第三十話 ノーム
エルフ、ドワーフ、ゴブリンという奇妙な三人旅は、存外うまく続いていた。円満とは言えないけれど、まるく――そう、特に角が立つことはなかった。
メレ・メレスはあれだこれだと事あるごとにフォズに話しかけてきたが、彼ははしゃべるのが好きなだけで、フォズが答えに困ったり曖昧な返事をしても、最悪返事を返さなくても不機嫌になったりはなかった。
ローニャンはずっと不機嫌そうにしていたが(そもそも彼女はそういう顔つきなのかもしれない)、彼女は自分からフォズに話しかけてくることは無かったし、フォズが話しかけても嫌々そうではあるが答えてはくれたので、数日たった現在でも特別衝突などは起こっていない。
「フォズさんは、以前は森に住んでいたのですよね」
当たりの背の高い樹を見上げながら、メレ・メレスが呟くようにして言った。そうです、とフォズは頷いた。
「どうです? ここまもうゴブリン領ですが、エルフの森と比べて」
「……勿論違いはあります。動植物、温度、湿度――でも、森は世界のどこにも、全く同じものは有りません」
「うふふふふ、そうですか。そうですよね」
「でもここは――凄い豊かですね。獣たちが生き生きとしています」
フォズはこちらから姿を隠すようにして樹の陰を駆けている兎を目で捉えた。毛並みが良く、一般的なものよりも一回り程大きく見える。もちろんそれだけでは絶対的なことは言えないが、この森が豊かな証拠の一つだろう。
「この辺りの獣はおいしいから、あたし好きよ」
トロル領を抜け身を隠す必要がなくなったからか、ローニャンはローブを脱いで、身体の白色のほとんどを露わにしていた。彼女は自分たちを覆い隠そうとしているかのように枝を広げている木、その一本の洞にぼんやりと視線を向けていた。
「ゴブリンは殆ど狩りをすることもないから、警戒心が薄くて捕まえやすいしね」
「そうですね」とフォズは頷いた。「他種族のハンターは、エルフ領の獣のあまりの警戒心の強さに驚くそうです」
「あんたたちは狩りすぎなの。でもヒューマンはもっと駄目。乱獲しすぎて警戒心は強すぎるし、ガリガリに痩せちゃってる。そもそも数が全然いない」
「ヒューマンは……そうですねえ」そう言ったのはメレ・メレス。「彼らの人口は他の種族に比べて文字通り一桁以上も違いますが、あまりにも発展が速すぎるせいで土地が足りないと、最近この様なことを良く耳にしますね。まあ……あそこはいくつもの国が存在するので、あくまで一部の国の話なのか、種族全体の話なのかは分かりませんが」
「あたしからすればあいつらこそ獣よ。ぽこぽこと節操なく子供作って数を増やして」
「そこは、ただの生態の違いですよ。ドワーフだって、エルフに比べれば繁殖率は高い方でしょう?」
「分かってるわよ……ただの冗談。それくらい分かるでしょ?」
「おや、すみませんね、わたくしただ下品なものは冗談だとは認めないのですよ」
「……ふん」
ローニャンは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、「ドラ!」という掛け声とともに、小石を力任せに蹴り飛ばした。純粋な力ならオークに次ぐ種族だ、つま先がぶつかる瞬間に石は砕け散り、まるで散弾のようになって飛んで行った。
しかしあまりにも力を込め過ぎたのか、石の散弾は前方ではなく斜め上に軌道を取って――「うわあっ!?」。そんないくつもの悲鳴が聞こえたのは、その直後だった。
ローニャンの蹴飛ばした石がこの森に居た誰かに当ってしまった、ということに気が付くまであまり時間は要さなかった。「ちょっと、見てきます!」。フォズは声のした方へと駆けだす。続いてメレ・メレス、更に遅れてローニャン。
やがて困惑した様子で空を見上げている一団が現れた。
その一団のほとんどの身長は低くまるで子供のようだったが、しかしドワーフならばその荒々しい容姿から一目でわかる。黒い髪に、橙と黄の間のような色の皮膚はハーフリングでもなかった。
もしかして十大種族以外の――と考えたところで、一つ、思い当たる名前があった。ドワーフでもハーフリングでもない、小さい身体を持つ種族。そして彼らは、特徴的な艶やかな黒髪の者がほとんどだ、と。
しかし、彼らは自領から出ることができないのではなかったか――?
「ごめんなさいっ!」
フォズは息を切らしながら叫ぶようにそう言うと、フォズの存在に気付いたノームたちが一斉にこちらを振り向いた。
「今、石が落ちてきましたよね? それ、私たちなんです、すみません。怪我をした人はいませんか?」
「……石?」ノームの一人がきょとんと首を傾けて、言った。「石というよりは砂という感じだったがね」
「砂……」
どうやら、ローニャンの力はフォズの想像をはるかに超えていたらしい。
「まあ、まあ、安心しなさい。流石に砂じゃ怪我はしないよ。ただ急に砂が降って来たもんだから、どうしたのかな、と考えていただけさ」そのノームの男は一歩前に出て、ずれていた眼鏡をかけ直した。「おや、珍しい一団だね」
いつの間にかフォズの隣にはローニャンが立っていた。ローニャンよりも先に走り出したのに、メレ・メレスが息を切らしながらやっと追いついてきた。
「それは――ハア、ハア――こちらの台詞ですよ。――ノームが自領から出る、だけではなくこんなに遠く離れたゴブリン領まで――ハア、一体何の用ですかな?」
ハハハ、そりゃそうだな。どっと、他のノームがおかしそうに笑った。
一体何がそんなに面白いのか、次第に彼らは腹を抱えてひいひい言い出した。笑っていないこちらがおかしいのではないかと思ってしまう程だった。
ようやっと笑いが収まると、先程の眼鏡のノームが、水筒で口の中を潤してから、言った。
「まあ、確かにそう思うのも無理はないかな。ノームは滅多なことでは自国から出ないからね」にいっと、彼は口元を歪めた。「確かにぼくたちは、ヒューマンによって自国に軟禁されているが――」
おほん、その傍らにいたノームではない二人の男――騎士のような格好をしたヒューマンの一人がわざとらしく咳払いをし、もう一人がぎょろとノームを睨みつけた。
「――ああ、失礼。“保護”、してもらっている訳だけど――滅多なことがなければ自国からは出ないけど、逆に言えば、滅多なことがあるのなら当然のように足を運ぶのさ」
「その滅多なことがここに有ると?」メレ・メレスが訝しげな視線を向け、訊ねた。「ゴブリン領なんて、ほとんど手つかずの自然と逆に手を付けていない所の無い街、そのどちらかしかありません。研究者にとって珍しいものがあるとは思えないのですがね……」
「その自然だよ」別なノームが答えた。「正しくは獣か」
「獣?」フォズがその言葉を反復した。「狩る……んですか?」
「いやいや! 見に来たんだ。観察だよ」
ぼくたちは荒事が苦手だからね、とノームははにかんだ。
「ぼくたちは獣の強靭な肉体、機動力、それを機械で再現したいんだよ」
「機械で獣を……」
フォズはノームの言葉を反復した。
機械という言葉をノームが使った時、その意味は大きく異なる――彼らの言う”機械”とは、金属や木材を複雑に組み上げて造られた兵器のことである。ノームの魔法によってのみ動かすことのできる、ノームの頭脳によってのみ生み出すことのできる、ノームだけの特権だ。
……いや、兵器に限られている訳ではない。日常や営みを便利にする様々な目的の機械があるらしいのだが――彼らが耳戦争に参戦した際に大量に動員した兵器たち、他の種族からすれば、あの体力殺戮兵器たちがノームの”機械”の象徴になっているのだ。
「まあ、あんまり詳細は言えないんだけど――」
ノームは二人のヒューマンを横目でちらりと見た。彼らは、ノームたちの護衛兼監視役、と言ったところなのだろうか。
「――その調査の一環で、このゴブリン領にやって来たんだよ。いやあ、ここはすごいね。エルフ領が優雅な自然だとすれば、ここは広大な自然だ! 何より獣たちが穏やかなのがいい。ちょっと行けば大きな街もあるしねえ」
「なるほど、そういう訳ですか……」
ふむふむと、メレ・メレスは頷いた。彼らの言い分を完全に信じた訳ではないが、とりあえずは納得したようだった。
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