09話 桜とスーパーで買い出しデートをした。

 叶画高校からの帰宅後。

 家の掃除と合わせて、自分の部屋となる和室も一緒に片づけてしまうと、俺は早速、自室に手荷物のキャリーバッグを運び込んだ。

 ケースに暗証番号『009』を打ち込み、鍵を開錠。

 詰め込まれた衣類をかきわけて、スマホと十数個の『小型カメラ』を取り出した。

 

 スマホは、俺がスパイ時代に使用していたもの。

 小型カメラは、キャサリンが『念のために』と出国前の俺に渡してきたものだ。

 

 おそらくキャサリンは、家政夫の依頼を受けたときから、親友である冬子の娘たち……三姉妹の身を案じ、このカメラを用意していたのだろう。

 さすがは諜報部局長である。


「ありがたく使わせてもらうぞ」

 

 礼をつぶやき、家中にカメラを設置していく。

 

 カメラは掌に収まる程度の大きさで、そこまでステルス性能が高い代物ではないが、この家はデザイナーズハウスのように無駄に洒落ている。

 湾曲した棚の一角や、廊下の足元を照らすライト部分に隠すように取り付けることで、簡単にカメラの存在感を消すことができた。

 

 本当は、ここまでする必要はないのかもしれない。

 けれど、三姉妹にもしもの事態が起こったらと考えると、どうしても万全を期さずにはいられなかった。


〝――どういう関係なんデス――〟

 

 ただの杞憂で済めば、それが一番いいのだけれど。


「……これでよし、と」

 

 玄関外側の上部に最後のカメラを設置して、準備完了。

 家の中に戻ると、俺はスマホを小型カメラにかざした。赤外線通信を利用して、スマホと小型カメラをリンクさせるためだ。

 こうすることで、スマホでいつでも家の中を監視することができるようになる。


「OK。問題なさそうだな」

 

 スマホの画面には、廊下に突っ立っている俺の姿が映し出されていた。

 音声アリ、映像も色アリの高画質だ。監視カメラの多くは音もなく、映像も灰色であることが多いのだが……キャサリンの奴、意外と値の張るカメラを渡したな。

 

 スマホの『感知モード』をONにしておく。これで、誰かがカメラに映りこんできたときだけ、映像データをクラウド上に保存するようになる。

 ディスプレイ右上の番号をタップすると、カメラが次々に切り替わった。玄関先のカメラを見ると、茜色に染まる路地が映し出されている。

 

 そこで、俺はようやく気付いた。

 時刻は昼をとっくに過ぎ、すでに夕方になっていることに。


「……しまった。昼食を摂っていない」

 

 意識した途端、グゥ、と情けない音が腹から鳴りはじめた。

 なにか軽くツマんでおくか、とリビングに歩を向けると、ガチャリ、とタイミングよく玄関の扉が開いた。

 鍵は締めていたから、開けられるのは俺以外に三人しかいない。


「た、ただいまー!」


「おかえりだ」

 

 果たして。帰宅してきたのは桜だった。

 走って帰ってきたのだろうか。ハァハァ、と肩で息をしている。

 その右手には、ストローが差された飲みかけのカップが掴まれていた。


「ご、ゴメン! 待たせちゃったよね? スーパー行っちゃってない?」


「大丈夫だ、行っていないぞ。約束したのだから、ひとりで行くわけないだろう」


「そ、そっか。ほんとゴメンね? 友達に色々説明するために学校近くの公園でタピってたら遅れちゃって……」

 

 申し訳なさそうな桜のそんな発言に、俺はすこしだけホッとする。

 

 彼女は『桜姫』という、ともすれば揶揄とも取れるようなあだ名をつけられている。

 ゆえに、周囲の生徒たちからうとまれ、敬遠されているのではないかと、今日の教室での騒動を経て密かに心配していたのだ。

 だが、彼女のこの様子を見る限り、その心配はなさそうだった。

 色々な説明というのは、もしかしなくとも俺に関することだろうから、そこは素直に申し訳ないとは思うけれど。

 

 さておき。

 そうした危惧を悟られぬよう話題そらしとして、俺は不可解な単語の意味を訊ねることに。


「タピって……すまない、それは日本語なのか?」


「え? ああ、そういえばクロウって外国のひとだったね。それじゃあ知らないか」

 

 言いながら靴を脱ぎ、こちらに歩み寄ってくると、桜は右手のカップをかかげた。


「この『タピオカミルクティー』を飲むことを『タピる』って言うのよ。だから『公園でタピってた』っていうのは、『公園でタピオカミルクティーを飲んでた』って意味」


「ふむ……これまた面妖めんような日本語だ」


「面妖て」


「そのタピオカミルクティーはあまりうまくないのか? 半分以上残っているようだが」


「ううん。おいしいよ? 普通においしいんだけど……これ、すごいカロリーが高くてお腹に貯まるのよ。これ一杯でラーメン一杯分のカロリーがあるんだって。ヤバくない?」


「ほほう。ラーメン一杯分」

 

 昼食にはちょうどいいカロリーだ。


「では、それはもう飲まないのか?」


「んー、そうね。今日はもうちょっといいかなーって感じ。残りは冷蔵庫に保存して――」


「なら、遠慮なくいただこう」

 

 桜の言葉も途中に、俺はパクッ、と目の前のストローに口をつけた。

 驚きに目を見開く桜だったが、カップを下げるようなことはせず、俺が飲み終わるまでの間、程よい位置で固定していてくれた。

 傍から見ると、なんだか餌付けのように見えなくもない。


「――ぷはっ。うむ、急に粒が押し寄せてくる感覚がいまいち慣れないが、味はなかなかうまいじゃないか」


「……そ、そう? なら、よかったわ……うん」


「? どうした、桜」


「いや、あの、間接……だな、って……」


「関節?」

 

 格闘技のサブミッションの話か?


「な、なんでもない! 鞄置いてくるから、ちょっと待ってて!」

 

 慌てて空のカップを俺に渡し、二階に駆け上がっていく桜。

 なぜか耳まで真っ赤だったけれど……まあ、おそらくここまで走ってきたせいなのだろう。

 俺は空の容器を洗い、ゴミ箱に捨てると、スーパーに行く準備を始めた。

 


     □

 


「……なあ、桜」


「ん、なに?」


「いまのスーパーでもダメなのか? これでもう三軒通り過ぎていることになるが……」


「だ、ダメだよ。まだ叶画市内なんだから知り合いに会っちゃうかもしんないでしょ? 友達にクロウと歩いているところを見られたりでもしたら、今度こそ誤魔化せなくなっちゃう」


「……なら、どうして俺と一緒にスーパーに行きたいなどと?」


「そ、それは、だって……」


「だって?」


「……デート、したかったんだもん」


「? これはデートなのか? ただの夕飯の買い出しでは……」


「わ、私がデートって言ったらデートなの! 買い出しデート! なんか文句ある!?」


「いや、文句はないが……」


「じゃあデートで決まり! いいから行くわよ!」

 

 そう言い放って、歩く速度を速める桜。

 これではデートというより散歩のような気がしないでもない。

 それに、家を出る前は夕暮れだったが、いまではもう夕陽も沈みかかってしまっていた。散歩にしてはあまりに長距離である。

 

 そうして。

 四軒目、五軒目のスーパーを通り過ぎ。

 六軒目のスーパーにたどり着いた頃には、俺たちは叶画市の隣、折筆おりふで市の郊外にまで足を伸ばしていた。


「うん、ここならさすがに誰も来ないかな? ここにしましょ、クロウ」


「了解だ。無駄にいいウォーキングをしたから、今夜はおいしい夕飯を作れそうだ」


「なんか言った?」


「いえなにも」

 

 白々しく答えて、自動ドアの横に積まれた買い物カゴを手に取り、店内に入っていく。

 何気に、日本のスーパーに来るのはこれが初めてだった。

 海外のソレよりは手狭だが、並んでいる食材はどれも一目で質の良さがわかる。日本の食に関する衛生面は世界トップレベルだと聞くが、どうやらそれは本当のようだ。

 と。艶のある青果を眺めていると、桜が「ねえねえ」とこちらの顔を覗き込んできた。


「今夜はなにを作るつもりなの?」


「正直まだ決めていない。桜はなにが食べたい?」


「なにが食べたいかなあ……昨日カレーだったから、サッパリしたものがいいかな?」


「サッパリか。では、白身魚のフライなどはどうだ? タルタルソースも、あまりくどくないものを作ろう」


「わあ、おいしそう! それでいこー!」


「了解した。では、白身魚を物色しに行こうか」

 

 スキップ交じりの桜と共に、鮮魚コーナーに向かう。

 白身魚にも色々あるが、真っ先に目についたのがタラだったので、タラをカゴに放ることに。


「あとはタルタルソースの材料か……、あ」

 

 と。そこまで考えたところで、大事なサラダを買い忘れていることに気づいた。


「桜。すまないが、青果コーナーに戻ってレタスとトマトを持ってきてくれないか?」


「お、任せたまへー」

 

 俺に付き添うだけで暇だったのだろう。気怠げだった背筋をピシッと伸ばし、小走りで青果コーナーに戻っていく桜。

 買い出しデートなのに暇そうにするとは、これいかに。

 もしかして桜の奴、俺と一緒にいたかっただけなのでは……。

 

 なんて、すこし自意識過剰気味なことを考えていると、目の前のお惣菜コーナーで和気あいあいと会話している男女が見えた。

 ひとりは、ボサボサ髪の小柄な男子高校生。

 もうひとりは、ふくよかな体型をした赤髪の女子高生だった。

 

 男子高校生のほうは、身長は百五十センチほどしかなかった。顔立ちも幼く、服装が高校の制服でなければ小学生と間違われていてもおかしくはない。

 女子高生のほうは、スカートの丈の短さや着崩された制服を見るに、いわゆるギャルと呼ばれる存在のようだった。

 

 陳列するお惣菜を見て回りながら、赤髪のギャルが隣り合う男子高校生に話しかける。


「ねえ。ミッチー、ミッチー」


「なんですか? ナコさん。そんな腕引っ張らなくても、ちゃんと聞こえてますよ」


「突然っスけど、クイズです」


「お惣菜コーナーとまったく縁もゆかりもないワードが出てきて心中穏やかではないんですが……いいでしょう、なんのクイズですか?」


「ジャジャン!」


「あ、問題が出るときのSEですね」


「私はいま、なにを考えているでしょーか?」


「わかるわけない問題が投げられたッ!! クソ、理不尽すぎて膝から崩れ落ちそうだ……!!」


「8……7……6……」


「しかもタイム制ッ!? クッ……はい、ピンポン!」


「はい、ミツカゲさん!」


「『お赤飯が食べたい』!」


「ブッブー」


「でしょうね! 間違えるであろうことは明白だったんで、なにも悔しくありませんよ!」


「正解は」

 

 そう言って、赤髪のギャルはそっと男子高校生の片手を握った。


「『手を握りたいなー』、でしたー」


「……ッ、そ、そうですか。こ、これは難問でしたね……ええ」


「ふひひ。ミッチー、顔真っ赤っスよ?」


「な、ナコさんだって頬赤いですよ?」


「こ、これは……そう、店内の暖房が効きすぎてるんスよ! 別に照れてるわけじゃないっスから! それに手を握るなんてのは、男女間であれば当たり前に行われる行為っスからね! スーパーの買い出しのときには、むしろ握って然るべき! つまりは照れる要素なんてナシなんスよ!」


「喋るほど墓穴を掘っているような気がしますけど……まあ、いいですよ。それよりもさっさと買い物済ませちゃいましょう? 無駄にクイズで張り切ったせいで、なんかお腹空いてきちゃいました」


「そうっスね。じゃあ、行くっスか。ミッチー」


「はい」

 

 互いの手をしかと握り、たしかめ合いながら、お惣菜コーナーを離れていくふたり。

 

 その背中を見送りながら、俺は胸中でうなずく。

 なるほど。これはいいことを聞いた。

 すると。タイミングよく「ただいまー」と桜が帰ってきた。


「レタスとトマト、持ってきたわよ。買い物カゴにドサドサー……って、どうしたの? クロウ。私の顔じっと見ちゃって」


「桜。手を出してくれ」


「? こう?」

 

 無防備に差し出された右手を、俺は自身の左手でしかと握りしめた。


「んなッ……え、はあぁッ!?」


「男女間でスーパーの買い出しに行くときは、こうして手を握り合うのが常識らしい。先ほど、若いふたりの客がそう話していた」


「い、いや……それたぶん、カップルの話……」


「では、買い出しを再開しようか」

 

 買い物カゴに野菜が追加されたことを確認して、ソースの材料集めに店内を回る。

 繋いだ桜の手は暖かく、まるで熱でもあるかのような高温だった。

 事実。うつむいた桜の耳元は、店内の暖房のせいじゃない、うっすらと朱色に染まってしまっていた。

 

 と。その最中。


「……えへへ。でも、これはこれで……えへへ……」

 

 桜はひどくうれしそうに、小声でそうつぶやいていたのだった。






――――――


 作中に登場する高校生カップルのお話も書いてます。

『隣の天然ギャル様が友達以上の関係を求めてきて震える』、というタイトルになります。

 よろしければ、そちらもぜひ!

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