バジリスク(2)

 バジリスク。彼らを一言で説明するのならば――トカゲ人間、これ以上に的確な言葉もないだろう。ひょろ長い体格に、のっぺりとした凹凸の少ない肌に、そこを覆う怪しく光る無数の鱗に、むっちりとした尻尾は、まさしくトカゲの特徴を持った人間である。


 ただ彼らを語るうえで挙げられるのは、その特異な身体的特徴ではなく――その性格である。バジリスクは何にも縛られず、また何かに縛られることを嫌うのだ。


 それだけだとダークエルフと同じ様であるが、風に流れる花粉のように、自らを自然の一端とみなして世界を放浪する者が多いダークエルフと違って、バジリスクは何だってする。

 群れる者もいれば孤高に生きる者もいる。倫理や社会を重んじる者もいれば、野盗や蛮族として世界を荒らす者もいる。温厚な者もいれば残忍な者もいる。ダークエルフが自由ならば、バジリスクは枷が付いていないだけ、とフォズの村の誰かが言っていた。


「つまり、エルフとはそりが合わないってことなんですよね……」


 簡易的に舗装された路、そこに幾重にも刻まれた轍をなぞるように歩きながら、フォズは独りでに呟いた。とりあえず一日は休息と補給に充て、一人で様子を見てくるという旨を伝えると、村人たちは一も二もなく頷いた。見送りもなかった。そのすがすがしいまでの放任に思わず笑ってしまった。


「まあ、付いてこられても……ですけどね」


 こんなこと、彼らの前では絶対に言えないが。

 別に足手まといだという訳ではなく――ただ、彼らはバジリスクに絶対的な敵対感情を抱いている。彼らを引き連れていては、対話で解決できるものもできなくなってしまう。


 ……そうは言っても、もちろん、血が流れる覚悟はできている。殺すつもりはない――命にかけても、殺す気はない。だけれど闘わなければいけないことは、あるかもしれない。

 いつもよりやや緩く括りつけた弓と、腰と太ももの二か所に装備したナイフをいつでも取り出せるように意識を向けながら、ゆっくりと慎重に歩いて行った。


「……あれは……木片?」


 舗装路の端に木片――気や枝が折れたようなものではなく、加工された木材の壊れたものが目に入った。体感で二十分程歩いたところだった。それも一つや二つではなく、木材というより木片、端材としても扱えない程の小さな木のごみが、路の端に散らばっていた。


 そしてその近くには轍の一つが大きく乱れた跡、なにが大きく重いものが滑った跡、それにいくつもの足跡がある。馬車が横転したのだ、ということは容易に想像がついた。


「でも、横転でここまで壊れるなんてことは考えにくい……」


 ここまで小さな欠片が出るということは、意図的に破壊された様に思える。

 それにもし壊れたとしても、じゃあその馬車はどこへ消えたのだという話になる。


「バジリスクはここで馬車を襲って……分解して持っていった……」


 うん、そう考えるのが自然だろう。

 馬車を引いて行かなかったのは、襲った際に走れない程に壊れてしまったのか、馬の手綱を握る技術がなかったのか。


 その木片を詳しく調べようと傍らにしゃがみ込んで――「止まれ」。その声がしたのと、後頭部に”ぞくり”と――刃物を突きつけられる感覚があったのは同時だった。


 フォズは驚かなかった。ただ、そのままの姿勢で両手を頭の上に掲げる。

 ……彼らが接近しているのは分かっていた。足跡は聞こえづらかったものの、剥き出しの敵意は嫌でも分かる。無視しようとしても気を引くほどだ。しかし殺意はほとんど感じなかった。フォズはあえて、分かりやすい隙を作ったのだった。


 ひた、と、地面に向けたフォズの視界に、淀んだ緑の皮膚を持った足が移り込んだ。人間とは異なり薬指が異様に長く、それぞれの爪の先に付いた黒く鋭い爪は土に食い込み足跡を刻む。踵の部分には、まるで馬のひづめのような、独特な靴(防具?)で覆われていた、


「立て」


 フォズは大人しく、慎重に立ち上がった。フォズの前で槍の切先を向けていたのは、足と同じく黒の混ざったあまりきれいとは言えない緑色の、巨大な人型のトカゲだった。ゆったりとした衣類の下にはチェインメイルを装着していることが窺え、頭には……鶏の羽根、だろうか、とさかのような意匠の装飾が施してあった。


 二人に挟まれている。しかしやはり、殺意はこれっぽっちも感じなかった。フォズの態度ではその限りではないのだろうが……。

 淀んだ緑のバジリスクは槍を突きつけ、続けた。


「お前、あの村からやって来たな。どういう関係だ?」


 しゃがれた声が輪郭を作るその言葉は、疑問符こそついていたものの、対話を拒否するようなあまりにも一方的なものだった。

 だけれど、フォズはそれに屈せず、途中で遮られないように早口で言った。


「……わたしはあなた達と話しに来ました。彼らから雇われたのです」


「……なんだと?」


 視線の動きから、背後に立っているバジリスクと視線を交わしているのだと分かった。細い喉から浮き出た骨が、唾を呑み込むために大きく動いた。


「嘘だね」


「どうしてそう思うのですか?」


 すると二人のバジリスクは、フォズを小ばかにするように鼻で笑った。


「あいつらが対話を? そんな訳ないだろう。もっとましな嘘を用意できなかったのか?」


「……はい。確かに彼らは、あなた達を狩るように言いました。でもわたしは、人は殺したくありません。ですから、こうして話し合いに来たのです」


「はっ」再び緑のバジリスクは呆れたように笑った。「もし、それが真実だったとして」


「はい」


「それでも、その話し合いに応じる気は、ないね」


「どうして」


「わたしたちが辞める理由がない」


 それはもっともな話だった。

 略奪を生業にしているであろう彼らにそれを辞めろと言うのは――身も蓋もなく表現するならば、死ね、そう言っているのと同じである。彼らの行動その善悪は差し置いて――生きることを否定することは、到底できない。


 初めから分かっていたことだったが、自分のやろうとしていたことの難しさと問題の大きさが、改めてフォズの背中に重くのしかかった。『略奪なら他のところでやれ』と言うのも、それは違うだろう。


「ですけれどあなた達はなにも、人を殺すのが好き、殺人に抵抗がない、という訳ではないのでしょう?」


「……なぜそう言える?」


 その声はフォズの後ろから聞こえた。フォズの正面に立つ淀んだ緑のバジリスクよりも低い響きを持った声だった。うなじの辺りに感じる“ぞくり”とする感覚が強くなる。殺意を感じないとはいえ、刃物が急所に突き付けられているというのは、やはり慣れない。慣れてもいけないとは思うけれど。


「先程から殺意をほとんど感じませんし……殺して略奪をするつもりなら、もうとっくに、わたしの首は繋がってませんよ」


 バジリスクは二人揃って舌打ちをした。口腔内の広さも下の長さも違うからか、“チッ”というよりは“ポッ”という音で、例えるのなら小ぶりな打楽器のようだった。


「だが殺せない訳じゃない」と背後のバジリスク。「必要があれば、殺す。おれたちは殺すことに恐怖を感じている訳じゃない。……お前と違ってな」


「……それは否定しませんが」


 フォズと同様、彼らも殺気には敏感らしかった。挑発の言葉に少しむっとしながらも、努めて冷静に、フォズは言葉を返す。


「“殺す必要”……その言葉、個人的には否定したいです。殺しが必要な状況なんて、存在しない、存在してはいけない……」


「ふん」と鼻で笑う声が聞こえた。


「……でも、現実はそうはいかないことも、知っています。どころか森エルフは……森の管理の名目に、多くの獣を間引き、殺しています。森の利権のため他種族と争ったことも、一度や二度ではありません」


「……ふむ」


 それは納得したような、少し感心したような相槌だった。


「死ぬのはよくない、殺しはよくない、それはただの感情論だね。殺した方がいい、殺さなきゃいけない――これも、あくまでその人の価値観。善悪じゃない、義務でも権利でもない――ただそこに、生と死があるだけ、そして“殺す”という行為があるだけなんだよ」


「……」


 彼の言葉に、フォズは肯定も否定も示さなかったが、なるほど、とは感じた。

 自由な種族バジリスク――枷から外れ、こうあるべきという世界の価値観から外れ、それぞれが好きに生きるバジリスクだからこその意見だった。生きるし、死ぬ、その過程で殺すこともできる。

 ……人生哲学に正解なんてものはないけれど、あるいは彼のその言葉は、もっとも心理に近いものなのかもしれなかった。


 だけれど。


「だけれど――わたしは断言します。これは、必要のない殺しです。略奪のために殺す、これは、わたしは認めません。必要のない殺しはしない、なら、一体どうしてあの村の人たちを殺したんですか?」


「……」


 唾を飲み込む間がいてから。


「……ああ、そういうことね」と正面のバジリスクが言った。


「あんた、騙されてるよ」


「……えっ」


「わたしたちはあいつらを殺してない、一人も、一度も、殺してない」


 フォズはその言葉に驚かなかった、といえば嘘になるが――反射的に眉と瞼が上がるのを感じながら、心の中の俯瞰的な部分は、「ああ、なるほどな」と納得していた。

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