第三十二話 誇り

 遠くからノーム達を呼ぶ怒声が聞こえるまで、誰も声を発することも、動くこともしなかった。出来なかった。

 ノームたちは何度も申し訳なさそうに頭を下げた。もう一度怒声が聞こえると、慌てたように声の方へと消えて行った。

 フォズがメレ・メレスの手に簡単な治療を施すと、「行きましょう」、「そうね」、その程度の言葉を交わしただけで、また三人は歩き出した。


 ……そして、またもや悲鳴が聞こえたのはすぐのことだった。

 ローニャンが石を蹴った時――そんな優しい悲鳴ではなかった。

 命が脅かされている、そして奪われている――その悲鳴だということは、三人とも直感的に分かったのだ。




*




 段々と悲鳴は小さく、数も少なくなっていった。急がなければ――夢中で足を動かすフォズの頭に、ふと疑問が浮かんだ。


 ……私は、彼らを助けたいのか?


 アラムを初めとしたノームたちは、助けたい。彼らは何もしていないし、ずっと所在なさげに、申し訳なさそうにしていた。


 しかしあのヒューマンたち。彼らを、私は、助けたいのだろうか?

 反射的に走っているだけで、そして道徳的に助けなければと考えているだけで、心の底の方では、私はどう考えているのだろうか?


 ブラッドエルフの存在を肯定する訳ではないが――何というか――彼らはブラッドエルフに殺されるべき存在だ、と思う――殺してほしいという意味ではなく――ブラッドエルフが憎む人間の典型例の様な者たちだ。

 ヒューマンを優等種だと理由もなく確信し、不当に他種族を差別し誇りを踏みにじる。ブラッドエルフは彼らのような人間を一人も見逃しはしないだろう。


 そして――フォズは、そんな“染まった”同法の気持ちが――わずかだけれど、少しだけれど、何となくだけれど――理解できてしまった。

 エルフ自体は何と言われても構わない、その程度で自分たちの誇りは傷付かない。しかし彼らのおごり高ぶり、そして他種族の現状――これらを黙って許容する、というのとはまた別の話なのだ。


 もし彼らが窮地に陥っていたとして、自分は助けるのか。助ける価値があるのか。助けることができるのか。悲鳴の方へと足を動かしながら、フォズの頭はずっとそのことだけを思考していた――そして。


 何も映さない……いや、鏡のようにただ正面にあるものを反射するだけの虚ろな目。血の泡が張り付いた開きっぱなしの口。

 何故か最初にフォズが捉えたのは、恐怖と絶望に叫びながらも剣を振るっているヒューマンの姿ではなく、無残な死体の方だった。メレ・メレスを殴りつけた方の男だった。


 そしてその後ろでは三人のノームが倒れていた。一人は腕が遠く離れたところにあり、一人は何故だか頭の半分近くが欠け、もう一人は外傷こそ見えないものの流れ出た血の量から生きていないことが分かる。

 更にその後ろで、四人のノームが顔を青くしながら抱き合っていた。


 まだ剣を持っているヒューマンも、そうなることは時間の問題だった。彼は二人のエルフ、一人のドワーフに囲まれていた。


 彼は今も必死に剣を振るっているが――当らない、かすりもしない。当たり前だ、彼はもう殺す為に剣を持っていない。

 ただ逃げることができなくて、でも生きて帰れるとも思っていなくて、しかし死にたくなくて――その結果が泣き叫びながら無茶苦茶に剣を振るっているこの姿なのだ。


 エルフとドワーフは、武器の構えを解かずに、彼の姿を嘲笑い罵倒の言葉を投げかけていた。


「お……お、おれが何をしたんだよおっ!」


 大きく剣を振り降ろす。まるで身の丈に合っていない木刀を振るう子供のようだった。その姿かそれとも言葉に対してか、エルフたちは声を上げて笑う。


「“俺が何をした”? それは俺たちの台詞だろう?」


「ただヒューマン以外に生まれたというだけで、お前らは俺たちをどう扱った?」


「何と呼んだ?」


「何と思った?」


「聞いていた」ドワーフが言った。「見てはいないが、聞いていた。お前たちがさっき、旅のゴブリンにしていたことを」


 メレ・メレスのことだった。

 隣で、彼が唾を飲む音が聞こえた。


「彼が何をした? 彼はゴブリンだというだけで、お前に何もしていないだろう?」


「それは――」


 しかし、その先の言葉は出てこなかった。


「……もういい」


 エルフの一人が言った。細長く顎髭を蓄えたエルフだ。雰囲気から、彼ら三人のリーダー格だということが分かる。


「もういい。もういい」


 そして長剣を構え直す。「ひっ」。涙で顔をぐちゃぐちゃにしていたヒューマンの男は一層激しく剣を振り回すが、もちろん何の意味をなさない。ドワーフが斧を振るうと、剣はいともたやすく弾かれてしまった。


「――待ってください!」


 フォズは叫びながら茂みの陰から飛び出した。エルフとドワーフがフォズの方に首を向ける。しかしその表情に驚きはなく、むしろ笑っているように見える。フォズ達のことに最初から気が付いていたようだった。


「何だ?」顎髭のエルフが訊ねた。


「……殺すんですか?」


「殺した」


「どうしてノーム達まで……」


「こいつらはヒューマンに管理されている。強いられているのではない、自ら進んでヒューマンの下にいるのだ」


「私は、彼らの技術を欲したヒューマンによってそれを強いられた、と教えられましたが」


「違うな」とエルフは一笑。「研究さえできればそれでいいと、自ら進んでヒューマンに下ったのだ。そして自らの好奇心を満たす為だけに生み出した数々の技術をヒューマンに貢いでいるのだ」


 フォズはノーム達を見た。ノーム達は首を振った。そのエルフの言い分を否定しているのではない――そんなこと知らないし、自分たちが決めたことじゃない。


 興奮したように、エルフが続けた。


「それらが多くの同胞を殺すことになるとも、更なる戦火に繋がるとも考えずにだ!」


「お前はどっちだ?」もう一人のエルフが訊ねる。「誇り高き戦士か? それとも誇りを忘れた腰抜けか?」


「……私は誇りを忘れていません」


「ほう」


「だけれど、あなた達とは違う、次の世代に語り継ぐことのできる誇りです」


 理不尽な暴力と死体の上にあるものは、誇りとは言わない。

 それが、フォズがアーフェン村で教えられたことだった。

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