竜の居ない洞窟(9)

 宿屋の女主人と顔を合わせた時は、まさかドワーフがこの村で宿屋を営んでいるのか、と驚きを隠せなかった。しかしよくよく見てみれば、顔の幅と同じくらいの太い首、丸太のような腕をしているだけで、ただのヒューマンであると気が付いた。

 ドワーフかと思いましたよ、だなんて、このご時世でなくてもとても言えない冗談である。


 金を払えば昼食と夕食を用意してくれるというので、カフェトランと丸焼きは一瞬目を交わした次の瞬間には財布の紐を緩めていた。

 懐事情は苦しいが、狩りをするような矢の余裕も気力も、なかった。いくらひんしていても、できればここしばらくは、人の作った暖かい料理を食べたかったのだ。


「思ったよりも……質素な場所だったわね」


 椀に残った薄味のスープとその具であるジャガイモとニンジンのクズを、パンで拭って口に運ぶ。部屋に運ばれてきた昼食を食べ終わろうとしているカフェトランに比べ、丸焼きはまだ半分も食べ終えていなかった。


 彼女はずっと噛み続けていたマスの干物を、スープと共にようやく飲み下した。指先を舐めながら「そうだな」と頷く。


「……丸焼きは、他に竜教の信者とは会ったことはあるの?」


「あるよ、そりゃあ」


 さも当然といった風な口ぶりに、カフェトランは首を傾げた。


「……お前は会ったことがないのか? ……ああ、そうか、お前は“血脈”だからヒューマン領には近寄らないのか」


「竜教の信者はヒューマンが多いの?」


「竜教だけじゃない、宗教全般に言えることだな。こういうのが流行るのは、決まってヒューマンの歴史の中だ」


 丸焼きは歯の隙間からマスの骨を取ると、部屋の隅へと弾いて捨てた。


「エルフは自然の神と獣の神の分身として生まれ、ドワーフは命の宿った鉱石の子孫で、トロルも似たような価値観を持っている。ヒューマン以外の種族の多くは、その種族として生きることそのものが宗教的な側面を持っているんだよ」


 だから、わざわざ他の神とか価値観を信仰する理由が無いんだ。彼女の言葉に、なるほど、カフェトランは頷いた。


 カフェトランだって竜に対して畏敬いけいを感じてはいるけれど、それはあくまで絶対的な強者に感じる尊敬と恐怖であって、それ以上でもそれ以下でもない。それはつまりカフェトランがエルフで、自然と獣から生まれた一族で、自然を守り獣を狩る誇り高き種族だからなのだろう。

 自分が生まれたのは森の中であって、竜の見守る世界ではないのだ。


「あるいは、あなたやノームみたいに、宗教なんて堅苦しいものに興味がないってことね」


「そういうことだ」丸焼きは笑い出した。「ナイトエルフはそういった宗教からは程遠い思想をしているが、ただ依然に一度だけ、哲学的だとは言われたことがあったな」


「哲学的……。そういうのは妹が好きそうね」


「私も、さっぱりだ」


 話題があまり得意でない方向へと逸れたのをみて、カフェトランは袖に口を押えて咳払いをした。「他にもこういう場所に来たことはある?」


「ある」短く頷いた。「ササラサンとアムゴン。どっちも竜の住処の近くに作られた竜教徒の街だから、なんというか……凄まじいぞ」


 ササラサンはどこまでも広がる一面の砂漠地帯で、アムゴンは東方にあるいくつもの山塊が続く場所。足を運んだことはないが、この大陸で生活をする者としては当然知っている。……そして、どちらも人が住まうにはとても適した場所ではないということも。


「凄まじいっていうのは、規模がってこと?」


「それもそうだ。もちろん都市に比べれば随分と小さいが、それでもそれなりの規模の街に、あいつ――ヤリニケラみたいなやつがうじゃうじゃいる。そいつらは皆、竜の為なら平気で家族や命を捨てるようなやつらだ。……善悪は語らないし私は語れる立場にはないが、まあ、なかなかどうして面白い場所だったよ」


 どうしてササラサンとアムゴンなんかに訪れたんだ、とカフェトランが訊ねると、「お前に付いて行っているのと同じだよ」と丸焼きは言った。


えんのあった旅人について行ったんだ。……途中で竜が目的だと知って、……あの時ばかりは始めて前言撤回しそうになったよ。まあ結局、いくつもの領地と国とをまたぐことになったんだが」


「……そんなことが二回もあったの? じゃあ、二回も竜に会ったことがあるのね」


「いや、」と、彼女は昔を懐かしむような目で、染みのある天井を見上げた。「どっちも同じやつと一緒に行った。そして、私は竜には会ってない。……そいつもな」


「……どうして?」


「合わせてくれなかったからに決まってる」丸焼きはその時の憤りを思い出したようにふんと鼻を鳴らした。「これはササラサンの竜教徒に限らず、聖地というのはどこもそういうものらしい。信仰対象である竜を、そのありがたみも理解できない興味本位の旅人と合わせる理由はないからな。それからアムゴンにも言ってみたが――まあ、な」


 これは後に彼女から聞いたことだが、一言に竜教と言っても、そこには様々な派閥があるらしい。竜に近い土地――“聖地”に根を下ろす教徒たちは、その土地の竜を絶対視しそれ以外の教徒を敵視しているのだ。曰く、


「この大陸に存在する竜は六体。だから全ての竜を崇める者達も含めると、大きく分けて七つの派閥があるということになる。竜を畏れ敬う気持ちが最初のはずなのに他の竜を敵視するだなんて、全く、私には宗教というものがよく分からんね」


 とのことだった。


「じゃあ、アムゴンの後はもう諦めたってこと?」


「……まあ、そうだな」と、彼女はそこで露骨に言葉を濁らせた。表情には出さないようにしてたるが、これ以上のことを立ち入って聞かれるのを嫌がっていた。


 彼女は竜のことに対して無知なカフェトランに対して様々な知識を教えてくれたが、アムゴンに訪れた後の後の旅のこと、それから共に旅をしたという人物については、結局別れるまで何も話してくれなかった。

 いくらか予想することはできるが――いずれにせよ、それは邪推の域を出ないだろう。

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