第五十二話 終わらない

 フォズの旅は終わった。


 フォズの旅の目的は、あっけなく、あっという間に、終わってしまった。

 カフェトランはもういなかった。フォズがそう促したのだ。「仲間の人たちが気になるんでしょ。そういう顔してるよ」。カフェトランは弓を持って、「さよなら」と言うと足早に去って行った。おそらく仲間のために食料を集めに言ったのだろう。


 荷物を纏めながら、考える。

 強がってそんなことを言わなければ、という気もする。でもこれで良かった気もする。つまりよく分からない。でも、もっと話したかったという気持ちは、確実にある。


「……」


 整理している最中の背嚢の中には、食料を纏めて入れてある布袋がある。森で食料を調達することを前提に、万が一満足に手に入らなかったときの為の必要最低限の携帯食。だけれどもここの人たちにとっては、喉から手が出るほど欲しいものだろう。


 置いていくことでフォズが困ることはない。この程度で飢え死にしたりはしない。

 だけれど、これは本当に僅かな量しかないのだ。干し肉四切れとタラの塩漬け二枚、それにカリンの砂糖漬けが三分の一瓶。全員に行き渡らないのはもちろんとして、飢えた男の腹を満足に満たすことすらできないだろう。


 焼け石に水ならまだいい。この程度では助けにならないというのならまだいいのだ。


 これを渡すことで諍いが起こってしまうのではないか、という考えがフォズの頭から離れない。


 いや……そんなことはない。こんな状況だから、ほんの少しでも、パン一欠けでも困ることなんて無いはず。でも……。


 だめだ。フォズは大げさに首を振った。考えすぎてる。変に、良くないことを考えすぎている。思考が気持ちに引っ張られている。


 大きく息を吸って、そして吐いた。うん、うん。思考に冷静さが戻ってくる。良い意味で、感情が消える。嘘だ、ただの気休め。でも、それでも、さっきよりはずっとましになっている。


 うん、これは置いて行こう。その方が、絶対いい。フォズは布袋の中身を一度改めてから、カフェトランの畳まれた布団の上にそれを置いて、背嚢を背負った。


 そろそろ、行かなければ。暗くなる前に野営を張らなければ。フォズはテントの隙間を広げた。


 そして、野営地に起こっていた異変に気が付いた。



*



「手を上げろよ。跪け。そのままだ。……なに、暴れなきゃ血が流れることはない」


「……抵抗する気はない。もう、その気力もないよ。だが、苦しんでいるあいつらは…………」


「お前らが手を施したところでもう長くない。それくらい分かっているだろう?」


「ああ、だから……せめて、この手で楽にさせてやってくれないか?」


「……後で隊長に掛け合ってみよう。だが、期待はするなよ」


「ありがとう、感謝する……」


 思わずテントの中に身を隠したフォズは、慎重に外の様子を窺った。


 ドワーフ、トロル、ハーフリング……多種族入り乱れる二十人前後の集団が野営地を占領していた。カフェトランの仲間たちは抵抗する気力もないようで、武器を突きつけられても抵抗するような素振りを見せず、大人しく言われるがままになっていた。


 しかし彼らも彼らで必要以上に危害を加える気はないようだった。


 フォズが気付かなかったのもそのためだ。戦闘は起こらず、武器を持った彼らを見るや否や、彼らはその場で手をあげたのだ。


 あれは……野盗? カフェトランのような革命を目的に活動をしていた一団が野党化したのか? 多種族で行動に共にする集団なんてそうはいないから、そう考えるのは自然なことだった。


 しかし……それにしては装備が上等すぎる気がする。誰もが立派な装備を携えて、そのどれもが画一的な様式だ。まるで騎士か軍の一団のようだった。……。


 と、その時、“それ”目に入った。彼らの鎧の胸元に付いた、特徴的なその紋章。この地上を支配する十の種族の和平を意味した十望星。その模様を掲げる組織は俗に連合と呼ばれている。


「連合……!」


 フォズは弓に伸ばしかけていた手を引っ込めた。どうして連合がここに――いや、連合はカフェトランを探していたのだから、何もおかしな話ではない――ただ起こって欲しくなかったことが起こってしまっただけだ。


「カフェトラン、どこにもいません!」


 ハーフリングの一人が言った。


「こちらも、それらしき人物は見つかりません!」


 一番大きなテントから顔を出したトロルも言った。


「お前らの盟主はどこにいる?」


 連合のエルフが、両手を頭の上に乗せたボガードに槍を突きつけた。


「知らない……」


 ボガードはかすれた声で言った。


 悔しさの滲んだ声だった。が、それと同時にどこか安堵しているようにも聞こえた。連合に捕えられてしまうが――この終わりの見えない、破滅しか見えない地獄から解放されることに胸をなでおろしているのかもしれなかった。


「嘘を吐いている訳じゃないんだ、団長は……ここ数日は休んでたけど、ほとんどずっとここにいないんだよ」


「団長がお前らを置いてどこへ行くんだ」


「……食料を探しに行ってるんだよ。俺たちのために、ずっと、ずっと……――」


 と、その時、テントの方へと顔を向けたボガードと目が合った。


「森は隊長たちが探している。直に見つかることだろう」


「ああ、そうかい……」


 ボガードは周囲の目が自分に向いていないことを確認してから、険しい表情でフォズを見つめ、頭を掻くふりをしながら、テントの向こうの木々の闇を指さした。


「……もう逃げてるって可能性は?」ボガードが言った。「ここの異変に気が付いて、もう逃げたんじゃ?」


「その心配には及ばない」と連合のハーフリング。「この森の一角を囲むようにして別の部隊が展開しているからな」


「……随分と大盤振る舞いだな。俺たちの為に一体何人連れてきたんだ?」


「小隊二部隊分、およそ五十人」


「はあー……なるほど」


 するとボガードはフォズに視線をやってウィンク。もう一度、森を指さした。


 行け、と言っているのだ。それだけじゃない。カフェトランを連れて逃げろと言っているのだ。それとなく部隊の人数まで聞-き出して……。


「ボガードさん……」


 誰にも聞こえないような声量で、フォズは呟いた。まさかそれが聞こえた訳でもあるまいにボガードには伝わったのか、彼はにやりと頬を吊り上げた。


 ごめんなさい、ボガードさん、それに他の人も……。私にはあなた達を助けられない……。


「いいんですよ、ただ出くわしてしまっただけ、あなたは部外者だ」


「……? 何を言ってる?」


「いや、なんでもない。……ま、終わりともなると、いろんな感慨が沸いてくるんだよ」


 ハーフリングは理解できなさそうに首を傾げたが、ほとんど相手にすることもなく「そうか」と適当に相槌を打った。


 ……ありがとう。

 フォズはもう一度心の中で感謝の言葉を述べて、頭を下げてから、テントの裏を切り裂いて、木々の中へと駆けて行った。

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