第五十一話 紐

 フォズが体を起こすと、「おはよう」とカフェトランの声が聞こえた。テントの隅で彼女は、やはり別人のような顔でスープを啜っていた。


「フォズの分もあるわよ。……少し冷めてるかもしれないけど」

「大丈夫だよ。ありがとう」


 フォズは器を受け取る。申し訳程度の野草と調味料だけのスープだった。カフェトランは照れ臭そうに笑いながら言った。「……昨日はごめんね、恥ずかしい所を見せて」


「別に、恥ずかしくなんてないよ」フォズは言った。「恥ずかしい事なんかじゃ、ないよ」


「……そうかな」


「うん」


 フォズはスープに口を付けた。病み上がりに出される料理の方がずっと塩気が効いている。やはり、味なんてほとんどしなかった。


「美味しくないでしょ?」


「え、いや……」


「気を遣わなくていいのよ」カフェトランは悪戯っぽく笑って言った。「みんな分かってるから。変に気を遣って美味しいとか言われた方がときちゃう」


「……正直に言うと」


「うん」


「塩水って感じ。それも、とびっきり薄い。ちょっと香辛料が入ってるのが、余計にわびしさを感じる」


「あたしもそう思った」


 カフェトランは上機嫌そうに目を細めた。


「私が貰っちゃってよかったの? 貴重な食料を……」


「いいの、構わないで。他に食べるものはあるから」


「そうなの?」


「嘘じゃないよ。ただフォズが食べれるやつがこれだけだったの」


「……私、好き嫌いあんまりないよ? いや、他にも食べたいって訳じゃないけど……」


「ハーピィの肉、フォズは食べれる?」


「え、ハーピィ?」


「えり好みできる状況じゃないし、私たちを警戒してここいらの獣はいなくなっちゃったし。ハーピィは全くの無益な生物、なんて言われてるけど、食べれないことはなかったわよ」


 できれば今後口にはしたくないけどね、と冗談めかして笑った。

 フォズは上手く笑い返すことが出来なかった。


「昨日は聞きそびれちゃったけどさ」フォズがスープを飲み干したころ、カフェトランが訊ねた。「フォズは、一体何のためにあたしに会いに来たの?」


「それは……」


 フォズは口ごもった。

 その答えは、まだ、出せていない。


「やっぱり連れ戻しに来た? フォズのことだから、まさか仲間になりに来た訳じゃないよね」


「それが……、私も分からないの」


「分からない?」


 カフェトランは眉を潜めた。「偶然、ここに来た訳ではないでしょ?」


「どうしたいかは分からないけど、とりあえずお姉ちゃんに会いに行かなきゃって、そう思ったの。そう思って、村を出て、ここまで来たの。……私、寂しかっただけかな」


 それが正しいかを自分に確認するように、ぽつぽつとフォズは言葉を口にした。はフォズの言葉に、カフェトランは驚いたように目を二度三度と瞬かせた。


「……寂しいって、あなた、そんなことを言う人だったっけ?」


「言わないよ。普段なら言わない」


「……そう」そして申し訳なさそうに目を伏せた。「随分と寂しい思いをさせたみたいね」


「それは別にいいんだよ。私は私、お姉ちゃんはお姉ちゃんだから」


 フォズとカフェトランは、姉妹で、唯一の家族だ。しかし家族とは互いを縛る鎖ではないのだから。


「私がまだ大人になりきれてないだけ」


 しかしそれは強がりだった。寂しかった。一人の生活は、不自由することはなかったけれど、それでも“なにか”が足りないような感覚がずっとあった。


 その“なにか”の正体は分かっている――あまりにも明白だ――でも、はっきりと、言語化することができないのだ。


 詩的に言えば、彩。フォズの世界から色が薄れてしまったようだった。

 フォズとカフェトランは、姉妹で、唯一の家族だ。家族とは互いを結びつける紐のようなものではあるのだから。


 フォズは自分たちのことを特別仲のいい姉妹だとは思っていない。狭い家に一緒に住んでいるのに、必要最低限の会話しかしない日だってざらだった。でもたまに、時間を忘れて口が渇くのも気にしないでずっと話し込む日だってあった。


 でも、それでもフォズにとって彼女は最愛の姉で、いなくてはならない存在だった。不自由とか、そういう話ではなく、いなきゃいけない。ううん、一緒に居たいのだ。


 つまり、彼女はフォズにとって家族だった。普通の、誰にも存在する、最愛の家族だ。


 だから、カフェトランが村から去った時、フォズは悲しかった。自分はカフェトランのことをこんなにも愛しているのに、向こうはそうじゃなかったのか、と。怒りも沸いた。


 そうではないことも分かっていた。だって、家族を愛することを教えてくれたのはその姉自身だったから。


 カフェトランはフォズのことを愛していて、フォズと変わらず愛していて、でも考え方が少し違っただけだ。愛している、一緒に居たいと思っている。だからこそずっと一緒に居てはいけない。


「そんなことないよ、あたしだって……ううん、フォズの方がずっと寂しい思いをした」カフェトランはふうっと息を吐いて。「フォズは、分かってたのかも。あたしたちがこうなること。それで、あたしを助けに来てくれたのかも。姉妹の勘、みたいなので」


「……そうなのかな」


「助けるって言っても、あたしたちの仲間になって一緒に戦うとかじゃなくて。フォズはあたしを慰めてくれた。フォズの顔を見れたから、あたしは……立ち直れてはいないけど、少しだけ楽になれた」


 カフェトランは笑って見せた。だが、頬は引きつって目はちっとも細くなっていなかった。顔が笑うことを拒んでいるようだった。


「フォズは、今日中にはここを発ちなさい」


「やだよ。もうちょっとお姉ちゃんと一緒にいる」


 カフェトランはゆっくり首を振った。


「それ、フォズががあたしと居たいからじゃなくて、あたしの為に言ってるでしょ?」


「……違うよ。お姉ちゃんと、もっと話したいから」


「……」カフェトランはまたもや奇妙な笑顔を見せた。「フォズは優しい子よ。誰よりも優しい。ずっとそばで成長を見てきたから、知ってる。あなた以上に知ってるわ。あなたはあたしのことを止めに来たのよ」


「違うよ。私はただ会いたくて……」


「自分ではそうは思ってないかもしれないけど、そうなのよ。傷付き、傷付ける、フォズはそれを認めるような子じゃないもの。それになにより、顔に書いてある」


「顔……?」


 フォズは確かめるように自分の顔を撫でた。その仕草を見て、カフェトランは肩をすくめた。


「そう。あたしの今言ったこと、全部フォズの顔に書いてある」


「それは…………嘘だよ」


「かもね。うん、正直今のは殆どでたらめ。あたしに会いたかったんだってことは伝わってるよ。でも、今ちょっとどきっとしたでしょ。じゃあ、それはそういうことなのよ」


「……」


「村を出て、大変な想い、辛い想いをしてここまで辿りついたんだろうけど……だからこそ、言うわ。フォズはここに居るべきじゃない。昼には、もう行きなさい」


 カフェトランの言い分にその通りだと思った訳ではないし、言い返すことも反論することもできたはずだった。


「……うん、分かった」


 それでも、フォズは頷いていた。フォズは妹だったから。


 姉に逆らえないという訳ではなく――カフェトランが、妹のフォズのことをフォズ以上に分かっていると言ったように――妹のフォズには、姉のカフェトランの考えが彼女以上に分かるのだった。


 姉は、私に会えたことを喜んでいる。その言葉に嘘偽りはなく、心から喜んでいる。でも、もうこれ以上会っていたくないとも思っている。自分は“血脈”を辞めるつもりはないから。もう辞められないから。辞めることなんて許されないから。


 それは決して揺るがない。揺るいだとしても、生き方が逸れることはない。だから、それを引き留めたいと思っている私の顔を見るのが、辛い。二人の人生はもう重ならない。これ以上は互いに傷口を、心の洞を広げるだけ。


「……それまでは、ここに居ていい?」


「もちろん。それまでは、あたしが一緒に居てあげる」


 あるいはそれは、フォズの考えなのかもしれなかった。

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