【Web版】元スパイ、家政夫に転職する
秋原タク
第一章 元スパイの家政夫ミッション
01話 三姉妹に出会った瞬間、採用された。
その宣告は、唐突に。
「ナンバーナイン。本日付けで、あなたを『
「……は?」
一瞬、脳内が真っ白になる。
昼前のトレーニングルーム。俺は両手に持っていたダンベルを置き、訳のわからない宣告をしてきたスーツ姿の金髪碧眼の女性、キャサリン・ノーナンバーに向き直った。
彼女の後ろには、いまにも泣き出しそうな顔をした同僚の女性スパイたちが、十数人ほど待機している。
「笑えないジョークだ」
「笑えなくて当然よ。これはジョークじゃなくて、単なる事実なんだから」
そう答えるキャサリンの青い瞳は笑っていない。
諜報部の
(嘘や冗談の類ではない、ということか……)
俺は、タオルで汗を拭きつつ。
「……解雇の理由を聞かせてくれ」
「理由ですって?」
「ああそうだ。俺は……まあ出来のいい『スパイ』とは言えないが、それでも『フルピース』のために尽力してきた。文字通り、人生のすべてを捧げてきたんだ」
秘密組織、フルピース。
何百年も昔から、世界を裏で支えてきたとされるフルピースには、ふたつの部署が存在する。
ひとつは、各国の軍に戦闘員を派遣する『軍部』。
もうひとつは、各政府に諜報員――スパイを派遣する『諜報部』だ。
スパイは秘匿性が重要なため、俺のような身寄りのない孤児しか諜報部に入ることはできない。孤児であれば、もし任務を失敗しても死体から個人情報がバレることはない……ひいては、フルピースの存在を隠すことができるからだ。
また、メンバーの名前は『ナンバー○○』といった風に番号で呼ばれている。表記としては、『No,000』といった具合だ。
俺は『No,009』――ナンバーナイン。
みんなからは、ナインと呼ばれていた。
五歳の頃。名もない戦場で、孤児の俺はフルピースの十四代目『ボス』に拾われた。
それから十五年間。毎日欠かさず修練を積み、必死にスパイ任務を行ってきたが、どうしてか任務達成率は10%を越えなかった。
今年で二十歳を迎え、酒を使った工作技術も不自然なく行えるようになった。
これから、大人のスパイとして躍進していく予定だったというのに。
「なあ、教えてくれ。キャサリン。どうして俺が解雇にならなくちゃいけないんだ?」
「『どうして』、ね……」
重ねて問うと、キャサリンは呆れたように背後、十数人の女スパイたちを振り返った。
「……コレを見てもまだわからない?」
「? なんの話だ? なあ、いいから答えてくれ、キャサリン! 俺はどうして――」
詰め寄り、キャサリンの細い肩を両手でガシッ、と掴んだ。
その直後だ。
「――きゃー! この浮気者ッ!!」
十数人の女スパイたちがそう、一斉に悲鳴をあげた。
鋭い眼差しで俺をにらみながら、ボロボロと涙を流して嗚咽をもらしている。中には、その場にくず折れてしまう女スパイもいた。
ふと周囲を見回すと、トレーニングルームで運動していたほかの男スパイたちが、何事かとこちらに視線を向けてきていた。
いや、何事かと思っているのは俺のほうなんだが。
「つまりは、これが解雇理由よ」
言いながら、キャサリンは俺の手を払いのけると、泣き崩れる女スパイたちを見やり、嘆息まじりに続けた。
「ナイン、あなたは女性にモテすぎるの。そのせいで諜報部の女スパイが全員、軒並みあなたの
「なッ……俺の虜だと? なにを馬鹿な……」
「あなたの任務達成率が低い理由、どうしてかわかる? あなたが任務中に関わった女をこぞって
「た、誑かしてなどいない! 人聞きの悪いことを言うな!」
思わず反論するが、たしかに言われてみると、任務失敗の決定打になっていたのは、いつも女性が関係していた気がする。
すると。泣いていた女スパイたちが「いまさら言い訳する気!?」「この無自覚悪魔!」「天然ジゴロ!」「あんなやさしく話しかけてきたくせに!」「でもそんな純粋なとこが好き!」と口々に声をあげはじめた。
待て。ひとり告白してない?
オーディエンスをなだめる司会者よろしく、キャサリンが「どうどう。落ち着いてみんな」と女スパイたちを黙らせ、話を再開する。
「自分のことだから気付きにくいのはわかるわ。でもね? ナイン。あなたの顔立ちや甘い声、日系人特有の綺麗な黒髪は、女性の乙女心を無性にくすぐるのよ」
「そんな、俺は別に……」
「わかってる。あなたはなにも悪くない。でも、このまま諜報部にいられると組織の存続危機にも繋がるの――このことは、もちろんボスも了承している。ナインのことは特別可愛がっていたから、残念がってもいたけどね」
「……そうか」
俺がスパイとして躍進したいと願ったのは、すべてボスへの恩返しのためだった。
俺が在籍し続けることで組織の存続が危ぶまれるというのなら、俺に選択肢はない。
すべては、ボスのために。
「……わかった。今日限りで、俺は諜報部を辞める」
「ありがとう……ゴメンなさいね」
俺の宣言を受けて、キャサリンは申し訳なさそうにうなずくと、脇に抱えていたファイルを取り出した。
「これが次の転属先のリストになるわ。まさか解雇してそのまま浮浪者になれ、だなんて言えないからね。ボスと相談して、かなり優遇してもらえるところをピックアップしておいたわ」
「すまない、助かるよ」
そう言って、ニコッ、とわずかに微笑むと、キャサリンが「う」と短く呻いた。
同時に、背後の女スパイたちまでもが「出た、あのやわらかスマイル!」「わたしはアレに落とされたのよ!」「卑怯よ、あんなの見せられたら惚れるに決まってるじゃない!」「ああもうやっぱ好き!」とおかしな反応をしだした。
うん、告白してるひとは無視しよう。
「どうした? キャサリン」
「な、なんでもないわよ。ちょっと心が乱れそうになっただけ――それで、どこか気になる転属先はありそう?」
「そうだな……」
フルピース内の軍部、各国の陸海空の軍隊、果ては政府極秘の暗殺者など、様々な役職がズラリと並んでいる。
基本はやはり、スパイの技能を活かせる職場が多いようだ。
「転属先は、今日中に決めないといけないのか?」
「一応、明日までにってことになってるけど、早いに越したことはないかしらね」
「そうか。ではこの場で決めないと――、ん?」
ふと。
ファイルの一番下に、一枚の紙切れが挟まれていることに気付いた。
何の気なしにそれを手に取り、確認してみる。
すると。キャサリンが「ああ、えっと……」と、どこかバツが悪そうに口を開いた。
「それは、ワタシのプライベートな親友に頼まれた任務でね? 海外出張で家を空けることになるからっていうんで、誰か適任者がいないか探してたところなのよ。言ってみれば、これこそジョークみたいなもの。まさかフルピースの人間を抜擢するわけにもいかないし、ましてやスパイのナインには到底不釣合いな――」
「――これにする」
遮って、俺は紙切れをキャサリンに差し出した。
「この職場に転属しよう……いや、見るからにフルピースとの関係性はなさそうな職場だから、転属ではなく転職ということになるのか」
「ほ、本気? ジョークだとしたら、笑えないわよ……?」
「笑えなくて当然だ。ジョークではなく、本気で言っているのだから」
「……いや、まあ、ワタシとしてはありがたいけど……本当にいいのね?」
「ああ。よろしく頼む」
「そう……アンタがそれでいいなら、別にいいけど」
怪訝な表情をしながらも、俺の個人ファイルに新たな転職先を書き込んでいくキャサリン。
スパイとして躍進するという夢は
ならばこれを機に、それらスパイ技術を使うことのない、まったく新しい職場に踏み込んでみるのも悪くないかもしれない。
俺は、そう思ったのだった。
「はい、記入完了したわよ――じゃあ、すこし形式ばってやっておきますか」
ペンを仕舞い、キャサリンは咳払いをひとつ。
あらためて俺に向き直ると、局長として新しい職場を告げてきた。
これが、俺の最後の『任務』だ。
「元諜報部ナンバーナインに告げる。日本のS県にある
「了解した」
□
日本に向かう旅客機内。
席の隣前後に客がいないことを確認したのち。俺はノートPCを開き、イヤホンを装着すると、キャサリンから渡されていた動画をクリックした。
動画タイトルは、『家政夫面接 1~23』。
それは、依頼人の葉咲冬子が撮影していた、これまでの家政夫の面接映像のようだった。
親しい友人ゆえに、キャサリンにだけ渡されていた映像らしいが……どうやら葉咲冬子は、海外出張にそなえて、前々から家政夫を雇おうとしていたようだ。
動画のナンバリングを見るに、少なくとも23人は面接に落ちていることがわかる。
キャサリンの話によると、女性の家政『婦』ではなく男の家政『夫』を募集しているのは、ひとえに三姉妹の身を案じてのことらしい。
依頼書によれば、葉咲冬子の夫はすでに他界しているため、家に男の家政夫を通わせることで、娘たちを暴漢やストーカーの手から守ろうとしているのだろう。
日本は治安がいいと聞いていたが、どうやらそうでもないらしい。
「お、再生されたか」
砂嵐が走り、映像が映し出される。
家のリビングであろう空間。観葉植物かなにかの隙間に置かれたデジタルカメラは、ソファに座る三姉妹と、その対面に座る家政夫希望者の中年男性を映していた。
俺がまず注目したのはもちろん男性ではなく、三姉妹。
(これが、葉咲三姉妹か……)
キャサリンからの依頼書で顔写真は確認していたが、動画で見るのは初めてだ。
向かって、ソファの右側に座っているのが――長女の葉咲
淡い茶髪のポニーテイルをした、ジャージ姿の少女だった。
いや、依頼書によると俺と同じ二十歳ということだから、少女と呼ぶのは不適切だろうか。
ソファの上にあぐらをかき、鋭く切れ長の目で、面接者を威圧するように睨んでいる。大雑把というか豪胆というか、こう言ってはなんだが不良のような女性だと思った。
続いて、ソファ真ん中に座っているのが――次女の葉咲
黒髪のセミロングとヘアピン、円らな瞳が特徴的な少女だった。
長女に相反するように背筋をピンと伸ばし、澄ました表情で面接者の話に耳を傾けている。どこかクールな印象を受ける少女だ。
直感的に、この少女が三姉妹のリーダーとして
最後に、ソファ左端に座っているのが――三女の葉咲
長い黒髪を三つ編みにし、分厚い黒縁眼鏡をかけている少女だった。
背筋は丸まり、面接者の顔を見ようともせずうつむいている。
内気な性格なのだろうか。
ただ、その身体つきだけは、三姉妹の中でダントツに豊満なソレだった。ニットのセーターを着ているのだが、胸元がはちきれんばかりにふくらんでいる。
(みんな綺麗な顔立ちをしてるな……)
うつむいて顔がよく見えない三女ですら、鼻や唇の輪郭から綺麗であることがわかるのだ。
きっと三人とも、男性からモテまくるにちがいない。
(なるほど。家政『夫』を雇おうとするわけだ)
これだけ綺麗なら、おかしな男性が近寄ってきても不思議はない。
母親の葉咲冬子は、画面端に足だけ映っていた。まるで傍観者よろしく面接を見守るような位置だ。
家政夫の世話になるのは三姉妹だから、三姉妹に決定権を委ねているらしい。
話し声は、当然のことながらすべて日本語だった。
スパイは複数の言語は話せて当然なので、少女たちの会話もしかと聞き取れた。
(まあ、『元』スパイだけど……)
すこしセンチな気持ちになりながら、会話を聞き進めていく。
中年男性の主張が長く続いていた。料理がこれだけできる、掃除も得意、家事ならなんでもこなせると、とにかく必死になって自分をアピールしていた。
……というか、すこし必死すぎないか? この男。
しかし。そんな男性のアピールもむなしく、三姉妹が下した結果は。
『ゴメンなさい』
という、無慈悲なものだった。
三姉妹のうちのひとり、残酷な結果を告げた次女の桜が、不快そうに眉をひそめながら言う。
『あなた、さっきから庭の洗濯物をチラチラ見てましたよね? 私たちの下着が干されている、あの洗濯物です』
次女が庭先を指差しながら問うと、男性は慌てて否定しはじめた。
まるで図星とでも言わんばかりの否定の仕方だった。
『私たちをそんなイヤらしい目で見るひとに、家政夫を任せることはできません――どうぞ、お引き取りください』
にべもなく言い渡したのち、中年男性は肩を落として席を立った。
そこで、ひとつ目の面接映像は終了し、次の面接映像がはじまった。
「……なるほどな」
23名すべての面接映像を見終え、俺はノートPCを閉じる。
この映像を見てわかったことは、三姉妹に嫌われた時点で俺の家政夫としての道は途絶える、ということだ。
依頼人の葉咲冬子には、キャサリンが直々に口添えしてくれているらしいが……それでも、三姉妹がうなずいてくれる保証はない。
どうにかして、三姉妹に好印象を与えないと。
「なにもしなかったら、本当に浮浪者になってしまう……」
戦々恐々としている中。無情にも、間もなく日本に着陸する、というアナウンスが機内に響いた。
「なにも思いつかなかった……」
愕然としながら、俺は夕暮れの住宅街を歩く。
花束や菓子折りなど、手土産を持っていくことも考えた。しかしそれは、変に機嫌を取ろうとしていると受け取られる可能性があった。
事実、あの面接映像でも、手土産を持参した面接者はものの数分で押し帰されている。
「元スパイであることをアピール? いや、秘密組織のことをバラしてどうするんだ……」
特技らしい特技を身につけてこなかったのが悔やまれる。
すでに面接に落ちたかのごとく肩を落としながら歩いていると、いつの間にか目的地――葉咲家の前に到着してしまっていた。
「……ああ、クソ。もうどうにでもなれ!」
半ばヤケクソで敷地内に踏み入り、インターホンを押す。
「はーい」という声がして、程なくして出てきたのは、四十台ほどの綺麗な女性だった。
依頼書で見たから間違いない。このひとが三姉妹の母親、依頼人である葉咲冬子だ。
こうして直に見ると、たしかに三姉妹に似ている。正確には、三姉妹『が』似ているのだろうけれど。
「あら? あらあらあら? もしかしなくても、『
「はい。はじめまして、葉咲さん。今日は面接のほう、よろしくお願いします」
依頼主の機嫌を損ねないよう、丁寧にお辞儀をする。
ちなみに。『野宮クロウ』というのは、俺の日本での偽名だ。
『No,009』の『
数分で思いついた名前だが、案外気に入っている。
閑話休題。
「ええ、ええ! こちらこそよろしくねー! いやあ、ほんと助かったわ! 実は、もうこのあとすぐに飛行機で
「え? いや、でもまだ俺が採用されると決まったわけではないんじゃあ……」
「大丈夫よ! キャサリンが認めた子だもの、娘たちも認めるはずだわ――それに、うん! クロウくんの顔見たら、たぶん即決すると思うわよ、あの子たち」
ふふふ、と意地の悪そうな笑みをこぼす冬子。
どういう意味だろう? 思わず首をかしげていると、冬子は「まあとにかく、さっさと入っちゃって!」と俺を強引に家の中に招きいれた。
そのまま手を引かれる形で、リビングに向かう。
「というか、クロウくんって日本人だったのね。おばさんビックリしちゃった。キャサリンの紹介だから、てっきり外国のひとが来るかと思ってて」
「正確には、日系人ですね。半分は日本人ですが、もう半分はわからないそうです」
「あら、そうなの――ああ、ほんとだ。瞳の色がすこしだけ青いのね。綺麗だわ」
「ありがとうございます。恐縮です」
「じゃあ、クロウくん。そっちのソファに座って待っててもらえる? いますぐ三人を呼んでくるから」
「了解しました」
俺の返事を聞き終わる前に、冬子はドタドタドタ! と小走りで二階に行ってしまった。
なんというか、元気な母親だ。バイタリティにあふれているというか。
さておき。
問題はこのあとの面接だ。
(最初、なんて挨拶しようか……)
これまでの面接者は、企業の面接よろしく堅実な挨拶をしていた。俺も無難にそうしておくべきだろうか?
だが、堅い印象を持たれてしまうと、好印象に繋げにくくなりそうだし。
なんて、スパイ任務よりも頭を悩ませていた、そのとき。
「お待たせ、クロウくん!」
冬子が、
すると。
「「「…………」」」
三人が三人とも俺の姿を見て、なぜか唖然とその場に立ち尽くしていた。
信じられないものでも見ているかのような、はたまた、なにかに見惚れているかのような、そんな表情だ。
俺はすぐさま立ち上がり、とにかく挨拶をしようと頭を下げる。
瞬間。バランスを崩してしまい、目の前のテーブルにゴン! とスネをぶつけてしまった。
「あらら! 大丈夫? クロウくん!」
「え、ええ。大丈夫です、ありがとうございます」
駆け寄ってきた冬子に礼を言いながら、俺はあらためて三姉妹に向き直り、すこし微笑んでみせる。
「あはは……すみません、いきなり失敗してしまいました」
「「「…………」」」
「はじめまして。野宮クロウと言います。今日は、この家の家政夫の面接に――」
「――採用」
ぼそり、と。
そう、熱に浮かされるようにつぶやいたのは、茶髪ポニーテイルの長女、夏海。
続けて、隣り合う次女の桜と三女の秋樹が、こくこく、と無言で力強くうなずく。
今度は、俺が唖然とする番だった。
「えっと……採用、というのは?」
「ほら、おばさんの言った通りになった! 今日からこの子たちのこと、よろしくね!」
そう言い、冬子が祝福するようにして俺の背中を叩いてくる。
……なにが決め手になったのかは定かではないけれど、
こうして、俺は葉咲家の家政夫に採用された。
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