第四十七話 死にたいと思う

 正直。

 

 一瞬、たった一瞬だけれど、フォズはこの女性が自分の姉だと分からなかった。


 だってフォズの見知ったカフェトランという女性は、赤土のような深みのある橙色の髪をしていたし、目は勝気に吊り上っていて、幼い顔つきながらも、年齢と経験に裏付けされた凛々しい雰囲気を纏っていたはずだ。


 だけれど今は――。


 老婆、とまでは言わない。が、そういう表現も間違いではないといえるほどしおれてしまっている。目の下に刻まれた隈はきっともう消えることはないだろう。


「わざわざあたしに会うためにこんなところまで? ばかねえ」


 カフェトランはけらけら笑うと、白湯に口を付けてゆっくりと胃に流し込んだ。その姿はまるで末期の病人のようだった。


「お姉ちゃんの方がばかだよ。なにも言わずに……こんなことをしてるなんて」


「だってそんなこと言ったらフォズが悲しむでしょ。……嘘。あたしが辛いから何も言わずに飛び出したの。許して」


「別に……怒ってる訳じゃないよ」


「うん。分かってる。……」


 エンマディカは沈黙から逃れるようにして、再び白湯に口を付けた。わざとらしく音を立ててゆっくり飲んでから、「そうだ」と顔を上げる。


「エトバル様は? どうだった?」


「元気だよ。相変わらず」


「……そうじゃなくてさ」


「怒ってないよ。それも、相変わらず」


「そう……。他の皆は?」


「他の皆も。寂しがってはいたけど」


「……。良かった。あたしはもう、多分、村には戻れないからさ」


「……」


 そんなことないよ、とは言えなかった。


「どう思った?」


 唐突に、カフェトランはそう訊ねた。


「……どうってなにが?」


「分かるでしょ。あたしのこと。こんなことして、」カフェトランはテントの壁の向こうに広がる景色を見やった。「こんなことになって」。そして膝の上のぼろきれのような布団に視線を落とした。


 カフェトランが糾弾の言葉を求めているのだということは、直ぐに分かった。

 責任感の強い彼女のことだから。同情や憐憫を掛けられることを嫌う彼女のことだから。


「死にたいって考えてると思う」


 だけれど、それを知って尚、フォズが放った言葉はそれだった。カフェトランが目を丸くしているのをお構いなしに、フォズは続けた。


「私が同じ立場だったらそう思う。……道中、ここまでの惨状ではないけれど、協力してくれる仲間を危険な目に合わせちゃったことが何度もあって、私だけが悪い訳じゃない、私だけの責任じゃないってことは分かってても、でもそうは思えなくて、自分を攻めて……。だから、私がお姉ちゃんの立場だったら、死にたいって考えると思う」


「……なんか、知らない表情してるな」


 カフェトランは苦笑を浮かべていた。

 その目は、どこか寂しそうに、どこか切なそうに、そして、どこか嬉しそうに、細められていた。


「いっつもあたしの後ろを付いて来てたフォズからは考えられない」


「そんなの、ずっと昔の話でしょ」


「そうだっけ? ……そうだったかもね」


「でも、ここまでの旅で、きっと私は成長したよ」


 経験したくないことを経験した。見たくないものを見てきた。

 だけれど、思い出すのは人たちだ。エンマディカ、ボルミン、メレ・メレス、フォズ、マルゥク、その他にも……。彼らとの出会いが、旅で手に入れた財産だ。

 だから――それらを失ってしまったカフェトランの哀しみと苦痛は、計り知れない。


「そう。あたし、死にたいの。あたしのせい。ほとんど、全部失ってしまった」


 カフェトランの呼吸が乱れ、しゃくりあげる。瞳が震える。しかし涙は出ていなかった。もう枯れ果ててしまったのだ。


「ねえ、フォズ。フォズ。フォズ。あたしはどうしたらいいのかな。死んだらいいのかな。そんな逃げなんて許されないのかな」


 フォズ、フォズと名前を呼びながら、縋るようにフォズの身体を抱きしめた。力いっぱい抱きしめているのだろう、しかしその抱擁はあまりにも弱々しかった。フォズは手本を見せるように抱きしめ返した、強く、強く。


「フォズ。フォズ。ごめん、ごめんね、ごめん……」


 やがてするりとカフェトランの腕が解けた。カフェトランは頭をフォズの肩の上に乗せたまま、すう、すうと安らかな寝息をたて始めた。フォズは自らの腕の力を緩め、しかし抱きしめることを辞めなかった。

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