務めさせていただく、
黒田旅館にチェックインを果たしたのち。
俺たちの前に現れたのは、黒髪ロングヘアーで前髪パッツン、綺麗な朱色の和服を着た、ひどく小さな女の子だった。
まるで日本人形のような子だ。小学生みたいだな。
いや、それにしては言葉遣いがしっかりしている気も……小学校高学年くらいか? 日本人はみんな若く見えるから、正しい年齢がわかりづらい。
「それでは、まずはお部屋にご案内いたします。連いてきてほしいのです」
「ああ、よろしく頼む」
少女、黒田ミツミの背中を追い、俺たちが泊まることになる部屋へ向かう。
その中途。仲居少女の後ろ姿を見つめながら、俺の隣を歩く桜が耳打ちしてきた。
「ねえ、クロウ。あの子かわいくない? 髪とかすごい綺麗」
「あ、一応本当にかわいいものの判別もできるんだな……」
「本当にかわいいものって……まさかクロウ、小っちゃい子が好きとかそういう……」
「やめろ! 俺にそんな趣味はない!」
「えー、ほんとかなー? ……まあでも、年下好きっていう意味では、むしろそっちであってくれたほうがありがたいというか……」
「――ここになります」
桜がなにやら恥ずかしそうにつぶやいているうちに、いつの間にか部屋前に到着していた。
少女の案内で中に入り、荷物を置く。
テレビの旅番組で見たことのあるような、一般的な畳敷きの部屋だった。ブラウン管テレビの置いてある和室と、料理を食べる座敷とで分かれている。窓の外には森林と渓流が見え、視覚的に俺たちの心を癒してくれる。
「いい眺めだ」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
俺のつぶやきに反応し、行儀よく頭を下げると、仲居少女は部屋の中の備品や、このあとの夕食の予定などを説明しはじめた。
「……以上となりますが、なにかご質問はあるのです?」
「いや、問題ない。ありがとう」
「それでは、ごゆっくりなのです」
深々とお辞儀をして、慎ましやかに部屋を後にする仲居さん。
結局、彼女が何歳なのかはわからずじまいだったが……まあ、何歳だろうと言動が立派であることにちがいはない。
きっと両親の育て方が素晴らしかったのだろう、と少女の対応を思い返しつつ感心していると、桜が浴衣の入った棚を開きつつ。
「ね、ねえ、クロウ!」
と、なぜか勇気を振り絞るようにして声をかけてきた。
「どうした? チェックインも済ませたことだし、土産屋巡りでもするか?」
「う、ううん。ここに来るまでにちょっと疲れちゃったから、それは明日の帰りでいいや……そ、それより、ちょっと一緒に行きたいところがあるんだけど」
「行きたいところ?」
「うん……さっき、ここに案内されてる途中で見かけたんだ。よければ、行ってみない?」
取り出した浴衣を胸に抱きつつ、上目遣いに訊ねてくる桜。
現在の時刻は、午後一時手前。
さっきの仲居少女の説明によると夕飯は午後五時半ということだから、時間には余裕がありすぎるくらいだ。
桜の暇つぶしにも、充分付き合ってやれるだろう。
「ああ、かまわないぞ。それじゃあ行ってみようか」
「やった! そ、それじゃあ……はい、これ」
「? なぜ男用の浴衣と、バスタオルを渡す?」
「い、いいから……行こ?」
強引にそのふたつを持たされ、桜に背中を押されながら部屋の外へ。
絨毯敷きの廊下を、玄関方面とは逆方向に向かって歩いていく。
「桜。こっちになにがあるんだ?」
「いいから……あとちょっとのはず」
「あとちょっと?」
「あ、見えてきた」
桜の言葉に、俺は視線を前方に戻す。
そこには、紫色の暖簾がかけられた入り口が、ぽっかりと口を開けて俺たちを待っていた。
紫暖簾には、達筆な文字でこう印字されている。
『混浴』――と。
「……さ、桜? もしかしなくても、アレって……」
「い、いいから……ね?」
指を絡めるようにして手を繋ぎ、ぐい、と暖簾に向かって引っ張りながら、桜は言う。
その頬は、仲居の着ている和服よりも朱色に染まっていた。
「一緒に温泉、入ろ?」
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