第五十三話 捕縛
連合の兵士たちを一団を樹の上でやり過ごしながら、フォズは水筒に口を付け、乾いた舌に水を吸い込ませる。
隠れているのは苦手だった。それはきっと、幼少の苦い思い出から。いくら狩人としての経験を積んでも、人間として成長しても、それは変わらなかった。
「よし、もう大丈夫……」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、額に滲んでいた冷や汗を拭う。大きく息を吸って、ゆっくり吐き出して……周囲の様子を窺ってから木から飛び降りた。
それからフォズは慎重に――特に樹上に樹を払いながら森の中を進んだ。人や物を探す時、高いと事に昇るのは鉄則だ――ほら、あそこの木の上にハーフリングが潜んでいる。
カフェトランの性格からすると、彼女はおそらく野営地の近くに潜んでいるはずだ、とフォズはあたりを付けていた。これだけ連合の兵士がうろついていて気が付かない訳がない。しかし彼女のことだから一人逃げ出すようなことはせず、仲間を救出するために様子を窺っているはずだ。
そう考えて野営地を周回するように移動し、何回目かの兵士たちをやり過ごした時だった。「……きゃ…………」。フォズの耳が、悲鳴のような声を捕えた。ここよりもずっと森の深い方から、僅かに、ほんの僅かに聞こえた声だった。もしかしたら、それはただの気のせいだったのかもしれない。樹を張りすぎて、風を悲鳴だと勘違いしてしまったのかもしれなかった。
しかしそれでも、その音を脳が認識した瞬間にフォズは走り出していた。見つからないように、気付かれないように、木々の影を縫うように、しかしできる限りの速さで――走った。
「くそ、離せ、離せって!」
そこにはカフェトランの姿が有った――しかし、フォズは遅かった。カフェトランは地面に抑え込まれ、両手を縄で縛られようとしていた。木の陰に身をひそめ、その様子を見やる。カフェトランは何とか逃れようと滅茶苦茶に暴れるが、屈強な体つきのドワーフは特に手こずる様子も見せず、彼女の腕を縛り上げてしまった。
「よくやった」
その様子を後ろで見ていたひとりのヒューマンが前に立ち、憐れむようにカフェトランを見下ろした。
「申し訳ないが、ここまでだ」
「……くそっ!」
「恨むなよ……。お前に大義が有ろうが、この世を憂いていようが……お前らは体制に仇なしている、それに違いはないのだから」
カフェトランは目を剝いて、その男を睨みつけた。この男が彼らの隊長であるということは、その雰囲気から何となく察せられた。
「自分らが正義だと? はっ、結局お前らは地図に定規で線を引いて、そこに名前を書いて、解決したつもりになってるだけじゃないか。種族間の軋轢は何も解決していない――どころか、その領地の取り決めも露骨に一部の種族を優遇しているせいで新たな火種になっている」
「そんな事、誰だって分かっている」
「なに?」
「そして、お前の言うことがただの理想論にすぎないこともまた、分かっている」
「理想論……だって?」
「種族間の軋轢なんて、外野がどうこうしても解決できることではないだろう? それほど……根強い、それぞれの遺伝子に刻まれた問題だ。種族ごとの、国ごとの力の差もある、富や民の差もある、それぞれの文化の違いもある……。そんな中で連合はよくやっている方だと、俺は考えるがな」
「お前がヒューマンだから、そんな都合よい考え方ができるんだ」
「お前がエルフだから、ヒューマンが発展を続けている現状が気に入らない……そういうことではないのか?」
隊長は無駄話はこれで終わりだ、とカフェトランに背中を向けた。カフェトランは悔しそうに彼の背中を睨みつけていたが、やがて諦めたように力なくうなだれた。……――。
「動くな」
誰かがそう言った――眼前の光景に気を取られていたフォズには、それが自分の真後ろから聞こえたものだということにすぐには気が付けなかった。
「……!」
脊椎に“ぞくり”としたものを感じて、フォズは思わず両手を上げてしまった。
「そのまま真直ぐ、歩くんだ」。フォズはわずかに首を捻って、自分に剣を突きつけている人物を見ようとした――顔は見えなかったが、鋭く伸びた耳が視界に映った。
「……フォズ!?」
「お姉ちゃん……」
「どうして逃げなかったの!?」
カフェトランは驚いたように目を丸くした後、自らの姿を見て悔しそうに唇を噛み、そして吠えるように怒鳴った。
「フォズは関係ない! たまたま……運悪くあたしたちと居合わせただけだ!」
「銀髪のエルフ……妹のフォズオランか」隊長はフォズの顔をまじまじと見ると、興味なさそうに言った。「知っている。おい、マルカ! 剣をしまえ!」
「……承知しました」
すると、うなじの辺りに感じていた嫌な気配が消え、毛穴から冷や汗が噴き出した。
「フォズ!」
カフェトランは両手が縛られた状態で何とか起き上がり、フォズの元へと駆け寄った。連合の兵士たちが再び押さえこもうとしたが、隊長がそれを制した。
「どうして逃げなかったの、フォズ!」
怒っていた。そして、瞳に涙を溜めていた。
「お姉ちゃんを助けなきゃと思って、でも……どうしたらいいか分からなくて」
結局、フォズはまだ何も分かっていなかった。
「分かっているとは思うが、そいつは罪人だ」隊長が、冷ややかに口を挟んだ。「あえて語ることはしないが……こいつらはここに来るまでに多くの血を流した。俺たちの仲間も、決して少なくない数がこいつらの手に掛けられた」
「それは……そうしなければあたしたちが同じ目に会っていたから……!」
「分かっている、別にその事を咎める気はない――嘘だ、非難はしないが、俺はお前らを許しはしないだろう――話がそれたな」わざとらしく咳払いをして、彼は閑話休題を示す。「お前にとっては愛する姉かも知れないが、それ以前にこいつは罪人だ。こいつを助けるということは――その罪も肯定するということだ」
そんなの、分かっている。
だから――だから、どうすればいいか分からくて、とりあえず行動に起こして、でも結局分からなくて、それで、それで――。
フォズは口の中に溜まったつばを飲み込んだ。粘っこくて、喉に絡みついた。
「フォズは関係ないって言ったでしょ。罪人のあたしを助けるだとか、そんな事ある訳ないでしょ?」
カフェトランは隊長を睨みつけた。地面に押さえつけられていた先程の光景が嘘だったように、威風堂々とした、勝気な態度だった。
「そんなに焦るな。俺たちはお前の妹をどうこうするつもりはないよ。少なくともまだ、何もしていないのだから」
彼は鋭い目つきでフォズの顔を見た。まだ、の部分を、不自然に強調していた。
「ただ、ひとまず俺たちに付いて来てもらおう。他のやつらが勘違いするやもしれん、それに――」その続きは言わなかった。「いいな?」
「もちろんです。……」
フォズはカフェトランと目を合わせることができず、彼女の腕を縛る麻縄、そこから伸びた手綱を見つめる隊長の手綱を見ながら、その後を追った。
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