竜の居ない洞窟(3)

 『淡泊たんぱくで落ち着き払った丸焼き』。

 彼女は一体急に何を言い出したのだろう――カフェトランはそう考えたところで、ダークエルフという種族は自分たち以上に特殊な命名法則を持っていることを思い出した。

 詳しい事は知らないが……確か、性格を名前として名付ける、後天的に名付けられる、とかだったか?


「ナイトエルフの名前は三つのせつから成っている」


 彼女――『淡泊で落ち着き払った丸焼き』は、魚の骨と串を投げ捨てると、指を三本、顔の横でぴんと立てた。


「【短所】【長所】、それから【特長や癖】の三つ。この三つを組み合わせて名前とする」


「それがあなたの場合は――【淡泊】で【落ち着き払った】【丸焼き】……」


「その通り」


 だとしても変な名前だろう? と言わんばかりに、彼女は肩を竦めて見せた。


「……どうやって呼べばいいの? その長い名前を、全部口にした方がいいの?」


「いや、基本的には最後の部分――特徴や癖の部分だけだ。つまり私の場合は、」


「【丸焼き】……」


「そういうことになる」


 そして彼女――“丸焼き”は忌々いまいましそうに眉をひそめ、「勿論、この名前は気に入ってないよ」と吐き捨てた。


「ナイトエルフは生まれてすぐに名前を付けない。旅の中で出会った同胞どうほうと行動を共にして、生き残るすべを教えてもらい、そして別れ際に名前を付けてもらう」


 彼女は顔の横の三本の指、その内人差し指以外を引っ込めて、


「最初に短所を。自分の悪い癖をいましめるために」


 今度は中指を立て、


「次には長所を。自分の良い所を自覚して、そこを伸ばす為に」


 そして最後に薬指を立てた。


「そして最後に――特徴や癖だ。癖というのは、これまでの旅での経験、つまりそれまでの人生が現れたものだからだ」


「……それが【丸焼き】なの?」


 すると彼女は、再び顔をしかめた。


「名付けるやつの意地が悪いとこういうことが起こり得るんだ……」


 そのダークエルフの旅人――“丸焼き”は、その意地の悪い名付け主の顔が思い浮かんでしまったようで、「ああくそ、本当にふざけてる」、乱暴に耳の付け根を引っ掻いた。


「……まあ、それも次で終わりだけどな」


「……と言うと?」


「私たちの名前は一定じゃない。癖の名づけが終わると、また最初から――つまり短所から名付け直していく。そりゃ、短所も長所も癖も変わっていくからね」


「それで次が【丸焼き】の改名ってことなのね」


「その通り。やっとこの名前から解放されるんだ」


「ちなみに、その丸焼きっていうのは……」カフェトランは、先程丸焼きが投げ捨てた魚の骨を指差した。「これのこと?」


「……私は料理が苦手なんだ。それを随分ずいぶんとからかわれて……もう、十年以上も前の話だ」


 やはり忌々しそうに、しかしどこか昔を懐かしむように、彼女は細めた目を星空に向けた。


「旅の中で出会った同胞に名前を付けてもらうってことは、じゃあ親は? 親は名前を付けない訳なの?」


「ああ、そうだよ」あっさり、彼女は頷いた。「最低限生き延びる術を教えたら、もう他人同士だ」


「……どうして?」


 カフェトランは、自分の声が低くなるのを感じた。

 エルフという種族は、家族とか、種族とか、自分の属する集合体を何よりも大事にする。……物心付く前の我が子を旅に出させるなんて、ともすれば殺人とほとんど同義である。他の種族の文化だということは理解しているが、それでも感情で納得できなかったのだ。


 そんなカフェトランの心境を察したのか、丸焼きは小さく口の端を吊り上げて笑った。


「ナイトエルフは自由の種族だ。……家族や名前は“かせ”になる――もっと言うのなら種族という肩書も自由の前では邪魔になる」


 ぴく、と、カフェトランはこめかみのあたりの筋肉が動いたのを感じた。


「……別に家族を否定する訳じゃない、ただ、家族は大切だという価値観を当然と見做みなして刷り込むのも違う。自分一人で生きられるようになって、自分でものを考えられるようになって、その時家族に憧れがあるのならそれを手に入れる選択をすればいい」


「家族は枷なんかじゃ……っ!」


「そう気を立てるなよ」と丸焼きは肩を竦める。「……家族や種族を重んじるお前らにとって、私たちのそういう気質が気に入らないんだろうな」


 カフェトランに睨まれ手もそれを飄々ひょうひょうと受け流して、彼女は水筒に口を付けた。


「まあだから、さっき説明した命名法則、あれも従わなくたっていい。親子仲睦まじく暮らしてるやつだっている。それもまた自由だ。好きに生きる、ただそれだけなんだよ、私たちは」


 彼女はふっと口の端を吊り上げると、カフェトランに向かって水筒を投げた。


「飲めよ。私は魚を取ってくる。それだけじゃ足りないだろ」


「……。あ、ありが――」


「いや」カフェトランの感謝を遮るように、丸焼きが言葉を挟んだ。「礼はいらない。これも私の“自由”だからね」

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