竜の居ない洞窟(11)

 ワイバーン。一言で言えば空飛ぶ蜥蜴とかげ。農民に言わせれば「殺したいほど憎いヤツ」で、狩人からすれば金貨三枚でようやく依頼を受けるか検討するような獲物である。


 一口にワイバーンと言ってもその種類はいくつかいるが、そのほとんどに共通する特徴としては、ぴっちりと鱗の敷き詰められた細身でしなやかな身体と、広げれば頭から尾の先よりも大きな翼、そして生半可な鎧程度ならバターのように引き裂いてしまう鋭利な爪である。


 ワイバーンの多くは山や荒野に住み、稀に人里に下りて来ては農作物を荒らしていく。

 村を直接襲うことはまずありえない。ずるがしこいやつらワイバーンは村を襲えば自らに危害が及ぶ可能性があること、そして得るものが少ないことを知っているのだ。


 狩人や兵士と戦う際も、自分が持っている翼という利点を最大限に生かして戦う。弓を持たずに剣一本でワイバーンに抗うことは不可能に近い。もちろん、そういった逸話いつわがない訳ではないけれど。


「どうしてワイバーンが? この辺りは……やつらが生息する環境じゃないはず」


 ほとんどが高地を縄張りとするワイバーンだけれど、何種類かは平地に脚を下ろすものも存在はしている。カフェトランは頭の中でいくつかの名前を上げた。アリツクシラ。サフ・ラス。エドルルシア。……しかしそのどれもがこの辺りを縄張りにするとは思えなかった。


 そもそもワイバーンが洞窟に潜んでいるなんていうのも聞いたことがない。大きな翼を持ちながらそれが意味をなさない洞窟に潜む。そんな愚かなことをするワイバーンは存在しない。


 ……その声は、本当にワイバーンのものだったのか?

 硬い表情でパイプを磨いている彼女を見て、カフェトランはその言葉を飲みこんだ。彼女はそんな早とちりや思い込みはしないだろう。確信が無ければこんなことは言わないはずだ。


 それに――本来ならばワイバーンがいるとは思えない環境だが、しかしここが竜教徒の村だとすると、ある可能性に思い至るのである。竜については詳しくないが、ワイバーンについてなら、狩人である自分は誰よりも知っている。


 ワイバーンという怪物は……竜教徒や生物学者の抗議の声を畏れずにあえて誤解を招くような表現をするのならば、小さな竜なのである。


 翼蜥蜴よくとかげと呼ばれることもあるそいつらは、人を襲ったり繁殖をしたり、聞いたことはあまりないが手なずけることもできたりと、本来の竜との違いは挙げればきりがない。その性質は粗暴な獣そのものだ。ただし、その見た目の特徴だけを取り上げれば、竜との子供と言われても納得してしまうほどである。


 そのため、竜教徒の中にはワイバーンを竜の仲間として神聖視する者が存在する。

 世界を観測するために生み出された竜の目であるとか、長い時を生きたワイバーンが竜に進化するだとか、ワイバーンと竜の間には様々な憶測が存在するのである。


 もちろんその憶測の中には神聖視するようなものだけではなく――竜を模して生み出された許されざる存在、と見做すものも少なからず存在している。曰く邪な魔法使いが、曰く邪心が、神聖な竜を独自に生み出そうとした失敗作だと。

 そうでなくとも、竜の姿を模していること自体が許しがたいと考えている過激な信者も存在するのである。


 ワイバーンを殺すところを誰にも見られてはいけない。誰にも言ってはいけない。カフェトランが狩人としての教育を受けていた時の、村の長老の言葉だった。


「……飼っている」


 パイプをしまうと、丸焼きが言った。それに対してカフェトランは何の言葉も返さず、頷く事さえしなかったが、丸焼きはカフェトランの目を見据えながら言葉を続けた――お互いが当然分かっていることなんだから、わざわざ説明する必要なんて無いだろう? そう言わんばかりに。


「人間の足跡もいくつもあった。それもつい最近――今日の昼間にできたような真新しいものが、ね。洞窟でワイバーンを飼育するだなんて大胆なやつらだな。旅人や冒険者に見つかったらどうするんだ。……まあ、逃げるのか。私みたいに」


 丸焼きは自嘲気味に笑うと、背嚢を持ち上げた。




*




「いい? ちょっと、様子を窺うだけだからね?」


「……分かってるよ」


 散々繰り返された言葉に、うんざりしたように丸焼きが返事を返した。


 その洞窟は、なるほど、確かに遠目で見ると岸壁のへこみにしか見えなかった。入口だけ見れば相当大きな穴に見えたが、少し歩くと横幅はみるみる狭くなっていく。

 三人なら横に並んで歩けなくはない、程度の道幅になると、それ以上細くなることはなくなった。


「ほら、ここにも足跡だ」


 言われてランタンの光を近づけると、確かに苔が靴の形に剥がれているのが見えた。それもかなり、新しいものだった。


「……どうしてワイバーンを飼ってるのかしら?」


 丸焼きの意見を聞いてみようと思いそう訊ねると、


「そんなの、分かりっこない、というか意味がないよ」


「……どういうこと?」


「見えているものが違うんだから。竜は凄い存在、ワイバーンは怪物、私たちはそう見ているが、竜教のやつらには全く違うものが見えている。だから違うものを感じて、違うことを考えてる。考えるだけ無駄だよ」


「まあ、そうかもしれないけれど……」


 阿呆な質問を嗜められたような気がして、カフェトランは少し唇を尖らせた。


 ――音、が聞こえた。

 獣の、鳴き声。

 唐突に洞窟の奥から響いて、二人の意識に叩き付けられた。


 強いて言うのならば、猫のような声だった。にゃあ、という甘える時の物ではなく、威嚇する時の野太い声。だけれどそこに、金属を擦り合わせたような、耳の奥の神経に突き刺さる鋭い響きが混ざり込んでいる。


 この特徴的な鳴き声は――間違いない、ワイバーンのものだった。カフェトランは丸焼きと視線を交わすと、それを肯定するように頷いて見せた。


「……だから、考えなきゃいけないのは、ワイバーンはどこからやって来たのか、ということだ」


 そう言いながら、丸焼きはわざとらしい動作で回れ右、きびすを返した。様子を窺うだけなんだろう? これでいいんだろう? そう言わんばかりに肩を竦めた。


「この村のやつらは、どこからこいつを連れてきて、どうやってこの洞窟の奥にし込めたんだろうな?」




*




 宿に戻って荷物を下ろす。まだ夜は明けていないが、そろそろ世界が明るくなってくる頃だろう、ということは何となく分かった。


「煙草、」丸焼きは早速荷物の中からパイプ入れを取り出していた。「吸ってきてもいいか?」


「勿論。……別に、部屋の中でも平気よ? あたしのことは気にしないで――」


 気にしないでいいからと言い終わる前に、床板の軋む音が耳に触れ、言葉を止めた。その音は等間隔で何度か続いて、部屋の前で止まった。


 カフェトランと丸焼きは、視線を交わして息を飲んだ。唾を飲んだ。今は真夜中、この時間の来訪者は異常である。つまり、二人が起きていることを知っているのだ。……そしてこのタイミング。二回、ノックの音が聞こえた。


「夜分に申し訳ありません、お二人とも。ヤリニケラです」


 丸焼きは……息をゆっくりと吐いて、シャグの詰まっていないパイプを噛んだ。

 カフェトランは太もものナイフに手を添える。今度は彼女は、それを遮らなかった。


「……お二人とも、あの洞窟を見てしまわれたんですね?」


 低い声だった。

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