第二十九話 不安な同行者

 分厚い本。大きさも重さも、持ち上げながら読むことは難しかったので太ももの上に乗せた。


 この全てのページが、生物について記されているのか。その時点でフォズの知識をはるかに上回るだろう。凄い。感嘆すると同時にわずかな敗北感。

 しかしそれも当たり前、これはメレ・メレスとローニャンの十年の軌跡なのだ。

 フォズはおずおずと、皮張りの厚い表紙をめくって、適当にページを開いた。


 早速知らない名前だった。銀鹿ギンカ。名前の通り銀色の角を持つ鹿だ。

 説明の横に描かれたイラストは普通の鹿とほとんど変わったところはない。ただその角は銀よりもはるかに固く、彼らの生息地からはいくつも銀の角が発掘されるらしい。……。


 別のぺージ。トビムカデ。これは知っていてほっと胸をなでおろす。羽根を持っていないのに空をはい回るようにして飛んでいる、不思議なムカデだ。

 飛行魔法を保有していてそれで空を這うことができる、と云われている。活動範囲が広くて世界中様々な場所で目撃がされているらしい。……。


 ぱらぱらぱら、とページをめくって流し見る。いくつか知った名前や見た目もあったが、そのほとんどは初めて見る生物たちだった。


 その数はもちろんだが、何よりもフォズが驚いたのはその説明の詳細だった。見た目の特徴、現地に伝わる伝承、そしてその特殊な生態に関してのメレ・メレスの考察、これがびっしりとページの上から下まで記されていた。


「……あっ」


 フォズの手があるページで止まった。「どうしました?」。メレ・メレスがそのページを覗き込んだ。


「ああ……ガルーダですか。そのページはイラストがありませんよね。お恥ずかしい話ですが、わたくしはガルーダを見たことがないのですよ」


「……そうなんですか?」


「ええ。ガルーダはグルルという少数種族が率いているものだけで、野生には一切存在しないと云われているのです。そんなことはありえないと思うのですが……実際に目撃情報は全くないのです。ですがそのグルルも、数が少ない上に放浪民族ですから出会うこともできなくて……。グルル自体はかなり昔から存在しているらしく、その話は様々な場所に伝わっているので、簡単な説明は書くことはできたのですが……」


「……私、見たことありますよ。ガルーダ」


「――――えっ!?」


 フォズの言葉に、メレ・メレスだけではなくローニャンまでもが顔を上げた。


「ほ、本当に? どこで見たのっ?」


「シュダ平原のガラ山という場所です。エルフとトロルの領境のところ……です」


「シュダ平原、ガラ山……あそこか……。くそっ、あたしたちはエルフ領に近い所は通らないから……。今から行けば間に合うか……?」


「あ、それが会ったのは――先週くらいなんですが、すぐに山を出ると言ってたのでもう居ないと思います……」


「どんな、どんな見た目でしたか? 覚えていますか?」


「はい、まだ鮮明に思い出せますが……」


「……その、大変厚かましい頼みで恐縮なのですが、ガルーダについて教えていただくというのは――」


「構いませんよ、それくらい。たまたま出会ったというだけで、私が何か成し遂げたとかそういう訳ではないので――」


「いやそんなことありませんよ!」メレ・メレスは食い気味に声を張った。「ガルーダについての詳しい記録というの、ほとんど存在しないのですよ。幻の存在、と言っても過言ではないのです。そんなガルーダに会えたというのは、わたくしからしたら、何と羨ましいことなのでしょう……!」


「……三年、くらい前からかしら。あたしたちはガルーダをずっと探してたのよ。もちろんそれだけをしてた訳じゃなくて、遠征先をグルルの目撃情報のあった地域にしてたってくらいだけど…………」


 そう言うとローニャンはその場に俯き、悔しそうに唇を噛んだ。


「あの、では早速お願いしても……」


 いつの間にかメレ・メレスは片手にペン、もう片方に白紙の紙を以って、その表情はやや興奮しているように見えた。


 ガルーダの姿は忘れようとしてもなかなか忘れられるものではない。美しさ、強靭さは未だにフォズの記憶に焼き付いて離れない。フォズは記憶に新しい極彩色の獣の特徴を、ぽつ、ぽつと語り出した。




*




「お供させていただきます」


 フォズの話したガルーダの特徴を元に、メレ・メレスはその姿を絵に起こしていた。暇を持て余したフォズは怪物図鑑をぱら、ぱらとめくっていると、ローニャンが「あんたはどうして旅なんてしてるの?」と何気なく訪ねてきたので、フォズも何気なく答えた。姉を探していること、その情報を集めるためにゴブリン領に向かおうとしていること。


 唐突にメレ・メレスが言葉を挿んできたのはその時のことだった。彼はペンを置き、ゆっくりと立ち上がった。


「お供させていただきますよ、フォズさん。わたくしたちが、あなたをゴブリン領まで、必ず送り届けます」


「えっ、いや、そんな、……悪いですよ」


「いえいえ。どうせわたくしたちもゴブリン領に帰る途中でしたし。お姉さんを見つけるまで、となると流石に難しいですがね」


『ちょっと、何勝手に……!』


 フォズは、ローニャンが口を開いたのを見た時、そう言うだろうなと予測した。しかし実際に彼女が発した言葉は、それとは真逆のものだった。


「まあ、いいわよ、それくらい。別に大した手間じゃないし」


「……いいんですか? 本当に?」


「なんでそんなに意外そうなのよ?」


「……わたくしとしては大変ありがたい申し出ですが、ガルーダのことのお礼とかなら気を遣わなくても……」


「気を遣ってる、とかじゃないんですよ」うふふふふふ、メレ・メレスは心底可笑しそうに笑って見せた。「それくらいはさせてもらわないと、わたくしたちが申し訳ないのです。ガルーダの情報というのはそれ程までに貴重なものなのですよ。フォズさんには、どうしても伝わらないらしいですが」


 フォズはローニャンの顔を見た。彼女はふんと鼻を鳴らすと、視線を窓の向こうにやって、それから悔しそうに小さく頷いた。


「ですから、どうか、同行させてください。じゃないと、わたくしたちが立つ瀬がありません」


「……そういうことなら、甘えさせていただいてもいいでしょうか?」


「うふふふ。甘えさせてもらうですか。まあいいでしょう。はい、もちろんです。他にも、何かありましたら何なりとお申し付けください。最低限でも、受けた恩と同じだけのお返しはさせていただきます」


「……あ、じゃあ早速ですが、一つ聞きたいことがありまして」


「なんでしょう?」


「メレ・メレスさんはローニャンさんに置いて行かれちゃったんですよね? その原因って何なんですか?」


 するとローニャンが「こいつがあまりにも馬鹿なことを言い出すから!」と、よくぞ聞いてくれましたとばかりに身を乗り出して声を張り上げた。


「馬鹿なこととは何ですか。わたくしは大食い蛇の観察をしようとしただけじゃないですか」


「だからって手持ちの食糧全部差し出すやつがどこにいるのよ! 蛇見る為なら飢え死にしてもいいの!?」


「大丈夫ですよ、流石にその程度考えてます。流石に次の街への到着の目途が立ってない時にそんなことはしません。近くにこの街があるから、あげたんですよ」


「そんなこと分かってる、でももしも何か不測の事態が起こったら? 転んで、野党に襲われて、怪我でもして、今日中にたどり着けなかったら? 挙句の果てに――あたしの食料を出せって? 置いて行っただけで済ませてあげて、感謝してほしいくらいよ!」


「うふふふふ……」


 メレ・メレスは肩をすくめてフォズを見た。

 フォズは苦笑を浮かべて、ローニャンに心の底から同情した。

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