13話 秋樹の友達作りを手伝うことになった。

 秋晴れの帰路を夏海と共に、まるで本物の恋人同士のように手を繋ぎながら帰宅すると。


「あ」


「あ」

 

 家の前で、いままさに玄関を開けようとしている、桜と秋樹に出くわした。

 ふたりの視線は、スーツの上着……俺の手と夏海の手が突っ込まれているポケットに集中している。

 時刻は午後一時前。

 まだ学校の時間のはずなのに、どうしてふたりがここに?

 と。唖然とする桜と秋樹を見て、夏海は慌ててポケットから手を引き抜くと、どこか白々しい口調で熱弁し始めた。


「い、いやあ、ありがとなクロウ! あたし本当に冷え性でさ、おかげで手が温まったわ! 大学の帰りに偶然出会えて助かったよ! うんうん!」


「……ふむ」

 

 なるほど。別に手を握ろうとして握っていたわけではない、一緒に帰ってきたのもたまたまだ、とアピールしているのか。

 たしかに、一緒にいる理由を説明しようとすれば、必然的に大学での作戦を……ひいては、キスのことをも話さなくてはいけなくなる。

 ここは、誤魔化しておくのがベストな選択か。


「なに、お安い御用だ。またいつでも言ってくれ」


「お、おう、そのときはよろしく頼むぜ! そいじゃあ、寒いし家に入ろうか!」


「ああ、そうだな」

 

 俺の返事を聞くよりも早く、夏海はギクシャクとした足取りで玄関に向かい、桜と秋樹を横目に家の中に入っていった。

 数秒遅れて、なにかイケないものでも見てしまった、とばかりに赤面した秋樹が、なぜか俺にお辞儀をして中に逃げ込んでいく。なんのお辞儀?

 そのあとに続くようにして、俺も玄関の扉を抜けようとすると。


「……ねえ、クロウ」

 

 バタン、と目の前で扉が閉められた。

 真横には、すこし怒った顔でジっとこちらを見つめてくる桜の姿が。

 俺の進行方向を遮るように、扉を閉めた手は伸ばしたまま、桜は静かに問いかけてくる。


「さっき、夏ねえと手繋いでたわよね?」


「……いや、あれは俺のポケットの中で、手を温めてやっていただけだが」


「温めるために、手を繋いでたんでしょ?」

 

 ずい、とこちらに詰め寄ってくる桜。

 その気迫に思わず後ずさりしそうになるが、俺はギリギリのところでなんとか堪えつつ。


「桜とも、スーパーで手を繋いだじゃないか。それと同じことだ。そこに深い意味はない。なぜそこまで気にするんだ?」


「――がよかったの」


「? すまない、いまなんと?」


「私だけがよかったのッ!」

 

 突如。思いの丈を吐き出すかのように叫び、桜はスーツの袖を引っ張ってきた。

 顔先三十センチ程度の至近距離から俺を見上げつつ、桜は涙目で続ける。


「一緒に帰るのも手を繋ぐのも、全部私だけがよかったの! ほかの女性ひととしちゃヤダ! た、大切に想ってるって言ってくれたのに、なんでナツ姉と手繋いじゃうのッ!?」


「い、いや、だから手を温めてただけで……」


「ナツ姉、家ではズボラだけど、ああしてお化粧したらすごい綺麗になるんだから、私なんかじゃあ敵わなくなっちゃうじゃん! おまけに、クロウとナツ姉は同い年で話も合うだろうし……クロウと私だけの『特別』がないと、どんどん差が広がっちゃうよ! 特別がほしい! 特別特別ー! うがー!」


「わ、わかった、わかったから……すこし落ち着いてくれ。な?」

 

 なだめる俺を前に、ううぅ……、とさみしがりな犬のように唸って、潤んだ瞳を向けてくる桜。

 この言い分を聞くに、夏海を敵視しているわけではなく、アドバンテージを取るために俺との『特別』を得ようとダダをこねているだけのようだ。

 嫉妬、とも言えるかもしれない。

 

 親しいと思っていたスパイの同僚が、別の同僚と仲良さげに話しているのを目撃してなんかモヤモヤしてしまう、あの現象に近しいものだろうか?

 別に恋愛感情はないのに、無性にさみしいんだよな……アレ。

 

 まあ。桜のそんな感情が解明されたところで、俺にはその『特別』とやらがいまだによくわかっていないのだけれど。


「桜の気持ちはわかった。では、具体的に俺はなにをすればいいんだ?」


「……それ、私に聞く?」


「特別とやらをほしがっているのは桜なのだから、当然だろう」


「べ、別になんでもいいの。いままでしたことない『はじめて』を、私にくれるとか……そういう、ささいな特別で」


「ふむ。桜は、俺の『はじめて』がほしいのか?」


「~~、そ、そう言い換えることも、できますかね……」

 

 真っ赤な顔をしたまま視線をそらし、ピュ~、と下手な口笛を鳴らす桜。どうやら正解らしい。

 しかし、俺の『はじめて』か。

 夏海と手を繋いでいたことを怒っていたのを鑑みるに、桜は俺との肉体的接触を特別だと認識しているキライがあるようだ。

 桜にしたことのない、肉艇的接触。

 なら、いま思いつくのは、このぐらいだろうか?


「で、では、これでどうだ?」


「え?」

 

 そう言って、俺は桜をやさしく抱きしめてみた。

 身長差があるせいで、桜の頭を抱えているような体勢だ。

 

 ガラにもなく緊張しているのが自分でもわかった。桜も、緊張で全身を強張らせているのが抱きしめた両手から伝わってくる。

 最初に思いついた接触は頭をなでる、というものだったが、それは教室に乗り込んだときにやってしまっている。

 現状やったことのないものというと、これしか思いつけなかった。


「ど、どうだ? うまくできているだろうか? サブミッションの訓練以外で女性に抱きついたことがないから、これでいいのかがわからない。力の加減がよくわからないんだ……」


「――苦しい」

 

 つぶやいて、桜はスーツに顔をうずめると、そっと俺の背中に両手を回してきた。

 くぐもったその声音は、苦しそうなんかじゃない、ひどく弾んだ響きだった。


「うれしすぎて、苦しい……えへへ」


「そ、そうか。それはよかった」


「もっと、ぎゅーってして」


「了解した……どうだ?」


「えへへ、えへへへ……苦しいなあ、苦しくて、死んじゃいそう」

 

 抱きついたまま猫のマーキングよろしく、おでこや頬をスリスリ、と擦りつけてくる桜。

 三姉妹で一番真面目な女の子かと思っていたが、どうやら俺の見立ては大外れだったようだ。

 おそらく桜は、三姉妹で一番の甘えん坊だ。


「も、もういいだろうか? 桜。真昼間の住宅街で抱きしめ合うのは、さすがの俺でも恥ずかしいんだが……」


「んー、あと五十分」


「ワガママがすぎないかッ!? で、ではあと一分だけな」

 

 依頼人の命令は絶対遵守。それが、元スパイの俺の信念だ。

 恥ずかしいことには変わりないけれど。

 

 結局。

 約束の一分が経っても桜は離れてくれず、ようやく解放されたのは、およそ五分が経過してからだった。

 


     □

 


 寒さを和らげる暖かな陽射しが、リビングの窓から差し込む、午後二時半。

 三姉妹が綺麗に弁当箱を平らげたのを見届けたのち、俺は庭の洗濯物を取り込みはじめた。

 うん、よく乾いている。このパリパリに乾燥したタオルの感触が、実は好きだったりする。なんというかこう、洗ってやったぞ、という一種の達成感があるのだ。

 ……およそ元スパイの考えることではないな。

 転職数日目にして、家政夫業が板についてきたようである。

 

 さておき。

 テレビの通販番組をBGMに洗濯物をたたみ、洗面所や三姉妹の部屋の前のカゴに置いていく。彼女たちの衣類を洗ったら、こうしてカゴに置いておく決まりになっているのだ。部屋の中に入られるのは、彼女たちも嫌だろうしな。

 ちなみに。

 桜と秋樹がいつもより早い時間に帰宅してきていたのは、二学期中間テストの返却日が関係しているそうだ。

 そして明日は、その中間テスト期間の振り替え休日らしい。


「そうなると、明日は昼飯も多めに作らなければいけないな……ジャパニーズ『ヤキメシ』というものに挑戦してみようか」

 

 などとつぶやきながら、今度は俺の洗濯物を抱え、自分の部屋の和室に向かう。

 現在、桜は自室で友人と電話中。夏海はリビングのソファで爆睡していた。


(そういえば、秋樹はどこに行ったんだ……?)

 

 玄関を出た音はしなかったから、家の中にはいるはずだが。

 と。和室に洗い物を置き、リビングに戻ろうとしたとき、ふと書斎の扉が開いていることに気づいた。

 なるほど、いつもの場所だったか。

 俺はエプロンの帯をきゅっ、と締め直し、書斎の中へ。


「ふえ? ……って、く、クロウさん」


「すまない。また驚かせたか」

 

 秋樹は、書斎に設けられた読書スペースで、静かに推理小説を読んでいた。

 慌てて本を閉じようとするので、俺は「ああ、大丈夫だ」と片手で制し、彼女の近くにある三脚椅子に腰を下ろした。


「ちょっと息抜きに寄っただけなんだ。かまわず読んでてくれ」


「い、いえ、ちょうど読み終わったところでしたので……」


「あ、そうだったのか?」


「はい。わたし、本を読み出したら、肩を叩かれるまで気づけませんので。書斎に入ってきた程度じゃあ、絶対に気づけない自信があります」


「……それは、すごい集中力だな」


「本の虫なだけです。この性格同様、シミったれていますから」


紙魚しみだけに?」


「ふふ。クロウさんならわかってくれると思ってました」


「一瞬、妖怪のほうと迷ったけどな」


「そっちでもアリでしたね」

 

 楽しそうに微笑みながら、手にした小説を本棚に戻しはじめる秋樹。

 

 彼女との会話は、すこしだけスパイ時代を思い出す。

 警戒心を抱いているだとか気が休まらないだとか、そういう意味ではない。持てる知識をフルスロットルにして話す、言わば知力の殴り合いのような感覚が、日本という緩やかな日常の中でいいスパイスになっているのだ。

 

 そうして、わずか懐かしい思いを胸に、周囲の本棚を見回していると。


「でも、本当にシミったれているんです……わたし」

 

 ふと。こちらに戻ってきた秋樹が、ぼそりとそうつぶやいた。

 その声音は、どこか自嘲気味に。


「高校に入学してもう半年が経つというのに、いまだにクラスで新しい友達を作れずにいるんですから……」


「ん? 以前、噂好きの友人がいると言っていなかったか?」


「その子は小学校時代からの親友です。新しい友達は、まだひとりも」


「そうなのか……」


「わたしは、お恥ずかしながら、『秋の令嬢』だなんてあだ名で呼ばれてしまっていて、周りから特に浮いてしまっているんです――おまけに、このシミったれた根暗っぷりでしょ? わたしに話しかけてきてくれる変わり者なんて、その親友ぐらいしかいないんです……ふふ、みなさん、わたしのような凡人を、深窓の令嬢とでも思っているんですかね?」


「友達がほしいのか?」

 

 皮肉る秋樹に、俺はそう単刀直入に訊ねてみる。

 どうでもいいと、友達などいらないと思っているのなら、こうして口に出すことすらしない。

 友達がほしいから、秋樹の口は切なる思いを吐き出したのだ。

 俺の問いかけに、秋樹はわずかに言葉を飲むと、観念したようにスッ、とうつむき。


「……すごく、ほしいです」

 

 と、素直な気持ちを吐露した。


「別に、同じ趣味の子をとまでは言いません。とにかく、本を読む暇もないくらい、色んな子と話してみたいんです……それに」


「それに?」


「その、子供っぽいかもしれませんが……親友がほかのひとと話しているのを見ると、なんか無性にモヤモヤしてしまって。わたしはいなくても大丈夫なのかな? みたいな」


「わかる。ものすごいわかる」


「なので、そこで拗ねて『はいさようなら』じゃなくて、その親友たちの会話に入っていけたらなって、ずっとそう願っているんですが……」


「なかなか、うまくいかない?」

 

 問うと、秋樹はこくり、と無言でうなずいた。


「緊張しちゃうんです、話しかけようと思うと。嫌われちゃわないかな、引かれたりしないかなって、身体が震えてきちゃうんです……その、告白してきてくれる男子も時々いらっしゃるんですが、その方たちにもなにも言えずじまいでして。わたしの無言を拒絶だと受け取って、勝手に泣きながら帰っていかれるんです……」


「それはグッジョブ」


「グッジョブ?」


「いや、なんでもない」

 

 家政夫としての保護精神が前に出すぎてしまった。

 俺は咳払いを挟み、話を戻した。


「要するに、緊張しやすい性格をどうにかして、友達を作りたい、ということだな?」


「えっと、まあ……つまりはそういうことです」


「よし――それじゃあ、秋樹。俺に命令してくれ」

 

 言って、俺は秋樹の前に膝を立てて屈み込む。

 まるで、忠誠を誓う騎士のように。


「俺が勝手に先導しても、それは秋樹の意思の尊重には繋がらない。秋樹自身の言葉で、俺にいまの願いをぶつけてくれ。そうすれば、俺は秋樹のために全身全霊をかけて協力しよう」


「わたしの、願い……」


「それとも、シミったれた令嬢さまじゃあ、そんな簡単なことも口にできないかな?」

 

 わざと挑発するように言って、俺は白々しくウィンクしてみせる。

 

 秋樹は照れ屋だ。

 同時に、内気でもある。

 ゆえに、俺に迷惑をかけまいとするはずだ。

 ここで俺がなにも言わなければ、『すみません、いまのは忘れてください』とでも言って、切なる吐露をなかったことにするはずだ。

 

 だから――逃がさない。

 俺が強引に踏み込み、そしてわざと煽ることで、俺にのだ。


「面白いひとですね、クロウさんは……」

 

 そんな俺の思惑は、すべてお見通しなのだろう。

 呆れたような苦笑をもらすと、秋樹はゆっくりと深呼吸をひとつ。

 厚ぼったい眼鏡をここでだけ外し、なにも介さない純粋な命令を告げる。


「クロウさん。わたしの友達作りを、手伝ってください」


「了解した」

 

 そのまっすぐな思いは、シミったれてなどいなかった。

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