竜の居ない洞窟(12)
「できれば知られたくないことではありましたが、だからといって物騒なことは何も考えてはおりませんよ。そんな、身構えないでください」
柔和な笑みを浮かべていた。
ヤリニケラは扉が開かれると、一言断ってから備え付けの椅子に腰を下ろした。そして「コーヒーでもどうですか」と水筒とカップを三つ、取り出した。水筒の蓋を開けるとそこから湯気が立ち上る。
彼はこちらが何も言っていないにもかかわらず、コーヒーを淹れて手渡した。カフェトランが手を伸ばすと丸焼きが横から入るようにしてカップを受け取り、すぐに口を付けた。深い茶色の液体を舌に泳がせると、「……うん、おいしい」、彼女はカフェトランの目を見て、そう呟いた。毒見をしてくれたのだ、ということに気が付いた。
「あなた方が村の外から帰ってくるのを見たと村の者が報告してきまして、もしかしたらと訊ねて来たという次第なんです」
カフェトランにもカップを渡すと、彼はにこりと目を細めてから自身もコーヒーを啜った。「徹夜で飲むコーヒーは旨いなあ」と呟いてから、「早速本題なのですが」とカップを置いて切り出した。
「端的に言いますと、この事は秘密にしてほしいのです。絶対に、この村の外で、その事を口外しないでいただきたい」腰は低かったが、強い口調だった。
「ふむ」まあそうだよな、といった風に丸焼きは呟いた。
「……一口に竜教と言っても様々な考え方があるのはご存知でしょうか? 世界にはワイバーンを保護しているということを快く思わない信者も多いのですよ。このことが知られたら……この村が地図から消えてしまう、なんてこともあり得ます」
「”保護”か」
「……ええ。翼を怪我して飛べなくなっていたワイバーンを保護しているのです」
「……種類は?」カフェトランが言った。
「はい?」
「そのワイバーンの種類はなんですか? サフ・ラス? ヒプゴラス?」
「アリツクシラです」
「嘘ですね」静かに、しかし鋭く、言った。
「……どうしてです?」にこやかに細めた瞳の奥から、なにか鋭いものをカフェトランに向けた。「どうしてそう思われるのですか」
「アリツクシラを初めとした大型ワイバーンのほとんどは、身体の重み故、翼が完全に発達しきる成体までは飛ぶことができません。……洞窟の横幅はかなり狭かったはずです。万が一ここにアリツクシラが降りてくることがあったとしても――あそこを行き来できるとは思いません」
「……」
丸焼きがカフェトランの顔を見てにやりと笑った。
「別に、私たちはお前らの秘密を暴きたいんじゃないんだ。正直に言えば、どうでもいい。厄介事はごめんだ。……偶然知ってしまって、申し訳ないとすら思っているよ」
彼女はコーヒーをもうすっかり飲み干してしまって、小瓶からシャグをつまんで丸めていた。食べるのは遅くとも、飲むだけなら早いようだった。
「だけれど、秘密にされると、怖い。しっかり事情を教えてもらって、あのワイバーンがどんな意味を持つのかを知って、どうしてそれが他言するとまずいのかを理解しないと、怖いじゃないか。……私たちにとっても、お前たちにとっても、な」
火を付けていないパイプを吸って、はあっと大きく息を吐いた。
……ヤリニケラは相変わらず薄く笑みを浮かべていたが、おもむろにそれを苦々しい顔に変えて頭を掻く。
「いやあ、やっぱり、旅人さんを騙すのは難しいですねえ。長い旅路を、その身で、その武器で、その頭で、生き抜いてきたんですからね」そして座り直すと、深々と頭を下げる。「大変失礼しました」
「……いえ。あなた方にも事情が有るのでしょうし……」
宗教なのだから、部外者には話せないことも多いのだろう。「まあそうですね」と彼は頷き、しかし「本音を言えばどうにかやり過ごしたかったですが、もう、そうもいかないようです」と背中を丸める。
そしてちびとコーヒーで舌を湿らせ、言った。「我々は竜を生み出そうとしているのですよ」。もちろん、白と黒の二人のエルフは言葉を失った。
*
「ワイバーンが竜に成ると、あなた方はそう考えているということですか?」
「ええ」あっさりとヤリニケラが頷くものだから、カフェトランはそれ以上何も言えなくなってしまった。「あのワイバーンを、わたしたちは竜へと育てているのです」
そこには生物学的で論理的な理屈は、無いのだろう。ただ彼らにとってはそれが当然の考え方というだけだ。
全く違うものが見えている。だから違うものを感じて、違うことを考えてる。考えるだけ無駄だ――なるほど、たしかにその通りだった。
カフェトランの思考を見透かしたように、丸焼きが鼻を鳴らした。
「私たちは、私たちの竜を手に入れたいのですよ。別にそれを使って異教の者を滅したりとか、その存在を
「欲しい、ですか」
「ええ、欲しいのです」ヤリニケラは大きく背中こと頷いた。「……勿論我々なりの信仰に基づいて、竜を生み出す、その結論にたどり着いたのですよ? ですがそれも含めて、飾らない言葉で言うと、我々が竜を欲しているからなのです」
理論で武装をせずに、それらしい理屈で装飾せずに、“欲しいから”と断言している。結局のところ、それは欲求だということを認めている。
それを自覚しているのは、なかなかどうして厄介――誰かの言葉や理屈を聞いても、彼のその決意は揺るぐことはないだろう。
「ですから、我々はワイバーンの卵を、あの洞窟の最奥で卵を
「……あなた達は、」
丸焼きは、何かを言いかけた口を止めた。どう伝えるべきか、言葉を選んでいるらしかった。
「あなた達は――あえてこの言い方をするが――異端として追放されたんだな? おそらく、ササラサンの聖地から……」
「すごい。そんなことまで分かってしまうのですか。ええ、その通りですよ」
ヤリニケラは本心から感心したように、頷いた。
「別に、凄くもなんとも。宗教的に、神を生み出そうなんて考えが認められる訳がないからな。あの手彫りの竜の石像といい、祭壇が地下にあることといい、まあ、ひっかかることはいくらかあった」
「ササラサンの人間だと分かったのは? ……ああ、この肌と髪ですか」
「偶然、あそこには行ったことがあったから」
「あの地方の人間は特徴的な顔をしていますからね。私はこれでも半ササラサン人、ハーフなのですがね。……それで、」
「ああ」
「……黙っていてくれるのでしょうか?」
「……その事情が分かれば、話す理由は何もないよ」彼女はカフェトランの目を見た。全く同じ考えだと分かると、頷いて、言葉を続けた。「言ってしまえば、私たちにとっては全く益の無い話だったからな。わざわざ言いふらして、恨みを抱かれるような真似はしない」
黒い瞳の目じりに皺を刻みつつ、ヤリニケラは黒い短髪を撫でた。
「……ありがとうございます。では、お礼と言ってはなんですが、もしよろしければお二人とも、洞窟の奥――我々の竜に、会ってみますか?」
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