竜の居ない洞窟(8)

 大男はヤリケニラと名乗った。これは本名ではなく宗教名で、竜の言葉で“山”を意味すると教えてくれた。


「私は他の宗教で言うところの司祭といった感じですかね。この祭壇の管理と、儀式の一切を取り仕切っております。竜教ではガヴアムと言います」


 ヤリニケラとガウアム。

 ……聞きなれない響きの言葉は、頭の中の手帳に刻みこむにはもう少し時間が必要だった。


「まあ竜と彼らの言葉で会話をした人間はいませんから。”ヤリニケラ”も”ガウアウ”も間違っている可能性も十分にありますがね」そう言って彼は苦笑を浮かべた。


「……あの、不勉強で申し訳ないのですが」カフェトランはそう前置きをして、「竜と話した人間は存在しないのですか?」と訊ねた。「たしか竜と対話をした人の紀行文があったと思うのですが……」


「おや、もしかして読んだことがおありで? 一体どれを読んだんですか? 一番有名なのは『竜史りゅうし』ですが……近年だと『金床きんしょうの音遠く』ですかね? いや、エルフだと『ジャビッツの紀行文きこうぶん』かな?」


 身を乗り出し饒舌じょうぜつまくし立てるヤリニケラ。しかしカフェトランには彼の口にした本の一切に心辺りがなかった。


「……申し訳ありませんが、どれも」ばつが悪く首を振る。「妹からそんな話を聞いたことがあったんです。妹が他種族の歴史や文化に興味を持っていて。あたしはそういうのは全く……」


「ああ、なるほど。……あっ、いえいえ、そんな、こちらこそ申し訳ありませんでした」


 ヤリニケラはと口を開けると恥ずかしそうにローブを直し、咳払いをしてから一歩後ろに下がった。


「それらの紀行文や研究文もあるように、竜と対話をした者は――決して多くは有りませんが、存在はします。ただ、“竜の言葉”で会話をした者がいないのですよ」


「竜はすべてを知っている――だったか」


 丸焼きが顎を撫でながら呟く。

 その言葉に、ヤリニケラは満足そうに頷いた。


「本当に全てを知っているのかは分かりませんが、そう言われるほどの人知を超えた知性を持っているのです――自らを訪ねてきた人を一目見ただけで、何の目的でやって来たのか、何を訪ねようとしているのかも分かってしまうのです」


「その言葉が間違っていたとしても、言わんとすることは伝わっている、ということか」


「ええ、その通りです。そしてなぜか、彼らは我々に竜の言葉で語りかけることはありません。ですから、かつて竜が人間と盛んに関わっていた時代の古文書こもんじょを解読するしか、知る方法がないのです」


「……そんな時代があったんですか?」


「ええ、そうですよ。情報が足りなさすぎて研究もまるで進んでいませんから、我々のような竜教徒以外で知っている人は少ないですがね……。しかし、今以上に竜が人間と密接にかかわっていた時代があったことは確かです。竜の言葉についての記録が見つかっているくらいですからね」


「……まるで竜はその言葉を隠そうとしているみたいですね」


 カフェトランが何気なしに呟くと、ヤリニケラは「私もそう思います」と頷いた。そしてどこか遠い目で石像を見て、「その事について竜に尋ねたのですが、何も教えてはくださいませんでした……」と、しみじみといった様子で呟いた。


「あなたは竜に会ったことがあるのか?」


「竜教において、ガウアム以上の役職に就けるのは直接竜に会った者のみ、とされています。……近年ではその限りでもないようですが」


「一体どこの竜に会ったんだ?」


 彼はランプの吊るされた天井を見上げた。「北の竜こと、エリヨルの氷山に住む竜です」


「それはまた、険しい所ですね……」


 エリヨルと言えば、名前ある土地としてはこの大陸での最北端である。敬虔けいけんで熱狂的な竜教徒ですらほとんど諦めている、とてもじゃないが人間の住める場所ではない。


「私はあそこで生まれましたから、竜と言えば氷山の竜だったのですよ。……十人ほどの仲間と登山をしたのですが、結局彼と会えたのは私だけでしたがね」


「……それは」


「ええ」


 むしろ彼一人でも生きて帰って来れただけでも、あまりにも幸運な程だろう。

 ヤリニケラは遠くを見つめていた目を細め、曖昧に笑った。


「じゃあもしかして、エリヨルを離れてここにやって来たのも……?」


「ええ。竜の下を離れるのは……苦しい決断でしたが、しかし、北の竜が仰って下さったんです……――」


『崇めたければ、好きにするといい。その方法も、自由にすればいい。以前尋ねて来た者は、この険しい環境に身を置く事こそが信仰なのだと言った。またある者は、信仰を続ける為にも死ぬ訳にはいかないと言った。お前はどう考える。どうするべきだと考える。私は人間の考えなどどうでもいい。だから、お前の思うようにすればいい……』


 まるで歌を口ずさむように流れる軽い口調だったのは、きっと彼が何度も何度もその言葉を反復したからに違いない。おそらく、一字一句たりとも間違っていないのだろう。


「――……そして、私はエリヨルを離れることを決断しました。それからは世界中を巡り、様々な竜と出会う為に放浪の旅を続けたのです。……まあ、結局あれ以来、竜と面会することは叶わなかったんですけれどね」


「それはまたどうしてだ? あなたは竜と面会したこともある敬虔けいけんな教徒なのではないのか?」


「……竜教も一筋縄ではない、ということですよ。竜の傍に身を置いている者は、それぞれがそれぞれのコミュニティ――派閥となってしまい、それ以外の者を受け入れようとはしないのです。……特に辺境であるエリヨルに住んでいた私にとっては、その時に初めて知ったのですがね」


「……それで最終的に身を置いたのがここだったんですね」


「はい。まあ、身を置いたというか、身を置ける場所を作ったというか……。同じような境遇だった、居場所の無い竜教徒たちを集めて村を興したのです。それがこのアラルナ村。……竜とは縁もゆかりもない土地ですが、私たちにとってはここが唯一無二の居場所であり聖地なのですよ」


 ヤリニケラは石造の竜の頭を撫で、続いて口の中の歯を指先でなぞった。「私はきっともう二度と、竜に会うことは叶わないでしょう。ですが、彼らを信仰することには場所も何も関係ありません」。そう語る彼の眼は優しく細められていたが、しかしその奥からにじみ出る哀愁あいしゅうは隠せてはいなかった。


「……余談ですが、このアラルナというのも、竜の言葉で“あぶれ者”を差していると言われているのですよ」

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