最終話 だから、私は旅をしよう。

「お姉ちゃんは、これからも“血脈”を続けるの?」


「……もちろん」


 丸太に腰を下ろしたカフェトランは、同胞の死体の山と赤黒く染まった自分の衣服を交互に見てから、苦しそうにではあったけれど、確かにそう言った。


「もう彼らのような仲間は作らないだろうけれど……続けるとか、辞めるとか、そういうことじゃないの」


 できれば彼らを埋葬してやりたかったが、これだけの人数をすべて埋めようとしたら一日や二日では終わらない。森では燃やすこともかなわないから、申し訳ないけれど、これ以上何もできない。


 だから、せめて、二人は祈った。神か、自然か、祖先か、フォズは何に対して祈りを捧げればよいのかは分からなかったけれど、彼らが安らかに眠れるように、そして自然に還ることができるように、静かに願った。


 連合は、すぐに森から出て行ってしまった。明るくなってから全員で一緒に、というフォズの提案はすぐに断られ、取りつく島もなく去ってしまった。捉えにきた相手と一緒に行動するのは、とかなんとか言っていたが、一刻でも早くこの森から出たいのだというのが本音だろう。


 地図を持っているから迷う心配はない、と言っていたから、無事に森から出れることを願うだけだ。それを引き留めるだけの体力も気力も、フォズにはもう残ってはいなかった。


「フォズも見たでしょ? シルバービアードが、オークと繋がりを持っていた。あいつらはあたしたちとも、もちろん連合とも違う。戦わなければ、エルフに明日は無いの」


 フォズはカフェトランの隣に腰を下ろしてから、ゆっくりと言葉を考える。フォズが言葉を発するまでに、カフェトランは三回、水筒に口を付けた。


「……私は、お姉ちゃんが間違ってるとは思わないよ。旅の最中に世界を見てきて……理想とか希望だけじゃどうにもならないって分かったから」


「もう、理想だけでどうにかできるかもしれなかった時代は遠い過去の話。もっとも、そんな時代は鼻からなかったのかもしれないけどね……」


「むしろ、お姉ちゃんみたいな方が、正しい――かは分からないけど、ずっと当たり前の考え方なんだと思う。そういう考え方になるのは、自然なんだと思う」


「うん」


「でも、やっぱり私は、それは嫌だよ」


「うん」


 カフェトランは、至って普通のことのように頷いた。自分の妹はきっとそう言うだろうと予想していたようだった。

 しかし、それと同時に、どこか寂しそうに、切なそうに、目を伏せていた。


「フォズは優しい子だから、そう言うと思ってたわ」


「違うよ、私じゃない。私の出会ってきた人が優しい人だったの。それで、優しい以上に穏やかな、争いを望まない人だった。私はあの人たちのために、平和な世界を願いたいの」


「……そう。フォズは、それでいいと思うよ。別に甘い考えだって言ってる訳じゃないよ。その考えを持ち続ける方が、ずっと辛いことだって分かってるから」


 カフェトランの言葉は、重かった。

 それを実感し、苦悩した者の重みが、そこにあった。


「でも、だからあたしは、そういう人を守るために戦うよ。平和を愛する人たちが戦渦に巻き込まれずに済むように、戦う。それも、分かってくれる?」


「うん。……うっ、えっ」


 気付けば、フォズは鳴いていた。嗚咽を漏らして、自分が泣いているのだと、涙を流しているのだということに気が付いた。カフェトランも瞳に涙を溜めていた。しかし、それを必死に堪え、フォズの背中をさする。

 自分は姉だから。最後まで、姉らしく振舞いたいから。しかしカフェトランの目じりからも、つうっと涙のしずくが線を引いた。


「ごめんね、お姉ちゃん、ごめんね……」


 フォズはカフェトランの生き方を、カフェトランはフォズの選択を、互いが互いに理解していた。だからこそ――理解しても尚その人生が重ならないからこそ、もう二人は相容れないのだ。


「いいのよ、フォズ……」


 カフェトランは結局、フォズが泣き止むまでそれ以上の涙を見せることはなかった。物心付く前から見ていたのと変わらない、優しく、気丈な、姉の姿だった。


「ねえ、フォズ」


「なに、お姉ちゃん」


「昔みたいに、髪の毛いじっていい?」


「もちろん、いいよ。……でも、汗とか血で汚れてるし、上手にできないかも」


「まあ、そこは上手くやるわ。じゃ、こっちに背中を向けて?」


「うん。……お願い」


「…………ああ、汚れは大したことないよ。でも凄い荒れてる。普段から手入れしてないから凄いことになってる。枝毛も切れ毛も酷いよ? どんなに忙しい時でも、髪の毛の手入れはちゃんとするようにって言ったよね?」


「……ごめんね」


「冗談よ。それだけ大変だったのよね、ここに来るまで……」


「うん……」


「……髪の毛は自分で編み込んだりしないの? こうやって結うだけ?」


「うん。簡単に、うなじのところで縛るだけ」


「やり方、教えてあげよっか?」


「ううん、覚えてるよ。小っちゃい頃、散々教えられたから」


「……なのにやらないの?」


「……やった方がいいかな?」


「あたしは、そう思うけど」


「じゃあ考えてみる……」


「うん、そうしてみて」


「面倒なんだよ。括っちゃえば、邪魔にはならないし」


「ふふ、フォズらしい」


「それ、良い意味?」


「ふふ。……もうすぐ終わるよ」


「……」


「……」


「……うん」


「……また、見せてね」


「……うん」


「本当、羨ましいんだから。ちゃんと大事にして、それで次に会った時、この銀彩みたいな髪をまた見せてね」


「……うん、見せる。見せるよ。絶対」


「絶対ね」


「うん、絶対。ありがとう、お姉ちゃん……」





*






 新しく弦を張り終えた弓を構え、矢を引き絞った。手ごたえは問題ない。

 小さな焚火の僅かな灯りの中、かろうじて遠くに見えるシラカバの樹の一本の洞に狙いを済ませ、矢を引く腕に更に力を込めた。ぴり、と背中の傷が痛んだ。


 問題なければこれで当たるはず――ふっと息を吐いて、手を離す。耳の横で空気を切る音が聞こえ、矢は洞へと吸い込まれるように軌道を描いた。よし、フォズの口元が満足げに緩む。


 あれからフォズは、旅で巡った町や村を逆走するようにして村に戻った。その最中に旅の中で出会った人たちに会いに行き、それから何が有ったのか、姉と出会って何が起こったのか、フォズとカフェトランがどうすることになったのか――それを伝えた。


 全てを聞き終えると皆決まって困ったように、上手い言葉が見つからずに曖昧にしていた。おめでとう、よくやったね、そう言われるような内容ではないから、困らせてしまうだけだとフォズは分かっていたが、それでもこれは伝えねばならないと決めたのだった。


 そうか。まあ、そんなものだろうな。エトバル様だけはこんな反応だったから、そのあまりもの“らしさ”に思わず笑ってしまった。


 エンマディカは、いなかった。彼の凶報を聞いてか、それともただ任務が終わっただけなのか。村の人も何も知らされていないようだった。


 そしてフォズは、再び旅に出ることにした。目的は、ない。辿りつくべき場所は、分からない。でも、やりたいことはいくらでもあった。


 姉を再開して約束を果たさなければならないし、再び旅に出てしまって再会を果たせなかったメレ・メレスとローニャンにも改めてお礼を言いたいし、いつかマルゥクと旅をする約束があるし、エンマディカにももう一度会いたかった。旅を通して狩人の技術を磨いていきたいし、世界中の怪物や獣を見たいし、ボルミン達のようにそれで困ってる人がいたら助けたい――それを通して、カフェトランとは違うフォズの生き方を証明していきたい。


 目的を定め、そこに旅の答えを求めるのではなく。

 目的はなく、自分でその意味を見出そうという旅。


 長いようで短かった姉を探すあの旅とはまったくの真逆だ。


 まあ、それっぽい理由を挙げて見たけれど――結局のところ私は旅が好きなんだろう。もう一度旅に出たくなったのだろう。多くの森エルフがそうなるように、質素でつつましやかな生活に満足できなくなってしまったのだろう。


 旅なんてものは、結局そんなものなのだろう、と思う。

 そんな曖昧なものでいいのだろう。


 ボルミンは旅の目的を伝えると感心したようにしていたけれど、本当は旅に大層な理由など野暮で、街から街へと巡ることを、旅そのものを目的にするべきなのだろう。


 でも、それも正しい訳ではないのだ。


 あくまでフォズがそう考えているだけで、もっと言えば今このときそう考えているだけで、流浪なんて何の意味もないという人もいるだろうし、明日にはフォズも同じ考えになっているかもしれない。

 でも、結局、そんなものなのだ。それでいいのだ。


 だから、私は旅をしよう。


 旅を続けよう。


 少なくともしばらくは。旅をしたいと考えている内は。


 そして、どうしようもなく、美しく、理不尽で、情に溢れて、失望するような、希望の見える、世界を旅しよう。


「……うん」


 フォズは弓を傍らに置くと、髪の毛の編み込みをほどいてから毛布にくるまった。


「おやすみ」


 誰にともなくそう言ってから、背嚢を枕に横になる。

 明日はどこへ行こうか。この森を抜けてから、どうしようか。

 早々にぼんやりしてきた頭で明日のことを巡らせながら、フォズは焚火に土をかけた。

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