第四十一話 彼女なら

 レイスが怯んだ隙を突いて、ローニャンがフォズの下に駆け寄って身体を持ち上げた。意外と重いわね、というローニャンの軽口に、フォズは言い返す余裕もなかった。


「……け、怪我は、大丈夫ですか!?」


 レイスから視線を逸らさないまま、マルゥクが訊ねた。フォズは問題ないと笑って見せた。マルゥクの稲妻に少し巻き込まれてしまったのだろう、左の肩が僅かに痛むが、それは伝える必要はない。


 フォズの言葉に安心したのか、マルゥクの表情が僅かに緩んだようだった。。そしてふうっと息を吐くと、レイスの姿を睨みつけた。


 ――おおお、おお、おおお……。


 悲鳴を上げていたレイスだったが、すぐにその声が落ち着いた。レイスの姿は何も変わっていなかった。古めかしいドレスを纏った黒面のエルフ。最初に見た時と全く同じ。


「効いてない……んですか?」


 フォズが訊ねると、ローニャンは「いや、しっかりと当ってるわ」、しかし渋い顔になりなって、「でもあいつの力が強すぎて、決定打にはならない……!」と苛立たしげに言った。


「マルゥクの魔法が弱い訳じゃないのに……くそ、こんなのがいるなんて聞いてないわよ……!」


 マルゥクが怒鳴った。「もう一発、いきます!」

 

 すると、フォズの視界が一瞬弾けた。マルゥクの手から放たれた雷光が、瞬間的にこの空間を照らしたのだ。光にやや遅れて、絹を引き裂くような、鼓膜を震わせるかん高い音。


 雷光はレイスに直撃していた。喉の辺りを的確に貫いた。フォズの弓のように透かされているといった様子ではない、魔法は確実にレイスの“本質”に命中している。


 だが。

 

 ――おお、おおおお…………。


 レイスはもう先程のような悲鳴は上げなかった。ただ直立をして、だらりと腕を降ろして――僅かにその姿がぶれるものの、まるで“そんなもの通用しない”と挑発しているようだった。


 もう一発、もう一発とマルゥクが雷光を放つが、レイスはそれを全て受け止めてみせた。表情は窺えない、動作は不明瞭、しかし負担を与えられていないというのは分かった。


「はあっ――はあっ――はあっ――」


「マルゥク、一回下がりなさい!」


「は、は、はい……」


 マルゥクは頷くと、腕を下げてゆっくりとこちらを振り返った――「マルゥクさん!」。ぐらりと揺れたマルゥクの身体を、慌てて支えた。「す、すみ……ません、結局足手まといで……」


 マルゥクの顔は青ざめて、呼吸も荒かった。魔法とはここまで体力を消耗するものなのか。


「そんなこと……ないです。マルゥクさんがいなければ、私は今頃……」


「……ご、ごめん、なさい」


「マルゥクの体力がない訳じゃないわ」。ローニャンが言った。彼女はフォズからマルゥクの身体を受け取って背負いこんだ。「たった数発で力尽きるほどの出力だったのよ、あれは……」


「……カフェトランは一体どうやってレイスを退けたんでしょうか?」


「たまたま現れなかっただけじゃないの?」


「でも……ここに滞在してたんですよ?」


「それは――来るわよっ!」


 すかさずフォズとローニャンは飛んだ。今度は不意をつかれない、そして無意味な追撃もしない。距離を取り、今度はレイスの姿のみを意識にかける。同じてつはもう踏まない。


 しかし――しかし、どうする? フォズは思案する。逃げたところで、このレイスを撃退しない限りフォズ達はここから出ることができない。階段を塞いだあの壁が本物だとしたのなら、その内この部屋の空気は――。


 だけれどもフォズに打開策はないのだった。狩とは獣の習性を把握し、地形を把握し、自分の能力を把握し、そして対処法を打ち立て備える。詰まる所、狩は知識と知恵だといえる。しかしフォズは、レイスに関してほとんど何も知らないのだ。

 フォズはレイスを睨みつける。レイスは何も見ていない。その面に何も映らない。


 正直、正直なことを言えば、泣きたい。フォズには打開策は思いつかないし、レイスについて詳しい(少なくともフォズよりは知識がある)ローニャンでも打開策を提示できないでいる。頼みだったマルゥクも歯が立たない。絶望的だ。


 でも――不思議と恐怖はない。この幽霊に対しての恐怖はあれど、この状況に対しては臆していなかった。なぜだろうか。村の中でも人一倍心配性だった自分が、何故こんな楽観的な思考を?


 いや違う。違うのだ。知っているだけだ。私はこんなとことで止まれないことを、知っているのだ。そして前に進むことができることを知っている。だってフォズオランはここには居ないから。ここから先へ進んだのだから。だから私にもできるのだから。


「カフェトランなら――」


 カフェトランならどうしたか考える。彼女ならどういう選択肢を取ったかを思考する。


 彼女ならレイスに勝てただろうか。否、彼女には魔法が操れないから、そもそも勝負の舞台に立てない。

 しかしカフェトランは一人ではない。高度な魔法を操れる者、神聖術に長けた者がいたかもしれない。これまでに墓所や遺跡を巡って来たとしたら、レイスの対処法も知っていたかもしれない。


 だけれど、カフェトランは、その手段を取らなかったに違いない。彼女は絶対に、このレイスたちを退治しなかった。

 墓を綺麗にして霊は消滅させるなど本末転倒である。カフェトランはエルフであることを誇りに思っているし、遺跡に眠るエルフ――つまりこのレイスたちのことを敬っている。だから、きっと姉の取った行動は――。


「カフェトランなら、こうするはず」


 フォズは構えを解いて、弓を降ろした。


「ちょっと、何やってるの!?」


 気が触れてしまった、とでも思っただろうか。

 フォズはローニャンとマルゥクを交互に見て、そして笑って見せた。

 それからゆっくり息を吸って、吐いて、もう一度吸って――胸に手を当てて、レイスに向かって口を開く。


「カフェトランのことを知ってますね? だいぶ前、ここに訪れた一団を纏めていたエルフです」


 レイスが音を鳴らす。おおおおお――だけれど、それは今までのものとは異なっていた――おお、おおおお、お……――カフェ……トラン……――。


「……えっ!?」ローニャンの背中で、マルゥクが目を丸くした。「い、今、喋った……!?」


 ローニャンも同じような表情を浮かべていた。うめき声や叫び声以外の音を操るレイスというのは、珍しい存在らしかった。


「――カフェトランと言ったのか」。レイスが音を発する。もう、それは明瞭な声になっていた。


 フォズは頷く。「やはり、あなたはカフェトランと話したんですね」

 

 やや間があってから。「……あいつのことを知っているのか?」


「はい。私はカフェトランを探して旅をしています」


「何故だ。まさかお前、“連合”か」


「……連合のことまで知ってるんですか」


「カフェトランに聞いた。連合に追われているから、ここに隠れさせてほしいと頼まれた」


「断らなかったんですか?」


「あいつらは私の眠るこの場所に美しさを取り戻してくれた。誰も、忘れていないのにもかかわらず気に掛けなかったこの場所を。数百年ぶりだ……おかげでよく眠れた」


 いつの間にか、ローニャンも武器を降ろして、フォズとレイスのやり取りに耳を傾けていた。もちろんマルゥクも。


「それでお前は“連合”か? わたしの大事な子を捕えようとしているのか? だとするのならば――」


 視線。フォズの全身を視線が貫いた。この部屋を取り囲むようにして並んだ墓石、いつの間にかその全ての前にレイスが立っていた。

 ただれた顔、ぼろきれの様な衣服。腐乱死体や焼死体のようなその姿は、黒面の彼女よりも数段低級な存在だと分かる。


「――っ!」


 突然、フォズの目の前にレイスの一体が現れた。醜い顔だった。

 引きずり出されたようにして自らの首元まで垂れ下がった舌が、歪に動いてフォズの顔を舐めた――本当に舐められた訳ではない。僅かに何かが触れたような、温い風があたったような感覚があり、舌はフォズの内側へとすり抜けた。

 その間、フォズは目を背けたくなるのを堪えて、レイスの顔を見続けていた。


 やがてそのレイスは両腕を広げてフォズに抱き着いた。全身に生ぬるい何かがまとわりつく感触、だがそれ以上に――フォズはすぐに立っていられなくなってその場に膝を付く。


 黒面のレイスが言った。「ここで死んでもらう」。「私たちの糧となってもらう」。「カフェトランを追わせはしない」。

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