第六十話 気持ち
彼に続くように、二匹、三匹、とガルーダが降り立った。折られた枝の隙間から陽の光が差し込み、きらきらと羽根が輝いた。
誰しもがガルーダを見ていた。先程フォズに向けていたものとは全く異なる――見惚れていたのだ。鉄の重さと血の臭いの上にある今の状況ではあまりにも不謹慎な感情。それが分かっていながらも、皆、その姿に見惚れてしまっていた。
だが――最初に動いたのは、やはり、オークだった。彼らはガルーダの神々しさよりもその研ぎ澄まされた野生に意識が行ったようだった。「うおおおぉぉ!」。鬨の声を上げ一人が斧を持ち上げ走り出す。オークが斧を振り降ろそうとした時、鉄と鉄が打ち付けられる鈍い音が響き、オークの斧が横にそれた。極彩色の羽根の付いた矢が、遅れて地面に落ちた。
「去れ」
どこからか声がした。
「直ぐに去れば、危害は加えない――」
――このまま消えなければ、容赦はしない。
しかしオークの一人は、それが聞こえてもなお、分かっていないかのように大げさに斧を振りかぶった――そして斧の刀身に極彩色の矢が打ち付けられる――後ろに仰け反った巨体をガルーダが蹴りつけた。
あまりにもあっけなくオークの巨躯が吹っ飛び、ドワーフ達が押しつぶされながらそれを受け止めた。
「去れ」
もう一度、声。
あの大鬼を、一撃で? 白目をむいているオークを見て、ドワーフ達は顔を青ざめさせた。キュルルルル。ガルーダの鋭い眼光を見ながら、ゆっくり、ゆっくりと距離を取って武器を降ろすと、途端にきびすを返して逃げ出した。
不利を悟ったオークたちも、露骨に悔しさをにじませていたがむやみに命を捨てるような真似はせず、失神した仲間を肩に担いで背中を向けた。
オークたちは恨みと殺気を込めた言葉で無茶苦茶な罵倒を浴びせてきたが、ガルーダはただ静かに、傷に塗れた彼らの背中を見つめていた。
連合の兵士たちも、カフェトランも、ただ茫然と立っていた。去りゆくオークとドワーフに喜べばいいのか、突如舞い降りて窮地を救ってくれたガルーダを歓迎すればいいのか、それをおそらく呼び寄せたと思われるフォズを褒めればいいのか、それとも死んだ仲間を悼めばいいのか――。
「全く、勝手なことをしてくれる」
しかし、まだ休息の時ではなかった。
殺気が、今度はフォズに向いていた。
それを自分に向けられて、初めて分かる。今自分に向けられている矢の数は、一つや二つではない。十は優に超しているだろう。
「この辺りのハーピィを皆殺しにしようとしてたんだ。お前のせいで、やつらを逃がしてしまった。もうこの森には帰って来ないだろう。おかげで……全部が台無しだ」
「すみませんでした……」
フォズは、森の向こうにいるはずの鳥人に向かって頭を下げる。ふん、と興味なさそうに鼻を鳴らす声が聞こえた。
「そこの”耳あり”、俺たちグルルを、ガルーダを、知っているんだな?」
「……以前、トロル領で会いました」
「名前は?」
「アーフェンのフォズオランです」
「お前じゃない」と苛立ったように舌打ち。「その同胞だ」
「……聞いてません。ただあなた達のように大勢ではなく、奥さんと二人だけ、と言っていました」
……ああ、あいつか。別な方から小ばかにしたような声が聞こえた。
「あなた達の仲間だったんですか?」
「……昔の話だ」その話はもういい、と声は強引に話題を切り上げた。「獣の真似をする耳ありはまれにいるが、ガルーダを呼んだやつはお前が初めてだ」
「鳴きまねじゃ、ないですよ」
「……何?」
「確かに声を真似しますが、あくまでそれは伝えるための手段で……本質は気持ちです。言葉も何もかも違えど、生きているのなら気持ちは同じです、伝わります。それをお前たちに伝えているんだと、分かりやすく真似た声に乗せて伝えただけです」
「気持ちか。それも耳ありがよく言う言葉だ」
「……あなた達がガルーダと意思を交わせるのも、同じことじゃあないんですか?」
「違う。ガルーダは俺たちだ。死んだ同胞が、極彩色の羽根を持って生まれ直したのがガルーダだ。意思が通ずるのは当たり前のこと」
そういえばそんなことを言っていたな……。フォズは、件の鳥人の言葉を思い返していた。
「だが、ガルーダたちはお前の言葉に呼応してここにやって来た。その声がガルーダのものではないと気付いていたにもかかわらず、血も魂も繋がっていないお前の“気持ち”とやらを感じ取り、お前を助けようとやって来たんだ。俺たちの領分の外ではあるが、そういうことも、あるのだろうな」
キュル、とガルーダが鳴いて、翼を広げた。他の人にぶつからないように器用に動かすと、木々の割れ目から空に向けて飛び去った。他のガルーダも次々に後を追い、彼らが現れた時と同様、あっという間にその姿を消してしまった。数枚の極彩色の羽根だけが、数枚空から降ってきた。
ふと、フォズに向けられた殺意の一つが消えた。そしてそれに従うようにして、ほどなく全ての殺意が消えた。
どっと、フォズの額や生え際から冷や汗が溢れだした。と同時に膝から力が抜けて――カフェトランがフォズを抱きとめる。「お姉ちゃん、ありがとう……」。思っていた以上に精神が磨耗していたようだった。
「聞きたいことは終わった。お前らも、とっとと去れ」
「……はい。あの、本当に――」
「さっきも言ったように、お前のせいでハーピィを見逃したんだ。ガルーダに免じて今は見逃してやるが、いつ気が変わらないとも限らない。いいから、さっさと去れ」
「……ありがとうございました」
「全く以って、あほらしい。同じ種族同士で、皆腹に一物抱えて、やがて殺し合う……。お前らはいつもそうだ。またこれから、それが原因で戦争が起こる……」
そう言い残して、グルルたちも去って行った。
多くの死体と、少しの生き残りと、極彩色の羽根。
世界全体にくすぶる火種、これがその飛び火の一つでしかないことは、誰もが理解していた。
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