バジリスク(3)
やぐらで辺りを見下ろしていた見張りの男は、フォズの姿に気が付くと、その下にいるであろう門番に指示を飛ばした。ほどなくしてゆっくりと、門が開かれた。
村の中に立ち入ると、すぐに人が集まってきた。しかし一定の距離からは近づこうとせず、円を描いてフォズを取り囲むような形になる。その円から一歩踏み出したのは、遅れてやって来た背中の曲がった村長だった。
「お怪我は……ありませんか?」
フォズのことを顔から足へ向かってしげしげと眺めながら訊ねた。「はい」、フォズは垂れ下がった前髪を指ですくいながら頷いた。
「……それで、バジリスクは……?」
「はい、もう、バジリスクに怯える必要はありませんよ」
わあっと村人たちが沸き上がった。しかし続くフォズの言葉を聞いて、彼らは抱き合ったり両手を挙げたりした体勢のまま動きを止め、ぐるりと首だけをこちらに向けた。
「彼らは、もうこの村を襲わないと約束してくれました」
「……は?」
これ、既視感があるな。それが何だかおかしくて、緩みそうになる口元を引き締め、ぽかんとしている村長に向き直った。
「わたしが話を付けてきました。彼らは、もう、この村の人間や馬車を襲わないそうです」
「ま、まさか……奴らと出会って野放しにしてきたのですか!? 奴らの言葉を、信じたのですか!?」
村人たちに、先程とはまた違ったざわめきが生まれる。なぜ殺さなかったんだという憤り、異種族に向ける差別的な視線。それはもちろん感じるが、しかしそれ以上に彼らの表情に浮かんでいたのは――。
「随分と顔色が悪いようですが……どうしてそんなに焦った様子なのですか?」
「……いえ、別に……何でもありませんよ」
「そうですか?」
「ええ……」村長は額にぽつぽつと浮かび上がっていた冷や汗を拭った。「それよりも、フォズオランさん……先日も申し上げたはずですよね? やつらは人間ではなく怪物なのだと。そんな口約束、我々には信じられないのですよ」
「怪物かどうかはこの際置いておきましょう――ただ、信じられないのはわたしも同じ なんですよ」
「……どういうことです?」
「バジリスクの皆さんは、あなた達を殺してはいないと言っていました」
「……っ」
村長の表情に、より一層動揺が影を落とす。フォズを取り囲む村人たちも同様だった。彼らの様子に確信を得ながら、フォズは続けた。
「あなた達は元々バジリスク達と交流があったそうですね。そして交易も、わずかながらしていたと。……だけれどあなた達はある時、彼らに対価を支払うことを拒んだ。……略奪していたのはあなた達だったのです」
「何の証拠があってそんなことを……」村長は忙しなく、残り少ない自らの髪を撫でつけていた。「何故嘘を吐いているのが我々だと判断したのですか。奴らの言うことが本当だと断定できるのですか?」
「彼らが人を殺した証拠が見つからなかったからです」
「そんなのどうとでもなるでしょう! 最後に襲われたのは数日前です、そんなの――」
「あなた達は知らないと思いますが、人って、結構たくさんの血が詰まっているんですよ。そして血の跡やにおいというのは、なかなか消えないのです」
……壊れた馬車片のあった場所だけではない。少なくともフォズの調べた限りでは、あの路には血の跡は一切見つからなかった。
「そんなの、やつらが自分の住処に連れ帰って殺したかもしれないじゃないか!」
村長はすぐさま声を荒げて反論。しかしその反論は、フォズがあらかじめ予測していた者だった。
「……なぜですか?」
「えっ……?」
「なぜ、わざわざ自らの住処を汚すような真似を? ……確かにその可能性はなくはない、理由も考えられない訳じゃない、でも……その考えは自然ではないです」
「……っ」
村長は悔しそうに唇を噛んだだけで、もう何も言い返しては来なかった。
「……彼らは支払われなかった対価を取り返しているだけだと言っていました。そして、もう十分取り返したから、もう襲わない、そう約束してくれました」
フォズは腰の後ろの雑嚢に手を伸ばした。手探りで取り出したものは、四つ折りにされた羊皮紙。「彼らに一筆、書いていただきました」。突きつけるように村長の顔の顔の前に広げた。
「契約書……」
村長はひったくるようにしてフォズの手から羊皮紙を奪うと、眼球をせわしなく動かしながらその文面を追いかけた。そして文末――つまり署名欄にたどり着いた時、そこに記されていた名前を睨みつけるように眉根に皺を集めた。
「先程、彼らの集落に足を運んで、一筆書いていただきました」。
その名前は、ユルト・アルナスナ。彼らバジリスクのアルナスナ一族、その家長の名前だった。
「内容は簡単に言えば、互いに危害を加えないこと、今後一切の関わり合いを持たないこと、この二つです」フォズは他の村人をぐるりと見渡した。「あなた方がこれに納得して署名をしていただければ、この契約は成立します」
「そんなものに何の意味がある……」。誰かが言った。「何の強制力もないじゃないか」。また誰かが言った。「あんたが間に入ったって、なんの保障にもなりやしない!」。
「その通りです」あっさりと、フォズは頷いた。「ですから、これは後日、わたしが“連合”へと提出させていただきます」
「連合……!」
村長が唾を飲む音が聞こえた。
連合――この大陸を支配する“十大種族”から成る、多種族間の調停組織。エルフとヒューマンの衝突をきっかけとし十大種族を含む数多くの人間を巻き込んだ“耳戦争”、その戦後処理に端を発して誕生した組織である。
「案外知られてないみたいなんですが、彼ら、こういうことも請け負ってくれるんですよ。この契約は、この国の法ではどうかわかりませんが――少なくとも連合は、その権限を以って、この契約を順守させようとするはずです」
連合はどの国にも種族にも属さない組織である。そのため、他国の人間を勝手に裁く事は出来ない。とりあえず取れる行動というのは、領主に“差別を取り締まるよう要請をする”程度らしい。
だけれど、ヒューマンにはそれを無視できない理由がある。彼らはかつて他種族に強い差別的施策を行っていた種族である。そしてそれがあの大戦のきっかけになった。連合とはその戒めのために、あの悲劇を繰り返さないために生まれたの組織だ。少なくとも――表向きは、そういうことになっている。
ヒューマンたちには未だに強い差別感情は残ってはいるが、体裁上、そして大陸の支配者となっている事実上、『他種族への差別は見過ごせない』『種族間差別の撤廃を目指す』という立場は崩せないのだ。連合の要請を無視することは、きっとできないだろう。
「今あなたに渡した契約書、それと連合に提出するもう一枚に署名をしていただければそれで完了です。それだけで、あなた達はもうバジリスクに襲われることはないし、今後怯える心配はありません。さあ、どうぞ、お願いします」
フォズはもう一枚の契約書を、村長の持った契約書の上に被せながら、もう一度言った。
「どうぞ、お願いします」
*
「これはご丁寧に」
淀んだ緑のバジリスク――ナナラ・アルナスナは、槍を杖のように地面に付けて立ちながら、黄色い瞳にフォズの姿を映していた。顔を見た時も名前を聞いた時も分からなかったが、ナナラは女性のバジリスクだった。
「良かったの?」
彼女以外に三人のバジリスクが、あの馬車の残骸があった場所でフォズを待ち構えていた。そこにはフォズの背後を取っていたナリムル・アルナスナの姿もあった。
「良かったって、なにがですか?」
「わたしたちのせいで、あんた、あの村に居れなくなったんだろ?」
「別に、もともと長居をする気はありませんでした。心から歓迎している訳じゃなかったので、居心地は悪かったですし。こうなることも見越して、昨日の内に最低限の補給は済ませましたから」
「そうか。なら、いいんだけどさ……」
ナナラはそう言って口を閉ざすと、視線を落として、槍の柄に付いた傷を見やった。しかし何か言いたげに時折、ちら、ちらとフォズの目を見る。「……?」。彼女の言葉を促すように首を傾げてみせるが、彼女は何も言うことはなかった。
「姉ちゃん、ちゃんと言いなよ」そう言ったのは、四人の中でも一際小さいバジリスクだった。「フォズさん、困ってる」
集落に脚を運んだ際に名前を聞いた。確か……アニイラ、だったか。
フォズの視線に気付いたアニイラは、目のすぐ下まである口の端を、更に横に引いた。丸い目が細められていなければ、これが笑顔だと分からなかっただろう。
「あ、ああ……」
しかし、それでもなかなか切り出そうとしないナナラに、アニイラは呆れたように首を振った。
「あー、だから、フォズさん。良ければ俺たちのところに来ない? って、姉ちゃんは言いたんだよ」
「……そういう、訳だ」
小さく、ナナラは頷いた。「……はあ」。きょとんと、突然の申し出にフォズは呆気にとられてしまったが、すぐに小さく噴き出してしまった。
「ふ、ふふっ……ご、ごめんなさい……!」
フォズにつられて、他のバジリスク達も声を上げて笑った、ナナラの睨むような視線を感じ、フォズは口元を押さえて顔を背けた。ナナラがわたしと同じ皮膚をしていたら、きっと顔は真っ赤になっているんだろう、なんて考えながら。
「じゃあ……一晩、お邪魔してもいいですか? 正直、もう日が暮れはじめてるのに当てもなく彷徨うのは遠慮したかったんです」
「ああ、もちろん……」ナナラは咳払いをしてから頷いた。「父さん――ユルト・アルナスナも歓迎すると言っていたよ。是非、改めて礼が言いたいと」
「礼なんて、そんな……。むしろおせっかいで余計ややこしくしてしまって」
「いや、フォズが間に入ってくれて、本当に助かったんだ。わたしたちは奪われた分取り返さなきゃいけなかった。でもあいつらはわたしたちのことを逆恨みした。よこして来たのがフォズだったからよかったものの、騎士とかだったら、大分面倒なことになってたからね」
「そうなったら俺たちは、あいつらを殺さなきゃならん」と言ったのは、今まで黙っていたナリムルだった。「殺すのは――嫌いじゃないが、できれば勘弁願いたいな」
「殺人、良いことないからねえ」とアニイラがしみじみ頷いた。「戦うのは危ないし、復讐だってされかねないし、人間は食べるところ少ないしおいしくないし……。本当、人を殺す利点なんて全くない。フォズさんもそう思うよね? 前住んでたところも、それでいられなくなっちゃったんだよ」
「まったくその通りね。人は殺さないに限るよ」ナナラが肩をすくめた。「さあ、フォズ、そろそろ行こう。ずっと立ち話をしてちゃあ日が暮れちゃうからね」
【バジリスク・完】
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