06話 三姉妹にお弁当を作った。

 秋樹に関する誤解をしっかりと解いたあと。

 桜に案内された部屋は、一階の奥まった場所にある八畳ほどの和室だった。

 まったく出入りしていなかったのだろう。襖を開けて明かりを点けた瞬間、大量の埃が視界中に舞った。


「うわ、ひどいわね……この部屋の掃除はまた明日するとして、とりあえず今日はリビングで寝てもらえる? お布団とかは事前にお母さんが干してくれてたのがあるから、それを使って。リビングの向かいの部屋に置いてあるわ」


「了解した。すまない、なにからなにまで」


「いいって、このくらい――それじゃあ、私はもう寝るね。明日から学校だし」


「学校……ああ、そうか」

 

 桜と秋樹は高校生だったな。それも同じ高校。依頼書によると、たしか叶画かなえ高等学校とか言ったか。

 学校がどんなものかは知っているが、自分が学生生活を一度も過ごしたことがない人間なので、いまいち学校という存在にピンと来ない。


「それなら、早く寝ないといけないな」


「そうなのよねー……あー、ダルい。もういっそズル休みしちゃおうかなー。お昼ご飯もパンばっかで飽きたしさー」


「桜の学校は給食制なのか?」


「ううん。そうじゃなくって、私がコンビニか購買でいつもパンばっか買ってるって話。ほんとはお弁当作っていきたいんだけど、朝はそんな余裕もないしねー」

 

 どうしたもんかねー、とつぶやいて遠い目をするサクラ。

 そうか、弁当が必要なのか。

 これは、今日の三連続失敗を払拭するチャンスなのでは?


「どうしたの? クロウ。なんかあくどい顔してるけど……」


「桜。明日を楽しみにしておけ」


「? な、なんか怖いけど、わかった。楽しみにしておく」


「ああ、楽しみにしておくがいい」

 

 訝しげに「?」と首をかしげる桜を横目に、俺は含み笑いをこぼす。

 さて。そうと決まれば、まずは冷蔵庫の中身を確認だ!

 


     □


 

 翌朝。

 雲ひとつない快晴の中、肌寒い冷気が漂う午前六時半。


「んー……ねむい」

 

 一番はじめに起きてきたのは、三女の秋樹だった。

 寝巻き姿のまま、フラフラと眠たげな顔でリビングに入ってくる。

 三つ編みを解き、眼鏡も外しているせいで、まったくの別人のように見えた。

 面接映像で見たときにも思ったが、やはり秋樹も美少女然とした顔立ちをしている。その豊満な体型と相まって、まるで美人モデルの休日のような風格があった。

 

 俺は朝食の調理の手をとめ、キッチンから秋樹に声をかける。


「おはよう、秋樹。よく眠れたようだな」


「おはようごじゃいます……ん、え、だれ……?」


「ああ、眼鏡がないから見えないのか。俺だ、家政夫の野宮クロウだ」

 

 キッチンを出て近寄りながらそう言うと、秋樹は目を凝らしてこちらを見つめたのち、眠たげな半目を思いっきり開眼して、背筋をピンと伸ばしはじめた。


「~~ッ、あ、えっと、おはようございますッ! さ、昨晩は、わたしのような人間の胸部を押しつけてしまい、大変申し訳ございませんでした!!」


「いきなり謝罪ッ!? い、いや、俺のほうこそすまなかった。あのときは、もっと距離を空けて話すべきだったよ――それでな? 秋樹」

 

 これ以上、昨夜の話を引きずっても、秋樹が委縮してしまうだけだ。

 俺は早々に話を切り上げ、キッチンに戻ると、秋樹にあるものを手渡した。

 朝五時から用意していたものだ――温かなそれを手にした秋樹が、驚いた表情でこちらを見上げてくる。


「え……く、クロウさん、これって」


「お弁当だ。昨日のお詫びと言ってはなんだが、よかったら今日のお昼にでも食べてくれ」

 

 三姉妹の弁当を作る。

 それが、昨日俺が思いついた、三連続失敗を払拭する秘策だった。

 もちろん、秋樹だけでなく、桜と夏海の弁当も完成済みだ。

 まあ、お詫びの手段にしては、すこし安直すぎる気がしないでもないけれど。


「あ、ありがとうございます……え、本当にいいんですか?」


「当然。タコさんウィンナーに卵焼き、カラアゲに春巻にスパゲッティと、日本の子供が好きであろう食材を詰め込んでおいたから、思う存分食べてくれ……まあ、半分は冷凍食品だが」

 

 食材を買い込んでいた冬子に感謝である。

 冷蔵庫にこれだけのものがなかったら、深夜にコンビニに走らなければいけなくなるところだった。

 と。驚いた顔を緩やかに氷解させていくと、秋樹はふんわりとやわらかな笑みを湛え、弁当箱をそっと抱きしめた。


「ありがとうございます……大事に食べさせていただきます」


「ああ、残さず食べてくれ。残されると悲しくなるからな」


「ふふ。はい、それじゃあ悲しませないよう、いっぱい食べますね」


「そうしてくれると助かる――さて、それじゃあ朝食にしよう。あともうすこしでできるから、テーブルに座って待っててくれ」


「はい。ありがとうございます」

 

 素直にうなずいて、テーブルにつく秋樹。

 そのうれしそうな瞳は、ずっと手元の弁当箱に向けられていた。

 



 

 朝食を済ませた秋樹が二階に戻ると、入れ替わるようにして今度は夏海が降りてきた。

 キッチン前の俺に目もくれず、ヨタヨタ、と千鳥足でテレビ前のソファに向かい、仰向けに寝転がってしまう。

 秋樹がモデルの休日なら、こちらはおっさんの休日だった。


「あー……きもちわるっ、もう二度と酒なんか飲まねえ……」


「おはよう、夏海」


「あぁ? ああ、うん、おはよーさん――って、お前だれ……って、クロウだなッ!?」


「言ってる途中で気づいてくれてうれしいよ」

 

 朝から慌ただしい思考回路である。

 ともあれ。俺は夏海の傍で屈み、コップに入れた水を差し出した。


「ほら、まずは水を飲め。あまりにも気持ち悪いようなら吐くのを手伝うぞ?」


「いや、そこまでじゃねえからいいよ……そうか、昨日、家政夫を雇って……ああ、そういやそうだったな。朝からイケメン見ると現実味がなくなるわ」


「いけめん?」

 

 どういった意味の日本語だったろうか? なにかのスラングか?

 単語の意味がわからず首をかしげていると、夏海はしまったとばかりに慌てて起き上がり。


「ち、ちげえよ! いまのはちげえからッ!! た、ただの言い間違いだから気にすんな!」


「そうか、間違いだったか」


「水、サンキューな! ありがたくいただくぜ!」

 

 誤魔化すようにして水を奪い取り、ガブガブ飲み干していく夏海。

 この調子ならそこまで二日酔いは悪くならなそうだ。

 コップが空になったところで、コップと取り換えるようにして俺は弁当箱を手渡した。


「え、なんだこれ?」


「昨夜のお詫びと、間違えた謝罪だ。夏海も今日は大学があるはずだろう? 昼食にでも食べてくれ」


「うわ、マジか……普通にうれしい、ありがとな! あたし、弁当大好きなんだよー」

 

 二日酔いの辛さも忘れて、無邪気に喜ぶ夏海。

 すこし意外な反応だ。


「弁当が好きなのか? 珍しいな」


「珍しいかな? だって弁当だぜ? なんか遠足みてえでワクワクすんじゃん。だから、運動会のときとかもオカンの弁当がすげえ楽しみで――あ」

 

 そこまで話して、じっと見つめてくる俺の存在を思い出したのだろう。

 バッ、とソファから跳ね起きると、夏海は弁当を抱えたままリビングを後にしてしまった。


「と、とにかく! ありがたくもらっとくわ! マジサンキューな、クロウ!」


「どういたしまして。慌てて食べて喉に詰まらせるなよ」


「そこまでガキじゃねえよ!」

 

 言いながら、騒がしく二階に戻っていく夏海。

 さて。残るは桜のみだ。

 



 

 が。肝心の桜はなかなかリビングに降りてこなかった。

 秋樹が登校し、夏海も気怠げに家を出てもなお、一階に降りてくる気配はない。


「……まだ寝ているのか?」

 

 時刻は午前八時二十分。あと十分すぎれば遅刻してしまう。

 ここは、家政夫として起こしに行くべきだろう。

 そう思い、二階への階段に踏み入りかけた、そのとき。


「――やばいやばいやばいやばい、ほんとにヤバイッ!!」

 

 ドタドタ! 階段を踏み鳴らして、桜が全速力で降りてきた。

 綺麗なセミロングの髪はボサボサで、制服も至る箇所が乱れに乱れてしまっている。

 起きて三十秒で支度しました、と言わんばかりの、それは雑な身なりだった。

 リビングにも寄らず玄関先に向かう桜を追って、俺は弁当箱片手に話しかける。


「おはよう、桜。実はな、みんなにコレを作って――」


「え、ああクロウか! ゴメン! ほんと時間ないから、また帰ってからにして!」


「いや、帰ってからでは意味がな――」


「それじゃあ、いってきまーすッ!!」

 

 俺の言葉も馬耳東風。

 嵐のようなスピードで扉を開け、桜は家を出ていってしまったのだった。

 冬子との血縁者であることを実感した瞬間である。


「……いや、感心している場合じゃない」

 

 このままでは、桜のために作ったこの弁当が無駄になってしまう。

 なんとしてでも、桜に渡してやらねば!


「仕方ない――学校に届けてやるとするか」

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