第三十一話 ゴブリンと銀貨

 連合の存在に異を唱える者は、その主張をする際、決まってノームの名前を挙げる。


 ノーム領はこの大陸で一番小さい領地として知られている。たった一つの街、それがノーム領の全てである。場所はヒューマン最大の国パルパトスに隣接する、というよりほとんど取り込まれる形で位置している。


 何故そんな場所に位置しているのか、それにはもちろん理由がある。

 ノームはどの科学分野も煽動するような高度な知性、そしてそれに基づく他の追随を許さない技術を持っているのだ。しかし数が少ないこと、そして為政というものが存在しないと言っても過言ではない程に統率がとれていないため、軍事力はほぼ皆無なのである。


 そんなノームを他の種族から保護するため、それから、研究の資金を得るために様々な種族と手を結び、”機械”を用いて戦火を広げたという過ちを持つ彼ら――その研究を監視するためという理由で、彼らの領土はそこへと決められたのだ。


 もちろんこれは建前である。実際の理由は、ヒューマンがノームの技術を独占するためだ。それは誰しもが気が付いていた。しかし――実質唯一の戦勝国であるパルパトスに、他のヒューマン国を含めて口を挟める者は誰もいなかった。




*




「おや、そちらのお嬢さんは……」


 ノームたちはローニャンの顔をまじまじと見つめた。


「あたしはドワーフ。あんたたちの同胞じゃないわよ」


「……みたいだね。いや、失礼。ドワーフさんは同じ種族でも容姿が全然違うものだから。あなたは随分可愛らしい容姿をしていらっしゃるが、この前出会ったドワーフさんは女性なのにヒゲがもじゃもじゃで――」


 おほん、ヒューマンがわざとらしく咳払いをして、ノームの言葉を遮った。「もういいだろう」


「――ああ、はい。失礼しました」メレ・メレスは唇を大きくゆがめ、うやうやしい仕草で頭を下げた。「すみません、お仕事の邪魔をしてしまって。では、また何か縁がありましたら――」


「いや、そうじゃない」


「……はい?」


 ヒューマンの騎士は目を細めてメレ・メレスを見つめていた。フォズはその彼の視線になにか嫌なものを感じた。ねっとりとへばりつく、それでいて射抜くような鋭い――悪意。


「もう雑談はいいだろう、ということだ」


「……わたくしたちになにか用でも?」


「さっき、アダマが言っただろう――お前たちに話しかけたノームのことだ、ほら、分厚い眼鏡をかけたこいつだ。ゴブリン、エルフ、ドワーフの三人連れ。随分と面白い組み合わせだな? 嫌われ者のゴブリンと、戦争で対立してたエルフとドワーフとは」


「あたしはコイツのこと嫌いだけどね」ぼそりとローニャンが言った。


「……つまり、何をおっしゃりたいのですかね?」


 メレ・メレスは険しい顔つきになって訊ねた。ヒューマンの兵士の嫌な気配は、メレ・メレスもローニャンも同様に感じているらしかった。


 メレ・メレスは腰の後ろの身体に隠れた位置でローニャンを指さした。ローニャンはそれを受けて――僅かに体制を低くした。注視しなければ気付けない程にほんの僅か、姿勢を下げてつま先に力を込め、いつでも駆け出せるように。


「ゴブリン領には多くの種族がいますよ? 街の方に行けば十種族はもちろん、それ以外の少数種族だって見れますよ」


「確かにその通り。しかし決して仲が良い訳じゃないだろう。商売を前にして恨みつらみを捨て置いているだけで、ドワーフはエルフを憎いと思っているし、ゴブリンはヒューマンを殺してやりたいと思っている。そうだろう?」


「……つまり」フォズには彼らが何を言わんとしているのか分かっていた。先程から、彼らの視線がちらちらと自分に向いているのだ。「私が“血脈”だと言いたいんですよね? それで、この二人はその仲間だと」


「……」二人のヒューマンたちはそれに否定も肯定もしなかった。ただ口元に浮かべた笑みと悪意を静かに強くしながら、一人が「証明できるか?」と問う。


「自分が善良なエルフだと、戦争に敗れた恐怖から歴史の表舞台から姿を消した情けない“耳あり”だと――証明できるのか?」


 彼らがフォズのことを本気でブラッドエルフだと考えている訳ではないのだろう。だとすれば、そんな追求、そんな挑発、自らを危険に追いやるだけだ――まあその程度の頭も回らない可能性も、なくはないか。


 しかし、その証明はフォズにはできなかった。そもそも、そんなこと不可能なのだ。

 だからつまり、そういうこと。否定できないのを良いことに好き放題罵っているだけ。ただ、難癖を付けているだけなのだ。他種族に恨みがあるのか、それともヒューマン以外を見下しているのか。おそらく後者だろう。そして万が一こちらが危害を加えるそぶりを見せれば、戦争を望む反逆者だと切り捨てることができる。


「――いいえ、申し訳ありませんが、それはできません」


 しかし、あくまで冷静に、そして落ち着き払った調子で、フォズはそう返した。かけらも動揺を見せないその態度に、ヒューマンたちはわずかに驚いた様子を見せる。


 フォズは決して怒りを堪えている訳ではなかった。ただ――ただただ、フォズは冷静なだけだった。それには、フォズにはその挑発がこれっぽちも響いていなかったから、それ以上の理由はない。


 エルフは敗戦した訳ではない。あの戦争はどの種族も疲弊しきって会談により終戦したから、どの種族が勝ったか負けたか、明確な勝敗はどこの記録にも刻まれてはいない。

 だけれど、事実として、エルフは負けた。物資も土地も何も得ず、いたずらに人口と誇りと歴史と――ほとんどのものを大なり小なり失った。


 しかし戦争に発展してしまったのは、エルフが自らに課せられた使命を間違えたからであって――自然を守り、愛し、共に生きるという、神によってエルフが創造された際に課された使命を忘れていたからであって――戦争のおかげとは言わないが、間違っても言えないが、戦争の経験を経てエルフは本来あるべき姿を思い出したのだ。


 はたからすればそれは負け惜しみに聞こえるかもしれない。戦争で土地を蹂躙された自分たちに言い聞かせているように聞こえてしまうかもしれない。しかしそう考えるものはフォズの村には、一人もいなかった――彼女の姉を除き。


 エルフ本来の生き方を思い出し、それに従事する自分たちを、誇りに思っているのだ。他種族からどう言われようと、どう見られようと、どう思われようと、それは決して揺るがない。

 それが“誇りなのだ”――フォズは誰かにそう言われた訳ではないが、しかし彼らの生き方を見て、その通り生きて、そう学んだのだ。


「逆に聞かせていただきたいのですが、」フォズはヒューマンたちの理不尽な態度に屈することなく、一歩前に出て続けた。「どうすれば納得していただけるのでしょうか? 何を見せれば証明になるのでしょうか?」


「……そんなこと、おれたちは知らん」さっきよりもずっと小さい声で、ヒューマンは言った。「疑われているのなら、疑われている方に証明する義務がある」


 フォズは肩をすくめた。会話を続けても平行線だ。

 そもそもここはゴブリン領であって、彼らに自分たちの行動を制限する権利はないはずだ。このまま無視して先へ行ってしまうのが確実なのでは、と考える。こちらから手を出さなければ、まさか彼らも手を出すことはあるまい。


 その旨を伝えようと二人の方へと視線を向けた時――、軽い金属の音が開きかけたフォズの唇の動きを遮った。音はメレ・メレスの足下からだった。


「……おや?」メレ・メレスが亜その場にしゃがんで拾い上げたそれは銀貨だった。「どうやら、どこかから飛んできてわたくしの足下の小石にぶつかったようですね」


「銀貨……ですか?」


「はい。どうやらそのようです」


 彼はそう言うと、わざとらしく肩をすくめる。


「しかしわたくしは銀貨など落としていませんからね。これは一体誰の銀貨――」と、そこで顔を上げ、ヒューマンたちの元へと駆け寄った。「もしかしてあなたの落し物ですかね?」


「は? おれの物の訳が――」言いかけて、はっとする。「――ああ、いや、そうだ、俺が落とした。ちょっと手が滑ってな……」


 ニヤニヤと不細工な笑みを浮かべる。「悪いな」。「いえいえ」。ヒューマンの男がメレ・メレスの手から銀貨をつまみ上げようとして――その手で拳を作り、突然メレ・メレスを殴りつけた。メレ・メレスの小さな身体は宙に浮き、ノーム達がそれを受け止めた。


 フォズとローニャン、そしてアダマを初めとしたノームたちは何が起こったのか、何故この男はゴブリンを殴りつけたのか、その理由が分からないでいた。怒り――仲間が殴られた事に対して怒りが沸かなければいけないのだけれど、それはあまりにも唐突過ぎて、まだ、フォズ達はその感情を思い出せないでいた。


「おれの――おれの手に触れやがったな! その、緑の肌で!」


 ノーム達に抱えられているメレ・メレスに、わなわなと瞳と声を震わせながら怒鳴りつけた。手ぬぐいを懐から引っ張り出し、皮膚が剥がれるのではないかという程激しく手を擦っている。


 ……手が触れた? 手が触れた。手が触れた。その言葉を、フォズは何度も心の中で、脳味噌の中で、反復した。手が触れたということは――手が触れたということだ。それ以上でもそれ以下でもない。それが、どうして、こんなにも怒りをあらわにして、そして殴りつける理由になるのだ?


「くそっ、くそっ――てめえ、よくも――くそっ!!」


「―――てめえ!!」 


 その“てめえ”はヒューマンのものではなかった――ローニャンは森中に響くほどの怒声を上げて、まだ手を擦っているヒューマンに掴みかかった。


「てめえ! てめえ! てめえ――」


 ドワーフの身長では彼の胴までしか手が届かなかった。しかしそれで十分だった。

 ローニャンは彼の胸宛てに指をひっかけるとそのまま地面に叩きつけた。その勢いのまま飛びかかるようにして馬乗りになり、襟首を掴んで何度も何度も揺さぶった。「てめえ、てめえ――」。怒りに顔を真っ赤にした彼女には、それ以外の言葉が出てこないようだった。


「ローニャンさん!」フォズは慌ててローニャンに飛びついた。「駄目です、それ以上は!」


「なんだよ!」


「気持ちは分かりますが――」


「分かる訳ないだろ!」ローニャンは犬歯を剥き出しにしてフォズに顔を向けた。「てめえも、さっき何も言い返さなかっただろ――なんであんなに言われて黙ってるんだよ――あたしから言わせればお前はただ臆病で争うことから逃げてるだけだ――!」


「――やめなさい!!」


 再び森中に怒声が響く。メレ・メレスが取り繕う素振りも何もないただの怒りを表情に浮かべ、ローニャンを睨みつけていた。


「……っ!」


 普段の彼からは想像の出来ない感情を顕にした態度に、ローニャンは驚いた、というより怯えたように表情をすくませた。

 しかし彼女も、はいそうですとその言葉に従うような性格ではない。


「でも、こいつが――」


「やめなさい、ローニャン」


 今度はゆっくりと、柔らかく言った。優しい口調ではあるが、何よりも鋭い声だった。

 フォズはローニャンの指を胸宛てから外させようと、彼女の指に触れた。ローニャンはわずかに抵抗するように指に力を込めたが、しかし直ぐにヒューマンから手を離し、そしてフォズに手を引かれるがまま立ち上がった。


「て、てめえ、なんだよ! 奴隷種族野郎!」


 ヒューマンの騎士は慌てて立ち上がる、が、その暴言は先程のものとは全く意味が異なっている。怒りでも憎悪でも嫌悪でもない、ただの虚勢。ただの戯言だ。


「……早く消えろよ」


 とローニャン。彼女は力なく、うなだれたようにして立っていたが――フォズの掌に先程から鈍い痛みがある。血が、流れ落ちる。ローニャンの爪が、フォズの掌に突き刺さっているのだ。

 必死に、怒りを、持ち上げそうになる腕を、堪えているのだ。


「これ以上何か言ったら、――掴みかかる程度で済ました僅かな理性も、なくなるかもしれない」


「……っ!」


 その言葉を嘘だと思う程彼らは愚かではなかったらしい。捨て台詞も何も言わず、ヒューマンたちは背中を見せて一心に走って行った。


「……くそっ、なんなんだよ」ローニャンは足元に唾を吐き捨てた。「緑だから何なんだよ。奴隷にされてたからなんなんだよ。――お前も、なんでエルフのことを馬鹿にされて黙ってられるんだよ……!」


 ローニャンが顔を上げフォズを睨みつけた。しかし彼女の表情はすぐに驚きに変わる。


「お前……なんで泣いてるんだよ」


「……え?」


 ローニャンの手を握ったままの手の甲に、生ぬるいしずくが垂れ落ちた。ぽた、……ぽた、更にもう一滴。フォズの眼から零れ落ちたそれが、二人の手を汚す血と混ざって、地面に落ちて土に染みこんだ。

 ローニャンがぎょっとしたように赤黒い液体を見て、慌てて手を離す。自分の手を見て、フォズの手を取って――「私がやったのか」。自分がフォズの手を傷つけていたことに、この時ようやっと気が付いたらしかった。


「……なんなんだよ」


 もう一度、彼女はその言葉を吐き捨てるように言った。

 困惑しておどおどとしているノーム達の中で、メレ・メレスが切なそうな表情で、フォズとローニャンを交互に見ていた。

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