14話 秋樹と遊園地に行った。

 そして、翌日。

 まぶしい陽射しが降り注ぐ、午前十時。


「さあ、やってきたぞ! 秋樹」


「や、やってきちゃいましたね」

 

 驚くほどの快晴の下。俺と秋樹は叶画市の隣にある、なんの変哲もない普通の遊園地にやってきていた。

 叶画高校が休日であることを利用し、キャサリンのアドバイスを参考にした形ではあるが、俺なりの狙いもしかとあった。

 どこか見覚えのあるマスコットたちが園内を駆け回る中。一日フリーパスを購入し、中に足を踏み入れる。

 

 ちなみに。

 今日の俺は、夏海と共に購入した新しい服を着ていた。

 うん、買ったときは良さがあまりわからなかったが、なかなか格好いい服装のような気がしてきた。

 対して秋樹は、清楚と呼ぶにふさわしい大人しめの恰好をしていた。チェックのロングスカートに白のセーターと、その中身と同じ文学少女の装いで固めてきている。

 

 もちろん。夏海と桜に怪しまれぬよう、ふたりして時間をズラして家を出ていた。俺は隣町のホームセンターまで、秋樹は図書館に出かけるという名目でだ。

 閑話休題。

 園内の地図を片手に、俺は隣を歩く秋樹に話しかける。


「秋樹。本日行う作戦のおさらいをしておこう。題して、『友達五人できるかな作戦』だ」


「絶妙にリアルな数字が生々しいですが……はい、よろしくお願いします」


「秋樹が友達を作れない原因は、同級生を前にすると、緊張してうまく喋れなくなることにある」


「はい、仰る通りです……」


「つまり、滅多なことでは緊張しない『強靭な精神』さえ養えば、問題は万事解決というわけだ」


「き、強靭な精神?」


「そうだ。そのために、俺を利用してもらう!」

 

 言って、ビシッ、とサムズアップしてみせる俺。


「俺は秋樹との付き合いも浅い、ましてや年上の異性だ。これほど話しづらい相手はそうそういないだろう? 事実、秋樹は俺に対して、まだ敬語を使っているしな」


「まあ、そうですね……」


「そんな俺と対等に、『タメ口』を使えるほどの仲にまで進むことができれば、同級生と話すことなど赤子の手をひねるよりも簡単になっているはずだ」


「な、なるほど。より緊張する相手と接し、あまつさえタメ口という最高難度の距離感短縮を実施することで、強制的に緊張を克服……ひいては、強靭な精神を造り上げるわけですね?」


「うむ。理解が早くて助かる」


「たしかに、クロウさんとは話す機会も増えましたけど、まだ緊張してしまうことが多いように感じます。昨晩も、一緒にお出かけするって考えただけで胸がドキドキしてましたし。今日だって、電車の中でずっとドキドキしてました……じ、実は、いまも若干ドキドキが続いている状態です」


「緊張している証拠だな……俺も秋樹とは仲良くなってきたとは思っているが、どこか心の壁のようなものを一枚隔てているような感覚がある。あはは。本当は、秋樹ともっと仲良くなりたいのにな」


「……ッ、く、クロウさん!」


「どうした!?」


「いまわたし、クロウさんの笑顔を見ていたらなぜだかドキドキが早まりました! お、おまけに顔まで熱く……!」


「クッ……それだけ俺に緊張している、ということか! だが、これは好都合だ! そんな俺相手にタメ口を使うことができれば、同級生への声かけなど児戯じぎに等しいものとなる!」


「なるほど、ピンチはチャンスというわけですね! で、でも、クロウさん相手にタメ口を使うだなんて、わたしにできるでしょうか……?」


「安心しろ。策はある」


「さすがはクロウさんです! それで、その策とは?」


「なに、いたってシンプルな策だ。今日一日秋樹をエスコートしつつ、友達のように『馴れ馴れしく』話しかけまくる。そうすることで、秋樹のタメ口を引き出すという策だ――いままでも俺は秋樹に対してタメ口だったんだが、今回はより親密に、同年代レベルの馴れ馴れしさで話しかけたいと思う」


「馴れ馴れしく、ですか……」


「秋樹から話しかけてくるのを待っていたら、今日一日無言で終わってしまうからな。こちらからどんどんタメ口で話しかけて、『あ、もうこの家政夫に敬語使わなくていいや』と思わせることで、秋樹の口調をタメ口にすり替える寸法だ」


「さらっとひどいことを言われた気がしますが……たしかに、相手の口調にというその策は、意外と効果的なような気もします。では、そういうことでしたら、クロウさんにすべてお任せしても?」


「当然だ。では、さっそく園内を巡るぞ!」


「はい!」


「……えっと、その前に、どこに行こうか?」

 

 意気揚々と歩き出した足を情けなくも止め、地図を広げてアトラクションを確認する。

 海外の社交界や高級レストランなら忍び込んだことがあるのだが、こうした一般の遊園地に来るのは初めてだった。


「秋樹。これはどの乗り物から乗ればいいんだ?」


「ふふ。エスコートしてくれるんじゃなかったんですか?」


「し、仕方ないだろ。遊園地に来るのは初めてなんだ」


「まあ、わたしもそんなに来たことがあるわけではないので、偉そうに教えるようなことはできないんですが――それじゃあ、まずは定番のジェットコースターに行ってみましょうか。一発目ですし、激しい乗り物がいいんじゃないかと」


「了解した。地図の上にある……ここ、このデッカい山のところだよな?」


「そうですそうです」

 

 そんな風に、一枚の地図を一緒に覗きながら話し合いつつ、俺たちの『友達五人できるかな作戦』は開始されたのだった。

 



 

 叶画高校が休みというだけであって、世間はごく当たり前に平日のはずなのだが、園内には家族連れや友達同士、カップルであろう客たちが散見された。

 ただ。混み合っているというほどではなかった。園内を見渡したとき、目に入るのは客よりもだだっ広い敷地のほうだし、人気アトラクションと銘打たれている件のジェットコースターも、十五分ほど待つだけで乗ることができた。

 スタッフに誘導されて、最前列に秋樹と隣り合って座る。

 すると。安全レバーが自動で降りてきて、カタカタカタ、とジェットコースターが動き始めた。


「登っている……登っているぞ、秋樹!」


「の、登ってますね……思った以上に高いです」


「怖いか? 怖いなら手を握るぞ? ほら」


「え……、あ」

 

 座席の横に右手を伸ばし、秋樹の左手をぎゅっ、と握る。

 やはり怖がっているのか。その手はすこし熱で汗ばんでいるようだった。


「どうだ、これで怖くないだろ?」


「……こ、これはこれで怖いです……変に勘違いしちゃいそうで」


「え、なに? すまない。高度が上がったことで、風が強くなってき――てえええぇぇッ!?」

 

 直後。急転直下するジェットコースター。

 ほかの客の楽しそうな悲鳴と風切り音が、はじめての衝撃にひるむ俺の鼓膜を揺らした。

 だが。怯んでばかりもいられない。

 これは、秋樹の友達作りのための訓練でもあるのだから!

 縦横無尽に高速でコースターが駆け抜ける中。響く轟音に負けないぐらいの大声で、俺は秋樹に話しかける。


「秋樹! 聞こえるかッ!?」


「は、はい! 聞こえます! どうしました!?」


「『今日、学校の帰りにマック行こうよ!』」


「このタイミングで馴れ馴れしく話しかけますッ!? 学校休みどころか、マック近場にないんですけど!?」


「『それか、カラオケでオールしようよ!』」


「午前からッ!? 耐久カラオケにもほどがありますよ! 何十時間居座る気なんですか!」


「おかしいな、日本の友達とはこう接するものだとネットで見たんだ――が、あああッ!!」

 

 一層強烈なGが押し寄せ、上半身が背後に持ってかれそうになる。

 

 その後。

 怒涛の急カーブからの垂直落下を体験した俺は、友達のように馴れ馴れしく話しかけることができず、ヘロヘロになりながらジェットコースターの山を離れたのだった。


「クッ、スポーツカーとのチェイスよりも過酷だった。恐ろしい乗り物だ、ジェットコースター……」


「でも、楽しかったですね。ふふ、あんなに叫んだの久しぶり」


「きゃーきゃー言っていたな、そういえば……というか、秋樹」


「はい?」


「髪、すこし乱れているぞ」

 

 言って、秋樹の前髪と耳元の髪をかきわけてやる。

 背中の三つ編みのほうは……うん、大丈夫そうだ。


「これでよし、と――どうした? 秋樹。なんか顔が赤いが」


「な、なんでもないです! さ、さて、次はなにに乗りますか?」

 

 あたふたと地図を取り出し、次のアトラクションを探し始める秋樹。

 ふっ、今日は遊びに来たわけではないというのに。まったく困った奴だ。

 だがまあ。遊びの中でリラックスしてもらったほうが、こちらもやりやすいというものか。


「では、次は激しくないコレにしよう」


「こ、コレは……」

 

 目を見開く秋樹を見つつ、俺はうなずきと共に答える。


「そう――メリーゴーランドだッ!」

 



 

 メリーゴーランド乗り場に向かうと、無駄に装飾された奇抜な色の馬たちが円状のコースをひたすらに回り続けていた。


「……まるで社会の縮図だな。俺たちに止まることは許されないんだ」


「なに重苦しいこと言ってるんですか……いいから乗りましょう?」


「了解だ」

 

 待ち時間もなく、すんなりとメリーゴーランドの内部に踏み入る。

 馬の後ろに四人乗りの馬車が走っていたが、これに乗ってはつまらない。

 俺は近くを走ってきた馬に狙いをつけ、秋樹の手を握りしめた。


「ふひゃッ!? な……き、急になんですか!?」


「あれに乗るぞ。一番奇抜で気色悪い色だから、羞恥心も相まって秋樹の精神も鍛えられやすいだろう。連いてこい!」


「理由が嫌すぎますけど……って、わ、わかりました。わかりましたから、そんなに引っ張らないでください!」

 

 困惑する秋樹を牽引し、奇抜な馬の下へ。

 そのまま秋樹の乗馬をサポートし、ストン、と鞍の上に綺麗に乗せたところで。


「よいしょ、っと」

 

 足場に片足を乗せて、俺も秋樹の後ろに一緒に乗り込んだ。

 実際の乗馬でも、初心者をこうしてサポートすることがあるから、見栄えとしてはそんなにおかしなものにはなっていないはずだ。


「え……なッ、く、クロウさんも一緒に乗るんですか!?」


「当たり前だ。そうでなければ馴れ馴れしく話しかけられないだろう。ほら、落ちないようにしっかりと固定するぞ」


「ひゃ、ひぃ、ひゅ、ひぇ、ひょ……ッ!?」

 

 支えるようにして腰に両手を回すと、秋樹がおかしな声を発しはじめた。

 ははーん。

 さては、メリーゴーランドに乗れるのがうれしすぎて、感情が爆発しているんだな?

 だから、こんなに耳も真っ赤になっているのか。

 うんうん、と満足げにうなずいたあと、俺は秋樹の耳後ろから吐息まじりにそっとささやく。


「『一緒にプリクラ撮ろうよ』」


「ッ~~、あ、ああ、あのッ!」


「『今日、家に泊まっていい?』」


「……こ、これ以上は心臓が持ちませんッ!!」

 

 直後。秋樹はそんな叫び声と共に馬から飛び降りると、並走していた馬車の中に逃げ込んでしまった。

 馬車の隅で両膝を抱え、時折ささやかれた耳元をイジりながら、「フー、フー!」と威嚇中の猫のように赤くなった顔でこちらをにらみつけてくる秋樹。

 ……すこし馴れ馴れしくしすぎたか?

 いや、でもこうでもしないと作戦が成功しないしな。


「おい、秋樹。逃げたら精神を鍛えられないだろう。こっちに戻ってこい」


「い、嫌です! 今日はずっとここに引きこもります!」


「メリーゴーランドに引きこもる奴があるか……ハァ、わかった。それじゃあ別のアトラクションに行こう」

 

 仕方なく俺も馬を降りると、秋樹の手を握って強引に立たせ、メリーゴーランドを後にした。


「だ、だから……そういう自然な接触が、勘違いの元に……!」

 

 小声でぶつぶつと秋樹がボヤいていたが、俺は気にせず秋樹の手を引いて、園内を散策するのだった。



 

 

 続いてコーヒーカップ、お化け屋敷と、遊園地の定番と呼べるアトラクションを漫喫した。

 コーヒーカップでは肩がぶつかり合うほど密着し、一緒に手を握りあってハンドルを回しながら、馴れ馴れしく話しかけ。

 お化け屋敷では、はぐれないようしっかりと手を繋ぎ、お化け役のスタッフが飛び出してきたらぐいっ、と秋樹を自分の腕の中に引き寄せ、耳元で馴れ馴れしく話しかけた。

 アトラクションを出るたびに秋樹は、長距離走を全力疾走したあとかのように呼吸を荒げていた。

 毎日読書続きで運動不足になり、身体がなまっていたのかもしれないな。

 

 そんな、息も絶え絶えといった風の秋樹を連れて歩きながら、ふと噴水前の時計塔を見やる。

 気づくと、時刻は昼の十二時半を超えていた。


「そろそろ昼食の時間か。秋樹、なにか食べたいものはあるか?」


「い、いまは大丈夫です……ど、ドキドキが収まらないので……」

 

 そう答え、秋樹は胸元を押さえると、疲弊しきった表情でため息をついた。

 ふむ。運動不足もあるだろうが、遊園地が楽しすぎて、すこしはしゃぎすぎたのかもしれないな。


「では、腹が減るまで土産屋でも見て回るか? 桜と夏海にバレてしまうから、なにかを買って帰ることができないが」


「そうですね、そうしましょう……あ、手は繋がなくて結構ですのでッ!」

 

 近寄る俺をビシッ、と片手で制して、自身の手を隠す秋樹。

 疲れているようだから手を引いて歩いてやろうと思ったのだが、案外元気なようだ。


「そうか? それじゃあ、行こうか」


「は、はい。行きましょう」

 

 俺は差し出した手を引っ込めて、目の前に見えている土産屋に向かって歩を進めた。

 

 程なくして。

 土産屋にたどり着いた俺たちは、店内の商品を眺めて回った。

 マスコットのカップやぬいぐるみ、缶に入ったお菓子など、様々なグッズが販売されている。ほほう、ペンケースやスマホケースなんかも売っているのか。


「学生でも普通に使えそうなグッズが売ってるんだな」


「ですね。こうした状況でなければ、普通に買って帰りたいぐらいです。学生とは関係ないですけど、この犬のぬいぐるみとかかわいいですよ、ほら」


「んー、なんかブサイクじゃないか? このぬいぐるみ。鼻がつぶれちゃってるぞ?」


「そこがかわいいんじゃないですか。ブサかわってやつですよ。クロウさんはわかってませんね」


「ブサかわ……むぅ。女子高生のかわいい基準はわからん……というか」

 

 犬のぬいぐるみを棚に戻しつつ、俺は続けた。


「失礼かもしれないが、秋樹もこういったグッズを見てかわいいとか思うんだな。なんというか、もっとシックで落ち着いたデザインのものが好きなイメージがあったよ」


「家具の色は寒色系で?」


「そうそう。部屋の真ん中には、オフィスにあるようなガラステーブルが置いてある、みたいな」


「ふふ、定番のイメージですね……読書ばっかしてると、やっぱそう思われちゃいますよね。親友にも、同じようなことを言われた覚えがあります。事実、ガラステーブルはありませんが、部屋にある家具は寒色系が多いですしね。夏姉が持ってるような、かわいいぬいぐるみとかも置いてありませんし」


「ふむ。親友にも言われるとなると相当だな……そうだ」


「はい?」


「なら、せめて言動だけでも、かわいくしてみるのはどうだ?」


「言動を、かわいく?」


「そんな冷たいイメージで見られるのも、すべては無言で読書をして、他人にバリアを張っているからだろう? そのバリアを内側からぶち壊すのさ――想像してみろ、秋樹。笑顔でニコニコしている人間と、無言で口を引き結んでいる人間。どちらのほうが話しかけやすい?」


「……笑顔の人間、ですね」


「だろ? よし、そうと決まれば実行だ。まあ、ぬいぐるみを買って帰ることはできないから、この場限りの予行練習になるが……お、これとかいいな」

 

 辺りの棚を散策し、俺はその土産物を発見する。

 この遊園地のマスコットキャラの猫耳だ。

 俺はそれを手に取ると、秋樹の頭にスポッ、とハメてみた。


「え、なッ……」


「うん、見た目はこれでかわいくなった。まあ、外見だけで言えば最初からかわいいんだが」


「かわッ……ふえッ!?」


「そこからさらに、言動をかわいくするんだ! ほら、いまの秋樹は猫だぞ? 猫はどうやって鳴く? ほら!」

 

 ほいほい、と猫を誘うように指をゆらすと、秋樹はプルプルと羞恥に身体を震わせる。

 のち。観念したかのように片手を丸めて、ヤケクソ気味にこう鳴いた。


「に、にゃーん?」


「よし! いいぞ、いい猫っぷりだ!」


「に、にゃにゃーん!」


「ああ、そうだ! もっと猫になりきれ! 世界一かわいいぞ!」


「に、にゃにゃにゃーんッ!」


「猫だ! ここに三つ編みの猫がいるッ! 最高だ! これならクラスメイトたちもこぞってお前と友達に――」


「――失礼ですが、お客さま?」

 

 俺の肩にポン、と置かれる女性店員の手。

 表情こそ笑っているが、目が笑っていなかった。

 白熱したせいで、すこしうるさくしすぎてしまったらしい。

 

 店員さんにしっかりと謝罪すると、俺と秋樹は逃げるように土産屋を後にした。

 秋樹は、申し訳なさと恥ずかしさで、プシュー、と頭から蒸気をくゆらせていた。


「す、すまん。秋樹。ちょっとやりすぎた」


「や、やりすぎてるのは最初からですよッ!!」

 

 顔を真っ赤にしながら、擬音にしてプンスカ! と怒鳴り、近場のクレープに向かっていく秋樹。どうやらお腹が空いてきたようだ。

 ……にしても、最初からやりすぎとは、いったいどういう意味だ?

 首をかしげながらも、うるさくしてしまったことを胸中で反省しつつ、そんな秋樹の背中を追ったのだった。

 


    □


 

 間違いを犯しつつも、俺たちの遊園地巡りは続いていく。

 途中、馴れ馴れしく話しかけることを忘れてしまう場面が何度もあった。秋樹同様、俺もアトラクションに夢中になってしまっていたのだ。

 今回は友達作りのための精神強化という名目で来たけれど、次回は普通に遊びに来たい。

 そんなことを思い始めた頃には、空に浮かぶ太陽は綺麗なオレンジ色に様変わりしていた。

 すこし強く吹き始めた寒風に身を震わせながら、俺は秋樹に話しかける。


「もう夕方か。あっという間だったな」


「ですね……それじゃあ、そろそろ帰りますか?」


「まだすこしだけ時間もあるし、最後にひとつだけ乗って帰ろう。遊園地の終わりには、これに乗るべきだとガイドブックにも書いてあった」


「ああ、アレですね」

 

 そう言って、秋樹はついと視線を上にあげる。

 そこには、大きく丸い観覧車が鎮座していた。

 



 

「……で、最後なのにこうなるんですね」


「当たり前だ。友達作りのためだからな」

 

 乗り込んだ観覧車のゴンドラ内に、俺の声と秋樹の呆れたため息が反響する。

 ゴンドラの中は向かい合うようにして座席が設けられているのだが、俺はあえて対面に座らず、秋樹の真隣に座っていた。

 これももちろん、馴れ馴れしく話しかけるためである。


「というか、秋樹は一度もタメ口にならないな。なぜだ?」

 

 態度のほうはだいぶ軟化してきているのは感じるけれど、口調だけはどうしても固いままだ。


「なぜだ、と言われましても……クロウさんは年上の方ですし」


「その垣根を越えてタメ口を使うというのが、今回の作戦の趣旨だろうが! よし、わかった。なら、いいことを思いついたぞ」


「嫌な予感しかしませんけど……なんです?」

 

 ニヤリ、と口をゆがめて、俺は秋樹に向き直る。


「俺が今日までに言ってきた馴れ馴れしい友達台詞を、秋樹が言ってみるんだ。自然にタメ口になるのを待っていたからダメだったんだ。今度は秋樹自ら、タメ口を駆使するんだ!」


「……それ、演劇部員の台本読みと変わらない気が。わざとタメ口になって、精神強化に繋がります?」


「物は試しだ! さあ、いつでも来い!」

 

 言い放ち、俺は両腕を束ねて、秋樹の馴れ馴れしい友達台詞待ちの姿勢に入った。

 秋樹は「ハァ……わかりましたよ」とため息まじりにつぶやき、数時間前の俺の台詞を思い返しながら口を開く。


「えっと、たしか……『今日、学校の帰りにマック行こうよ』」


「了解した!」


「元気な即答だ……『それか、カラオケでオールしようよ』」


「それもまた良し!」


「『一緒にプリクラ撮ろうよ』」


「カラオケの次はプリクラだと? この欲張りさんめ!」


「『今日、家に泊まっていい?』」


「かまわんぞ? 俺の部屋は和室だが、それでもよければ」


「変なところに気を遣うんですね――、きゃッ!」


「うおッ!?」

 

 と。その瞬間。

 ビュウ! と強い突風が吹いたかと思うと、ゴンドラが大きく揺れはじめた。

 グワングワン、と、まるで揺りカゴのように揺れるゴンドラ。

 中にいた俺たちはその揺れに翻弄され、座席の下に転がり落ちるようにして体勢を崩すことになる。

 結果。

 足場に仰向けに倒れた俺の上に、秋樹が覆いかぶさるようにして倒れこみ。

 


 秋樹のやわらかな唇が、俺の唇に重なってしまった。

 


「んん……ッ!?」

 

 驚愕する俺。鼻息がかかる至近距離で、秋樹も同様に目を見開いている。

 秋樹の肩を両手で押しやり、俺はすぐさま唇を離した。


「す、すまない! ま、まさかゴンドラが揺れるとは思わなくて……!」


「……台詞」


「え?」


「馴れ馴れしい台詞の続き、言いますね?」

 

 なぜか俺の上からどこうとはせず、秋樹は唇に手を当てたまま、トロンとした瞳と恍然とした表情で続ける。

 俺の上にまたがり、頬を上気させるその様は、まるで発情したメス猫を想起させた。


「『好きになっても、いい?』」


「……ん? い、いや、俺はそんな友達台詞は言っていないはずだが……」


「……鈍感」

 

 秋樹が拗ねるようにつぶやいた直後。ゴンドラ内のスピーカーからスタッフの音声が流れだした。

 怖い思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。運行に問題はありません。

 そういった報告を聞きながら、俺は上にまたがった秋樹をどかし、座席に座らせた。

 ただし俺は、秋樹の対面に座ることにする。

 なぜだかわからないが、秋樹の瞳の奥に、己の貞操の危険を察知したのだ。


「よかったな、秋樹。大事には至らなかったそうだぞ? さすが、日本はこうした機械の整備も行き届いているようだな!」


「……そうですね」


「な、なぜ怒っているんだ……?」


「別に怒ってないです」


「では、なぜフグのように頬がふくらんでいるんだ?」


「これは……なんか、そうしたいからそうしてるだけですよ」

 

 べーだ、と舌を出して、ぷいっ、と顔をそらしてしまう秋樹。

 どうして機嫌を悪くさせてしまったのか、俺にはどうしてもわからなかったが……ともあれ。

 

 こうして、成功したのか失敗したのかもわからぬまま、長い長い『友達五人できるかな作戦』は幕を閉じていったのだった。

 


     □

 


 後日談的なやつ。

 とある休日。今日も今日とて家に掃除機をかけていると、書斎の扉がまたも開いていることに気づいた。

 掃除機を止めて中に入ると、そこにはやはり秋樹の姿が。

 またしても読み終わった直後だったのだろう。俺の存在に気づいた秋樹が顔をあげ、膝元の本からこちらに視線を移す。


「クロウさん。掃除機を持ってるということは、いまはお掃除中ですか?」


「ああ、家中にコイツをかけてたところだ。だが、すこしだけ休憩しようと思ってな」


「そうだったんですね。掃除機の音、まったく気づきませんでした」


「相変わらずの集中力だな――そういえば」

 

 椅子に座りながら、俺は秋樹に問う。


「友達作りのほうはどうだ? 丸一日かけて俺と精神強化に励んだんだ。きっと友達も、五人どころか二十人ぐらいはできちゃってるんじゃないか?」


「だから、どうして微妙に数字が生々しいんですか……まあ、そんなにはできてませんけど」

 

 本の表紙をカリカリ、と爪先でイジりながら、気恥ずかしそうに秋樹は言った。


「本好きの友達なら、ひとりだけ……移動教室のときに勇気を出して話しかけてみたら、『私も葉咲さんとお話してみたかった』って言って、持ってる小説を紹介してくれまして……」


「おお……おお! やったじゃないかッ! ひとりだけでもすごいことだぞ!」


「は、はい。ありがとうございます」

 

 照れ笑いと共に頭をさげる秋樹を横目に、俺は思いを馳せるように両腕を組み。


「そうか、俺の努力は無駄じゃなかったんだ……うむ、感慨深いものがあるな」


「まあ、本当にあの作戦が役に立ったのかは、怪しいものですけどね」


「……秋樹、なんか前より辛辣になってないか?」


「ふふ。気のせいですよ、気のせい」


「それこそ怪しいものだが……ん?」

 

 と。不意に視界の端に映った、秋樹が手にしている小説のタイトルを目にして、俺は思わず訝しむ。


「秋樹。その本、タイトルからして推理小説じゃないよな?」


「はい。これは……恋愛小説ですね」


「恋愛小説。これまた、随分と大胆なジャンル変更だな」


「まあ、推理小説が好きなことには変わりないんですけど……ただ、こっちのことも、ちゃんと勉強しておこうかと思いまして」

 

 勘違いで終わらせたくないですから。

 そうつぶやいて、本で口元を隠すと、秋樹は上目遣いにこちらを見つめてきた。

 なにかを期待するような、待っているかのような、そんな潤んだ眼差しだ。


「そ、そうか。勉強熱心なのはいいことだ……それじゃあ、俺はそろそろ掃除に戻るよ」


「はい。お掃除がんばってください」

 

 口早に言い置いて、俺はそそくさと書斎を後にする。

 

 恋愛小説でなにを勉強しようとしているのか?

 その理由を問いただしてはいけないと、俺の中の危険信号が激しく点滅していた。

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