第四十五話 難しい問題

 滋養料理もあらかた片付いた時だった。「あの、フォズさん」。他愛のない話を打ち切って、マルゥクが改まったようにフォズの名前を呼んだ。


「ごちそうさまでした。その、まあ……お、おいしかったです、割と」


 マルゥクは初めのうちは顔を青ざめさせていたが、すぐに――積極的とは言えないが、ある程度抵抗の消えたような手付きで料理を口に運び始めた。


「……まあ、食べれなくはなかったけど」


 壁に背中を預けベッドに座っているローニャンも、渋々といった様子で頷いた。ただ彼女は、どうしても蛇や鰐の肉には手を付けなかった。


「それは、よかったです。腕によりを掛けましたから」


 フォズは悪戯っぽく笑って見せた。


「そ、それで、あの、お伝えしておきたいことがありまして……」


「はい、なんでしょう?」


「それが……」マルゥクは神妙な面持ちになって、声を潜めた。「フォズさんのお姉さんの足取りについてです。じじ、実はあれからずっと、スラムの方で聞き込みをしていたんです」


「……何か、分かったんですか?」


 自然と唾を飲み込んでしまった。道理で最近忙しそうにしていたんですね、とメレ・メレスは合点がいったように頷いた。


「そ、そ、それが……冷やかし半分でカフェトランさんたちのいる墓所に行ったという人が見つかったんです」


 すみません、それを先に知っていればこんな目には……。マルゥクは申し訳なさそうに目を伏せた。

 しかし、「そんなこといいのよ」とローニャンがぴしゃり。「そんなことより、そいつから何を聞いたの? フォズの姉は、どこに言ったのよ?」


「それが……」おどおどと、たっぷり目線を泳がせてから。「……鬼の住まう地へ行くと、彼らを仲間にすると言っていたそうです」


「鬼……それって」


「おそらく、オーク領のことだと思います。……それを聞いて、付き合ってられないと、その人は抜けたようです


 ……オーク。フォズはその名前を心の中で反復した。

 凶暴で残忍なゴブリン以上の嫌われ者。言語や知恵と言った人間が豊かに生きる為に身に付けた能力を、鋼を鍛えそれを振るうためにだけ使う種族。


「それは……随分と…………」と唖然としたようにメレ・メレス。随分と――。その先の言葉は続けなかった。


「それを教えてくれた人は、……あ、あまりにも無謀だと。せ、戦争のことを知らないから、そんな短絡的な発想をするのだと、言ってました」


 メレ・メレスの言葉を引き継いだわけではないだろうが、申し訳なさそうに、マルゥクが言った。フォズは大きく首を振った。


 確かに、オーク領はあまりにも危険だという話はフォズも知っていた。オークはもちろんとして、気候や生態系などの環境もあまりにも厳しいと……。しかしそれも知識の上での話であって、フォズも戦争を知らない人間の一人なのだ。


「行くの?」


 端的に、ローニャンが訊ねた。こちらの背筋が思わず張ってしまうような、それ程に真剣な様子だ。フォズは迷わず、「はい」と頷いた。確かにオーク領は危険かもしれないが、その程度では旅を中断する理由にはならない。


「……止めはしませんよ、ええ」メレ・メレスは暗い表情だった。「でも、止めたい気分です。昔、ローニャンもいないずっと昔に、あそこに行ったことがあるのです。酷いものでしたよ。同じような目的で同行していた仲間は、ほとんど死にました。オークに見つかって殺されました。わたくしはもう、あそこには……」


 そしてメレ・メレスの身体は小刻みに震えだした。自らの身体を抱きしめるものの、一向に収まる気配はなかった。「すみません、ちょっと……」。震える手で辛うじてコップを手に取って、彼はキッチンに赴いた。


「しっかりと備えて行きなさい」


 再び、ローニャンが言った。フォズも再び、「はい」と返した。


「あたしは付いて行けないし……治ってからじゃ遅いでしょ。きっと直行した訳じゃなくて、仲間を集めながら、あの墓所と同じように寄り道してるはずだから……急いで向かえば追いつけるかもしれないから」


「ありがとう、ございます……」身体に何ともなかったら一緒に行っていた、というような物言いにフォズは驚きを隠せなかった。「でも、ローニャンさんには、これ以上ないほど色々協力してもらいました……」


 元はと言えば、フォズが怪物図鑑の情報を提供して、メレ・メレスとローニャンにポポロアマまで案内してもらう、というだけの契約だったはずだ。

 それがなし崩し的にカフェトランの足取りの調査まで協力してくれて、その結果ローニャンは命の危機に陥った。同じ危険な目にあったマルゥクは、そもそもフォズに協力してくれるどおり道理など何もないのだ。


「マルゥクさんもです。この街に来てから、マルゥクさんに頼り切りでした。本当にありがとう」


「い、いえ、僕なんて……じ、自分にできることをしただけ、です…………」


「それをしてくれたことがありがとう、なんです」


「……はい」


 マルゥクは照れ臭そうに視線を下げて、汚れた食器をぼんやりと瞳に映した。やがてまた「フォズさん」と名前を呼んだ。


「じ、実は……僕、た、た、旅をしてみたいと、世界を見てみたいと、ずっと考えていたんです。でも、僕はここを離れられないから……」

 

 ノフト。

 彼の名前とあの顔が、フォズの頭に浮かんだ――いや、あれから一度も、ノフトの顔を忘れたことはない。忘れることは、できそうにない……色々な意味で。


「そんなときにメレ・メレスさんからフォズさんのことを聞いて……できる限りで協力したいと思ったのも本音ですが、少しでも、旅をするような気分を味わえるかなって……」


「……」


「そ、そういう風に、この前、墓所に行くまでは考えてたんです。魔法だって使えるし、この魔法を活かしたかったし……。折角魔法が使えるんだから、それを活かせることがしたかった……」


 マルゥクはちらりと一瞬、ローニャンに視線をやった。


「……何もできませんでした。魔法は通じなかったし、なにより、た、戦うことができませんでした――気持ちが、怖くて、怯えて震えてるだけで、ほとんど何もできなかったです」


 あれは相手が悪かったのもあるだろうが――マルゥクの言葉は否定しない。ただの、狩や旅をしてきた訳でもない少年なのだから、当たり前ではあるのだけれど。


「す、すみません、急に変なことを言って……。困りますよね」


「いえ……。いや、正直なことを言えば返答には困りますが…………どうして旅に出たかったんですか?」


「……それはここの子供なら一般的な感覚よ」答えたのはマルゥクではなくローニャンだった。「ほとんどはスラム……希望の見えない場所で生まれ育って、で、街の方は外の世界の人や物で輝かしく発展してるんだから。ここを出て世界を見たいって、自然に考えるようになるのよ」


 だけど、とローニャンは続けた。「だけど、マルゥクはそれができるはずなのよ。ただの貧民街暮らしの子供とは違う。お金はあるし魔法だって使える」


「でも、ノフトが……。の、ノフトは苦しんでるんだから、僕が助けてあげないと……」


「……その事を、ノフトさんに伝えたんですか?」


 ようやく震えの止まったメレ・メレスが脂汗を拭いながら戻ってきた。「もう大丈夫ですか?」というフォズの問いに軽く手を上げて、席に戻ってマルゥクに向き直る。


「旅に出たいということを、ノフト君に話したのですか?」


「い、い、言える訳、ないじゃないですか。だってそれ、ノフトが足かせだって言ってるのと、お、同じですよ」


「その通りです、足枷です」


「……!」


「マルゥクさんの行動は否定しません、否定なんてできません、ですがあなたのその行動が、ノフト君を足かせにしてしまっているのですよ。自分が、自分で、彼を負担にしてしまっている」


 しかしもちろん、メレ・メレスはすぐさま首を振って、言葉を付け足した。


「これはあくまで一意見です。そういう見方もあるということです。ですが……一度、その自らの夢のことについて、ノフト君に話してみてはいかがでしょうか? 今のままでは、ただマルゥクの一方的な意見ですから」


「……で、でも…………」


「なにも行くべきだ、と言っている訳ではありませんよ。いつか旅に出たいということを話して、でもやっぱりノフト君から離れられないと考えるのならそうすればいいでしょう。一つの方向しか見ないのと、ぐるっとまわりを見てまた同じ方向に向き直るのじゃあ、結果は変わらなくとも意味は全く違うものになります」


「別に、もう帰って来ないって訳でもないんだし。もっと気楽に考えていいんじゃないの?」


 そう言ったのは、ずっと黙ってメレ・メレスの言葉を聞いていたローニャンだった。


「フォズとかあたしたちみたいな長期の長旅じゃなくて、数日、別の街に行ってみるとか、今はそれくらいでもいいんじゃないの? この街に引きこもってたあんたにしたらそれでも十分大冒険よ」


「す、数日……」はっとしたように、マルゥクは呟いた。「そうか、そういうのも……あるのか」


「元々一週間くらい会わないことだってあるでしょ? それで、見聞きしたことを離したり、土産物でも買ってきてあげれば、あいつだって喜ぶでしょ。……昔っからそう、何でもお難く考えすぎなのよ」


「まあ、まあ、それも含めて一度、話してみてはどうですか。もしマルゥクさんがここを開けるのなら、その間はノフト君のことはわたくしたちが引き受けますし」


「……」しばらくの間、マルゥクは顎に手を当てて黙っていたが、「は、はい、そうしてみます……」と頷いた。「うん、そうするかどうかはともかくとして、そのこと、言ってみようと思います」


「……まったく、世話が焼けるんだから」


 ローニャンはやれやれと肩をすくめ、わざとらしいため息をついた。

 しかし、その表情はどこか優しそうに緩んでいた。


「実は先日……ノフト君に頼まれましてね」メレ・メレスがこっそり、フォズに耳打ちをした。「あ、静かに……これかマルゥクには聞かれたくないのでね。……自分がマルゥクの足かせになってるから、背中を押してやってほしいって」


「……ノフトさんは、それでよかったんですか?」


「……寂しそう、ではありましたよ。でも友人を縛り付けるのは僕の趣味じゃないと」


「そう、ですか……」


「本当に、可哀そうな子です。色々と、本当に……」


「……」


「あ、あの、フォズさん!」


 突然マルゥクに名前を呼ばれ、「は、はいっ!」、素っ頓狂な声が出てしまった。


「……僕、旅をして、それで、魔法も……ちゃんと扱えるようになりたいんです」


「魔法使いになるんですか?」


「いつになるか分かりませんし、そもそもなれるかも分かりません。……でも、魔法使いになれたら、フォズさん、その時は、その時こそは、ぼ……ぼ、僕も、旅に付いて行っていいですか?」


「……もちろんです。私のことが全て終わったら、その時は四人で旅に行きましょう」


 別に、魔法使いでなくとも、マルゥクなら大歓迎だが。

 だけれど、それは言わないでおいた。

 それを目標に、彼には修行を頑張ってもらおう。


「おお、それはそれは心強い。その日が楽しみですねえ、ローニャン?」


「……人が多いのは好きじゃないわ」ローニャンはそう言って、髪を掻き上げて、しかし優しく微笑んだ。「でも、まあ、一回くらいは付き合ってあげるわよ」


「じゃあお酒開けましょうか、お酒」メレ・メレスは再びキッチンへと向かい、彼のつま先から膝くらいの大きさの樽を抱えて持って来た。「来たるべき未来と二人の無事を祈って、一杯やりましょう」


「あとあたしの快復もね。……って、それ開けちゃうの?」


「まあ、まあ、小さいこと言わずに」


「そういうことじゃないわよ。酒開けるって時にそんなみみっちいことは言わないわよ。そうじゃなくて、その酒、相当きついやつでしょ? あたしたちならまだしも、ねえ?」


「ああ、じゃあ軽いやつも持ってきましょう。わたくしも明日はやることがありますし、フォズさんも出立の準備がありますよね。だから軽く、ちょっとだけ、どうです?」


「もちろんです。お付き合いさせていただきます」


「ぼ、僕、あまり強くないですが……いただきます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る