第五章 墓所と亡霊

第三十四話 港街

 努力して魔法使いになった者はいない。熟練の魔法使いほどこの言葉の意味の本質を理解するだろう。

 魔法の熟達に努力は必要不可欠であるが、その習得に努力が関与する一切の余地はない。血も同様であり、親が偉大な魔法使いだからといって、子に才能が遺伝することはない。


 ――『魔法学・入門』パルパトス国立大学




*




 魔法とは、命である。天命を全うできずに散った生物の、世界に溶け出た生命の力を糧とする奇跡である。

 だから、我々は祈らねばならない。魔法を使用することは罪深いことであると、祖先の魂を冒涜することだとと認識し、弔いながら魔法を使用しなければならない。


 そして覚悟をしなければならない。魔法使いは天国には逝けない。地獄に逝くことも許されない。ならどうなるのか? それを知りたければ様々な伝承に残るレイスの記録を調べるといいだろう。


 ――『罪なる魂』ウィン・ウィル・リーダム著/ヒューマン




*




 どんなに領地を広げても決して内陸からは出ようとはしなかったエルフは、海を見ずに一生を終える者も少なくない。


 まさか自分が――常に視界の端で揺れ動く波、どことなく生臭いような磯の臭い、そして何より新鮮な海産物――これにすっかり慣れてしまうことがあるだなんて、考えもしなかった。朝日を反射する海の水面がこんなに眩しいとは、知らなかった。


 所狭しと商船が埋め尽くす港通り。それがゴブリン領ポポロアマの、文字通りの顔である。街に訪れる者の多くは、最初に港通りの石畳に靴底を付けることになるからだ。


 そこでは十大種族はもちろん、見たことの無い少数種族までもが商談や商いを広げている。最も差別されているゴブリン領で、いくつもの種族が対等に関わり合っているというのは、なんとも不思議な話だった。


 金の元では皆平等である――公平ではないけれど。

 メレ・メレスが言っていた言葉だった。


 ただ、フォズは港通りを歩くことはほとんどなかった。

 そこは商人同士が大きな取引をする場所であって、ただの旅人であるフォズには縁の無い場所だった。それよりも、酒場や屋台が立ち並ぶ蠱惑的な通り、フォズに縁があるのはこちらの方である。


 今日もフォズは、購入したばかりの噛みちぎれない程に固い干し肉を加えながら、この通りを歩いていた。

 決して観光気分で遊んでいる、という訳ではない。フォズが毎日この通りに、昼と夜に繰り出しているのにはもちろん理由があるのだった。まあ、せっかくだからいろいろと見て回ろうというおのぼりさんな気持ちは否定しないが。


「御嬢さん、外から来た人? なら、これどう? がぶっと、噛みつくの」


 屋台の隣で呼び込みをしていたハーフリングの商人が、フォズに声を掛けた。フォズは彼の方へと振り返り――そして眉をひそめた。幾つも並べられた壺の中になみなみと入った赤と黒の混ざった漬け込み液、そこに人差し指程の魚がぷかぷかと浮かんでいたからだ。


「が、がぶっとって……」フォズは恐る恐る尋ねた。「このまま、いくんですか?」


「そうよ」


 商人は目と唇を細めて頷いた。狐のような顔だった。


「特性の汁に付け込んだこのタラを、生のままがぶっといくの。大丈夫、朝とれたばっかの新鮮なタラだからね。汁の辛味とワタの苦みが癖になるのよー。どう、一匹?」


「……ご、ごめんなさい……」


 フォズは首を何度も振ってそれを断った。商人は残念そうに唇を尖らせたが、それ以上食い下がるようなこともなく、すぐに他の通行人への呼びかけへと戻って行った。


 ……魚は嫌いじゃないし、新鮮な海鮮はとてもおいしいと思う。だけれど、生だけはどうしても受け付けなかった――生魚に対する忌避感、これはフォズの好みの問題ではなく、一般的な価値観である。港町であるここポポロアマではある程度受け入れられているようだけれど、内陸地に住む、つまり魚は加工済みのものしか見たことの無いエルフにそれを求めるのは酷というものだろう。


「……でも、ちょっと気になるな」


 生はともかく、彼の謳い文句――漬け込み液の辛味とワタの苦み、というのに興味がないといえば嘘になる。持ち帰って焼けば……などと後ろ髪惹かれる思いを、フォズは首を振って追い払った。

 普段ならともかく、今日のフォズには目的とする場所があった。この通りの中央の方、蜂蜜屋の隣にある酒場である。開かれた扉から店内を除くと、まだ明るい時間だというのに赤い顔をしたドワーフ達がジョッキを掲げていた。


 店内の敷居を跨ぐと、ドワーフの血の入っているであろう大柄な店主が、黙って二階へと続く階段を指さした。頭を下げてから階段を昇ると、そこには狭い通路に幾つも並んだ扉がある。


 個室のある酒場というのはこのポポロアマで初めて経験したが、しかしこの街ではそう珍しいものではないらしい――個室の酒場というのは建前で、秘密の商談をするための密室として、だけれど。


 フォズは一番奥の部屋の前に立ち、ドアを軽くノック。「どうぞ」としゃがれた陽気な声。「先に始めさせていただいてますよ」。フォズが扉を開くと、メレ・メレスがジョッキに口を付け幸せそうに目を細めていた。深い緑の頬が、少し赤いような気がする。


「お酒弱いんだから、もう少しゆっくり飲みなさいよ」


「まあ、まあ、ローニャン、あまり固いことを言わないでくださいよ」


「この後、編纂へんさんの続きもやらなきゃいけないんだからね? 全く……」


 干物を齧っていたローニャンが、呆れたように肩をすくめた。もっともらしいことを言っていたが、彼女の前のテーブルには小樽が横になっていて、中からは琥珀色の液体がこぼれていた。


「ど、どど、どうも、フォズさん」


 頬をほんのりと赤くした少年が、律儀に立ち上がると丁寧にお辞儀をした。


「マルゥクさん。こんにちは」


「こ、こんにちは」


 フォズも頭を下げると、マルゥクはにっこりと人懐こい笑みを見せた。彼はメレ・メレスの諸雑用を請け負っている、ヒューマンとエルフのハーフの少年だった。

 メレ・メレスが旅に出ている間も、住居の管理や出版社との連絡役などを任されていて、なかなかに信頼されているらしい。


「頬が赤いようですけれど、マルゥクさんも少し飲んだんですか?」


「あっ、すっ、すみません……ほ、ほんの少しですが」


「いえいえ、別に悪いとかそういう訳ではなく……じゃあ、皆さんが飲んでるのなら、私も少し飲みましょうかね」

 

「どうぞどうぞ、こちらにお掛けになって、適当に空いてるコップに、お酒を注いでいただいて。そうしましたら、早速ですが報告会と行きましょうか――」




*




「私の姉は、ブラッドエルフなんです」


 ポポロアマにたどり着く数日前にフォズは、自分の探している姉が血脈のエルフだということを――先日の襲撃者と志を共にする人間だということを、二人に伝えた。


 あのエルフとドワーフがカフェトランの一味だと決まった訳ではないが――その可能性も、ない訳ではない。もっといえばカフェトランがメレ・メレスとローニャンを殺していた可能性もありえた話だ。


 しかし彼らは、やや驚いたような表情を見せたものの、「それはそれは、大変な旅でしょう」「頭の固い姉を持つと大変ね」と、ただの雑談に対するような反応を返してきた。


「え、いや……あの、だから……」


 罪を告白するようなつもりでやっと吐き出した言葉だったので、かえってフォズの方が面を喰らってしまった。そんなフォズを見て、メレ・メレスはにやりと頬を歪めた。


「別に、わたくしは、ブラッドエルフ自体にはどうも思っていませんよ。正直、彼らの主張には納得できる部分が多いです。革命的な思想になる者が多いのも、しょうがないと思います。わたくしたちだって散々そう言う目にあってきてる訳ですし」


「もちろん、あの時に言ったみたいに暴力革命には否定的だけれどね。……まあ問題なのは、ブラッドエルフとかそれに感化されたやつらは大抵、暴力に訴えてるってことなんだけど」


 それにしてもあいつらは行き過ぎてたけどね。ローニャンが呆れたように肩をすくめた。賛同しなかったあたしたちも殺そうとするとか、過激派にもほどがあるわよ。


「そうですね。そういう人たちは、認める訳には行きません。ですが暴力で主張を通そうとするのは……しょうがない事なのかもしれません。じゃあ正論と主張を触れ回ったところで、きっと何も変わらないでしょうから」


 言葉が何の意味もない、とは言わないが。

 主張も正論も倫理も通じないから差別なのだ、ということは、世間知らずであるフォズでももうすでに分かっていた。


「……ああ、ああ、話がそれてしまいましたね。ブラッドエルフについてどう思ってるか、ですよね。要するに、わたくしたちはどうとも思ってませんよ、ということを伝えたかったのです」


「むやみに血を流すやつは嫌いだけど、それはブラッドエルフに限った話じゃないからね」


「だから、応援していますよ。身内がブラッドエルフだとなるとよく思わない人も少なくないでしょうし、それを探すとなると大変だ、彼らは身を隠しながら世界各地に潜んでいるから。……でも、きっと、出会えますよ、旅を続けていれば」


 そしてこのポポロアマに着くと、何故だか、彼らも姉の行方を調べるのに手を貸してくれるという話になっていたのだ。


「まあ報告会とは言っても……今回はわたくしとローニャンは編纂作業で忙しくて、ほとんど調査の力になれていませんが……。いやはや、申し訳ない」


 メレ・メレスは苦笑を浮かべながら、へこへこと頭を下げた。まぶたは不自然に腫れぼったくて、大きい目の下に刻まれた隈は否が応でも気になってしまう。


「いえ、とんでもないです。本当にありがとうございます、私のために……。あの、無理はしないでくださいね」


「うふふふふ……よいのです。乗りかかった船です、縁があって、恩もあります。なに、その見返りといってはなんですが、色々とネタになりそうな話を聞かせていただいてるじゃないですか」


「無理なんてしてないわ。無理してたら手ぶらでここに来ないわよ」


「そうですそうです。そんな、お気になさらないでください」


「あ、あの」


 と、小さく手を挙げたのはマルゥクだった。


「代わりにと言ってはなんですが、僕、わ、わ、分かったことがありまして。は、話してもいいですか?」


 フォズが頷くと、マルゥクは少し興奮したように、テーブルの上に身を乗り出した。


「スラム街の方で――ぽ、ポポロアマの外れの方にスラム街がいくつかあるんですけど――その一つで、お、お姉さん、かどうかは分からないんですけど、ブラッドエルフが率いる一団が現れて仲間を募っていたらしくて」


「……それは本当ですか?」


「は、はい、僕の友人がそれを聞いていたそうです。けけ、結構前のことで、もうとっくにどこかへ発ってしまったそうなのですが……すみません」


「いえいえ、とんでもないです。……今まで何の手がかりもなかったんです。本当に、ありがとうございます」


「い、いえ……そんなこと」


「どうですかね? これから二人でそのスラムに赴いてみるというのは?」メレ・メレスが顎を撫でながら言った。「その友人に、直接話を聞いてみた方がよいでしょう。マルゥクもまだあまり詳しくは聞いていないんでしょう?」


「あ、はい、今マルゥクさんにそう提案をしようと思って……。どうですかね、都合が悪ければ全然かまわないのですが……」


「それは大丈夫です……けど…………」


「……けど?」


「い、いや、なんでもないです。……じゃあ、一緒に来るの、お願いしてもいいですか?」


 フォズは苦笑した。「それはこちらの台詞ですよ。是非、お願いします」


「じゃあ、」とメレ・メレスが立ち上がった。「わたくしたちはそろそろ.お暇させていただきましょうかね」


「はあい」ローニャンはテーブルの上の乾き物をポケットに押し込んでからそれに続いた。


「もう……ですか? もう少しゆっくりしても」


「うふふふふ。もうと言いますが、わたくし、もう限界なんですよ」


「もう? ……というと……」


 メレ・メレスは頭をお下げながら、「お酒ですよ、お酒」と弱々しく苦笑を見せた。「ちょっと……寝不足にアルコールはよくなかったかな……」


「だから言ったじゃない……」


 ローニャンのわざとらしいため息を聞こえないふりをして、早口で続けた。「ああ、ああ、お二人はそのままで結構、好きな時間までいてください。代金も払ってあります。多めに渡してありますので、追加の注文も大丈夫ですよ」


「……だだ、大丈夫、なんですか?」


「ええ。仕事ができない程ではありませんので……。では、また会いましょう」


 そしてメレ・メレスはそそくさと荷物を背嚢に押し込んで、そして逃げるように出入口のドアノブを捻った。しかしそこで辛そうに「うう……」としゃがみ込んでしまった。


「……はあ」


 再び大きなため息を吐いたローニャンが、乱暴に彼をおぶって、「じゃあまた」と素っ気ない言葉を残して去って行った。


 残された二人はなんとなく気まずさを感じて、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。


「……フォズさんは、御食事は済ませましたか?」


「いや、まだです。ここで、メレ・メレスさんたちと済ませるつもりだったので……」


「じゃあ、食べましょう。ぼぼ、僕も、まだなんです。だからご飯食べて、それで行きましょう」


 そういうことになった。

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