08話 桜がちょっとデレた。

 黄色い絶叫による耳鳴りが残響する中。

 色めきだつ周囲の女生徒たちが、矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。


「パートナーって、つまりはそういう関係ってこと!?」「いつから!?」「お弁当渡すってことは、ふたりは同棲してるんだよね!?」「どこまで進んでるの!?」「親公認!?」

 

 授業そっちのけで、俺と桜に好奇の視線を向けてくる女生徒たち。

 男子生徒は、楽しそうにこちらを眺めているのが半分、俺のことをどこか恨めしそうににらみつけてきている者が半分といった割合だ。

 

 さすがは『桜姫』。

 たかが家政夫ひとりを雇った程度で、ここまで注目を浴びるとは。

 

 俺は、オーディエンスの興奮を抑えるように、両手でクールダウンを促しながら口を開く。


「すまない、すこし落ち着いてくれ。すべての質問に答えることはできないが……とにかく、俺と桜がパートナー関係にあることは間違いない。懇意で同棲もさせてもらっているし、母親の冬子もこの関係を承諾済みだ」


「バッ……く、クロウ! アンタなに言って……!」


「事実を言ったまでだ。そして、俺が桜を大切に想っていることも、偽らざる事実だ」


「んなぁッ!?」

 

 スパイにとって、依頼人クライアントの存在は絶対だ。依頼人を大切にできない者は、依頼そのものも雑に扱う三流である。諜報部に伝わる長年の教えだ。

 ……まあ、それもすべて過去の教えだけれど。

 

 俺の言葉になぜか赤面する桜を見て、「きゃー!!」とまたも女生徒たちの割れんばかりの絶叫が響いた。

 同級生たちにとって、桜に家政夫ができたことは、よほど面白いイベントのようだった。

 こんなに叫んで、喉は痛くならないのだろうか?

 そんな風に女生徒たちの心配をし始めていると突然、ガタッ、と桜が席を立ちあがった。


「す、すみません先生! ちょっとこのバカのせいで頭が痛いので、保健室に行ってもいいでしょうか!?」


「え、ええ……大丈夫ですよ。気をつけて行ってきてください」


「ありがとうございます! 行ってきます!」


「なんだ、桜。頭痛がするのか? それにしては随分と元気な立ち上がりようだが――、っと?」


「うっさいッ!! いいから来なさいッ!」

 

 どうしてか激昂する桜に腕を掴まれ、教室の外に強引に連れ出される俺。

 クッ、相変わらずなんてパワーだ! 頭痛で苦しんでいるようには思えない!

 またもあがった黄色い歓声に押され、教室を出る――その間際。


(ん?)

 

 ふと。覚えのある感覚が、背中に突き刺さった。

 スパイ活動中。敵と対峙した際に味わってきた、あの感覚だ。


(……?)

 

 間違えるはずがない。

 それはたしかに、俺に対する抜身ぬきみの殺意だった。

 いち高校生がここまでの殺意を発するだなんて、普通はありえないことなんだが。


「ちょっと、ちゃんと歩いて!」


「え? あ、ああ……」

 

 そんな一声で我に返り、俺と桜は、ひとけのない渡り廊下を進んでいった。

 



 

 桜に連れて来られたのは、移動教室が並ぶ別校舎だった。

 その、二階に繋がる階段下。

 生徒たちの声も届かない静かな一画で、桜は怒気を込めて俺に詰め寄る。


「……それで、どういうつもり?」


「どういうつもり、とは?」


「みんなの前でなんであんなこと言ったのかって話よ! 最初から『家政夫です』って言っておけばいいのに、パートナーだとか同棲してるだとか、誤解されるような言葉ばっか使ってさ。あれ、もう完全に彼氏だって思われてるわよ……」


「彼氏?」


「恋人って意味よ! パートナーって言われたら、誰だってそう受け取るでしょうが!」


「……ああ」

 

 なるほど。たしかに俺の発言を思い返すと、そう聞こえなくもない。

 しっかり、ビジネスパートナーと言っておけばよかったか。


「すまない。弁当を届けたい一心で、配慮に欠けていた」


「どんだけ家政夫根性が身についてんのよ、まだ二日目だってのに……おまけに、わ、私のことを大切に想ってるとか、心にもないこと言っちゃってさ」


「? それはまぎれもない事実なんだが、それも言ってはいけなかったのか?」


「は、はぁ? じ、事実って……」


「事実は事実だ。俺は、桜のことを大切に想っている」

 

 このことに、元スパイ云々は関係ない。

 依頼人を大切にすることはきっと、仕事の質を向上させることにも繋がる大事な要因のはずだ。

 真剣な眼差しでそう伝えると、桜はすこし間を空けたのち、面映そうについと視線をそらして。


「……それ、マジで言ってます?」


「マジで言ってます」


「へ、へえ、そうなんだ……ふーん」

 

 先ほどまでの態度を一変。桜はもじもじと指先をイジりながら、俺を上目遣いに見つめてきた。


「じ、じゃあさ。クロウは、そういう勘違いをされちゃってもいいんだ……?」


「……そういう勘違いというのは、桜と男女の関係に見られること、という意味で合っているか?」


「そ、その意味で合ってます……」

 

 擬音にしてジュ~、と顔を真っ赤にする桜。

 俺は両腕をつかねて、ストレートに断言する。


「もちろん、俺はそう見られてもかまわないぞ」


「~~ッ、そ、それは、どうして?」


「それは……」

 

 桜の期待に満ちた瞳を前に、俺は思わず口をつぐむ。

 恋人がいると勘違いされていたほうが、桜に言い寄る男子危険が減るから――

 三姉妹を守る家政夫としてそう答えようと思っていたのだが、桜のこの瞳を前にすると、その解答はむしろ俺自身の危険を招くような気がした。

 理由はわからないけれど。

 俺の危機察知能力も、まだまだ捨てたものではないらしい。

 

 ともあれ――だから、俺は素知らぬ顔でそっぽを向きながら、こう答えるのだった。


「企業秘密だ」


「な、なによそれ……ここまできて、普通隠す?」


「秘密なものは秘密だ。俺にだって、言いたくないことのひとつやふたつ、あるんだからな」


「……もしかして、照れてる?」


「照れてなどいない」


「嘘だー。じゃあこっち見て?」


「…………」


「顔みれないってことは、やっぱ照れてんじゃん! そっかそっか。恥ずかしいのですか、クロウくんはー」


「だから、別に照れてなど……」


「はいはい、そういうことにしといてあげますよ……えへへ。あーあ、みんなへの説明が大変だなー」

 

 話はこれで終わりなのだろう。

 うれしそうに言いながら、桜は階段下を出て、スキップまじりに渡り廊下に戻り始めた。

 ……なにやら別の勘違いをされているような気がしないでもないが、まあいい。

 依頼人が幸せそうなら、それだけでいい。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、本校舎の階段前で、前を歩く桜がくるり、と俺を振り向いた。


「それじゃあ、クロウ。私は教室に戻るからね。アンタは変なことせずにそのまま家に帰ること。いい?」


「了解した。では、桜が帰る前に夕飯の買い出しを済ませておこう」


「あ」


「どうした?」


「え、えっと……もしよければその買い出し、私も付き合おうか……?」


「? いや、そこまで大量に買い込む予定はないから、別に俺ひとりでもかまわんが」


「わ、私が一緒に行きたいの! す、すこしは察しろ、バカ……」

 

 悪態をつき、拗ねるような表情でこちらを見つめてくる桜。

 ふむ、一緒に買い物か。

 カゴつきの自転車に乗ってきているから、本当は学校からの帰り道にでもスーパーに寄ってしまいたかったのだが、一緒に行きたいというのなら仕方ない。

 桜が帰るまでの時間は、俺の部屋の掃除などに費やすとするか。


「それでは、帰ったら一緒に買い出しに行こう。連いてきてくれるか? 桜」


「ッ……うん! えへへ。し、しょうがないわねー、クロウはさみしがり屋なんだからー」


「色々と指摘したいことはあるが……まあいい、これ以上授業を離れていては問題だ。早く教室に戻れ」


「はーい」


「あと、先生に『騒がせてしまって申し訳なかった』と伝えておいてくれ」


「うむ、了解した」

 

 俺の真似をしながらビシッと敬礼したのち、桜は「えへへ、またあとでねー」と階段を昇っていった。

 桜のことだから、もっと叱ってくるものだと思っていたが……機嫌がよくなったようでなによりだ。


「女心と秋の空、というやつか? よくわからんな……」

 

 両肩をすくめて、ため息をひとつ。

 桜の背中を見届けて、靴が置いてある昇降口に戻ろうとした。

 

 そのときだ。


「――どういう関係なんデス?」

 

 不意に、背後から声をかけられた。

 振り向くと、そこにいたのはひとりの男子生徒だった。

 一言でいうと、不気味な生徒だった――顔色は青白く全身はガリガリ。頬や首筋、制服の袖から覗く手の甲には、骨と皮しか存在していない。歩くスケルトンといった風体だ。ギョロリと動く両眼は、病的なまでに血走っている。

 

 授業中なのに、どうして生徒がここに?

 桜と同じように、保健室かなにかの用事で抜け出してきたのだろうか?


「どういう、関係なんデスか?」

 

 重ねられた問いに、俺は男子生徒への観察を中断して。


「すまない。その前に、きみは誰だ?」


「鈴木と言いまス。2ーA、『桜姫』と同じクラスの生徒デス」


「桜のクラスメイトか」


「……『桜』?」

 

 ギョロ、とくぼんだ眼窩の奥で、男子生徒――鈴木の両眼がうごめいた。


「桜姫を下の名前で呼ぶなんて……あなた、桜姫とどういう関係なんデスか?」


「ああ、桜との関係を訊いていたのか」

 

 家政夫だ、パートナーだ、と答えるのは簡単だが、それではまた誤解を招くかもしれない。

 教室での発言とは一転。俺は、黙秘を貫くことにした。

 

 ――これが、最大の過ちであることにも気づかずに。


「すまないが、それは話せない。訊きたければ、桜本人に訊いてくれ」


「……そうデスか、わかりました」

 

 失礼します、と頭をさげ、あっさりと踵を返す鈴木。

 生気のないその背中を見送ったのち、俺は昇降口に足を進める。

 まるで、幽霊にでも遭遇したかのような気分だった。

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