02話 三姉妹の家に住み込みで働くことになった。

「じゃあ、そういうことでクロウくん、あらためて三人のことお願いね! あと、これから長い付き合いになるんだし、クロウくんも三人も互いに堅苦しい敬語は禁止! これ、いま決めた葉咲家ルールだから……って、やだ飛行機の時間!? それじゃあ、おばさんは海外で数ヶ月バリバリ働いてくるからー! みんなアデュー!」

 

 口早にそう言い残すと、冬子は駆け足で玄関に向かい、勢いそのままに家を出て行ってしまった。

 まるで台風のような女性だ。賑やかでいいけれど。


「まったく、お母さんはいつも落ち着きがないんだから……」

 

 玄関を見やりつつ、黒髪セミロング、次女の桜が呆れたようにため息をついた。

 長女の夏海と三女の秋樹も呆れ顔をしていて、特に悲しんでいる様子は見られない。冬子のこうした海外出張は、過去に何度も行われてきたことのようだった。

 

 ちなみに。

 三姉妹の年齢は、長女の夏海が二十歳で大学二年生、次女の桜が十六歳で高校二年生、三女の秋樹が十五歳で高校一年生となっている。

 この年になれば、さすがに母親離れは済んでいる頃だろうか。彼女たちの母に対する呆れた態度も、そうした年齢による成長が関係しているのかもしれない。

 閑話休題。


「元気なお母さまですね」

 

 気まずい沈黙を作らないためにそう声をかけると、桜は俺の顔を見てなぜか「うぐ」とたじろいだのち、平常心を保つかのように咳払いをひとつ。

 意を決したようにしてこちらに歩を進め、俺の対面のソファにドカッと腰を下ろすと、顔をそらしながらこう言った。


「け、敬語は禁止だから」


「え?」


「さっき、お母さんが言ってたでしょ? お互いに、堅苦しい敬語は禁止だって……」


「ああ、そうでした――じゃない、そうだったな」

 

 諜報部局長であるキャサリンとは上司部下の関係にあったが、仕事以外のプライベートではいつもフランクな言葉遣いで接していた。

 そのときの癖が出やしないかと心配していたので、この申し出は素直に助かる。


「それじゃあ、お言葉に甘えて。敬語はなしにして話させてもらおう」


「そ、そう、それでいいわ。見た感じあなたのほうが年上みたいだけど、私たちも気兼ねなくタメ口を使わせてもらうから」


「あはは。お手柔らかに頼むよ」

 

 軽く笑ってみせると、俺の顔を見た桜が、またも「うぐっ」と胸を押さえてうめいた。

 ……心臓になにかやまいを抱えているのだろうか?

 俺の顔がトリガーになる病気というのも、あまりに奇病すぎるけれど。

 呼吸を乱しながらも、「じ、じゃあ」と桜はなんとか口を開く。


「さ、採用は決定として、軽く面接させてもらおうかな。あなたのことを知ってるのはお母さんだけで、私たちはまだ名前すら知らないし……履歴書は持って来てるわよね?」


「ああ、もちろん持参しているが……その前にひとつ訊かせてくれ」

 

 スーツの内ポケットから履歴書の入った封筒を取り出しつつ、俺は続けた。


「どうして俺は採用になったんだ? まだ面接すらしていなかったのに」


「そ、それは……」

 

 素朴な疑問を訊ねると、履歴書を受け取った桜はついと視線をそらし、キッチン近くのテーブルに座る夏海を見つめた。

 見つめられた夏海は「うえ、あ、あたし?」と狼狽したのち、スン……と素知らぬ顔で隣に座る秋樹を見やった。

 見られた秋樹は「え……わ、わたし、ですか……?」とオロオロ動揺を見せたのち、ぷいっ、とキッチン奥にある冷蔵庫に顔を向けた。

 

 ……冷蔵庫。

 ……冷蔵庫?

 冷蔵庫が、俺を採用してくれたのか……?

 

 これから俺はどんな気持ちであの冷蔵庫を開ければいいのだろう? とすこし真面目に考えていると、桜が「と、とにかく!」と強引に話を切り替えた。


「採用は採用なの! 採用基準は葉咲家の秘密! 門外不出の最重要機密事項! なにか文句あるッ!?」


「い、いや、まったくないが……」


「ならいいじゃない! それよりも面接を始めるわよ! えっと……野宮クロウ!」


「クロウと呼んでくれ。俺も、桜と呼ばせてもらう」


「い、いきなり下の名前ッ!?」


「敬語はなしなんだ。なら、ファーストネームで呼び合うのも普通だろ?」


「それは、そうかもだけど……」


「ほら、桜。はやく面接を始めてくれ」

 

 慣れさせるために、わざと下の名前で呼んでみる。こういうのは回数を重ねるのが大事だからな。

 すると。桜は慌ててバッ! と履歴書で顔を隠し、気恥ずかしそうな声音でこう応えた。


「わ、わかったわよ……く、クロウ?」


「はい、よくできました。桜」


「~~ッ、いまからでも不採用にしてやりたい……!」

 

 両足をバタつかせながら、履歴書に顔を埋めるようにして悪態をつく桜。

 履歴書で隠しきれていないその両耳は、彼女の名前のような桜色に染まってしまっていた。

 

 



 野宮クロウという人間のプロフィールを確認する、雑談まじりの軽い面接が終わった。

 時刻は午後七時。

 夕陽は完全に沈みきり、寒く暗い夜が訪れていた。


「さて。それじゃあそろそろ、俺はおいとまさせてもらおうか。今日は面接だけの予定だったから、夕飯は作らなくても大丈夫なんだよな?」


「うん、昨日のカレーが残ってるから大丈夫……というか、いまから帰るの?」

 

 桜がすこし心配そうに訊ねてくる。辺りが暗くなっているからだろうか。

 俺は「ああ」と応えつつ、ソファの横に置いていた手荷物に手をかけた。


「空港を出てそのままこの家に来たから、まだ宿泊するホテルも確保していないんだ」


「そうなんだ……と、というか、それなら」


「――それなら、うちに泊まればいいんじゃね? てか、住めばいいんじゃね?」

 

 桜に被せるようにして言葉を発したのは、夏海。

 椅子にあぐらをかき、ニヤニヤと悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、夏海は続ける。


「オカンが家政夫なんつーもんを雇おうとしたのも、元々はあたしらを守ることが目的だったんだから、『騎士ナイト様』には家に常駐してもらったほうが話は早えだろうよ。幸い、空き部屋はいくつか残ってるし、クロウにしても、ほかの場所からわざわざこの家に通う手間が省けるだろうしさ。どうよ?」


「いや、気持ちはありがたいが……俺という男を置いてしまっては本末転倒ではないか? 俺が暴漢やストーカーの可能性だってあるんだぞ?」


「そうやってあたしらの心配をしてくれてる時点で、クロウは安全だって証明されてんのさ。知ってるか? 本物のクズ共は、嘘でも自分からそんなこと言わねえんだぜ? ――それは、あたしらが一番よく知ってる」

 

 夏海が真剣な顔つきでそう言うと、桜と秋樹の表情がわずかに強張った。

 

 日本に向かう旅客機の中。面接映像を見ながら、俺は思った。

 三姉妹は全員、美少女と呼ぶに相応しい綺麗な顔立ちをしている。男性からもモテまくるにちがいない。

 そして、これだけ綺麗なら、おかしな男性が近寄ってきても不思議はない――と。

 実際に、そのに近寄られた経験が、三人一様にあるのだろう。


(男に警戒心を抱いてるのか……)

 

 面接映像の中で、面接者が庭に干していた下着を見ていた、と桜が指摘する場面があった。

 もしかしたらあれは、三姉妹による『トラップ』だったのかもしれない。

 そこで下着に目を向けるような下心だらけの人間であれば、採用する価値はない、と早々に判断できるわけだ。

 

 ……が、しかし。

 そうなると、なおさら俺を採用した理由がわからなくなるのだが……まあ、機密事項であるのなら仕方ない。気にしないでいこう。


「なにより、オカンも『長い付き合いになるし』って、住み込みで働くのもOKみてえなこと言ってたんだからさ。それこそ、気兼ねする必要ねえって――どうよ? クロウ。あたしらの『騎士』になるっつー案は」

 

 空気をガラッと変えて、おどけた様子で訊ねてくる夏海。

 冬子という大人がいないこの家は、たしかに防犯レベルに不安が残る。夏海は成人を迎えているが、ひどく細身で華奢なスタイルをしている。こう言ってはなんだが、暴漢が襲ってきたら一瞬でやられてしまうだろう。

 

 俺の答えは、ひとつしかなかった。


「わかった――みんながよければ、この家を守る『騎士』にならせてもらおう。いいか?」


「へへ、だってよ? 桜、秋樹」

 

 夏海が問うと、桜と秋樹はわずかに頬を緩めて、静かにうなずく。

 俺の肩書きが、ただの家政夫から、住み込み家政夫にレベルアップした瞬間だった。

 と。俺の宿泊に関する話がまとまったところで、桜がパン、と手を叩き、話を切り替えてきた。


「よし。それじゃあクロウ。部屋はあとで案内するから、すこし私に連いて来てもらえる?」


「かまわんが、どこに行く気だ?」


「お風呂」


「……はい?」


「だから、お風呂だってば――ふたりっきりで、大事な話しよ?」

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