第四章 ばけものと野蛮人と発明家

第二十五話 ゴブリン

 汚らわしいばけもの。その評価を、わたしは改めるつもりはない。

 あいつらに争う気がなかろうと、あの体色と顔は、同じ人間として括るのは無理があるだろう。これは差別ではない。あくまで事実として、やつらはばけものなのだ。


 しかし、話せば分かるばけものだ。なかなかどうして、気のいいばけものだ。

 わたしはそのばけものから、多くのことを学んだよ。


 ――大商人ジョウ・リン/ラクーレン(少数種族)




*




 ドワーフは数を五までしか数えられない。

(飲んだくれているドワーフはいつでも酒瓶を持っているので、片手しか使えないという意味)


 ――エルフに伝わるドワーフを揶揄する言葉




*




 戦争で最も多くの人間を殺した種族?

 ヒューマンじゃねえよ。エルフでも、ドワーフでもない。

 オーク? いやちげえよ、あの怪物どもでもない。


 じゃあどいつかって、そんなの決まってる、ノームだ。兵器を生み出しまくったあいつらだ。あの色白ちびどもがいなけりゃあ、まだもっとましな戦争になってただろうよ。


 ――傭兵レソ・スカピオ/ヒューマンとトロルのハーフ

 



*




「結局、私は何もできませんでした」


 シュド村の下山途中のことだった。

 フォズはあまりにもこの件に関して無力だった。村でのハーピィせん滅作戦はともかく、グルルの一件ではフォズは完全に必要がなかった。

 これは謙虚になっている訳ではないことは、あの時の二人を見た人物ならば誰もが納得することだろう。

 しかしエンマディカは、フォズの顔を覗き見るとゆっくりと首を振った。


「これは、私の分野だったからです。連合での仕事のほとんどは事務と交渉ですから、たまたま私にできたというだけ」


 もしグルルと戦うことになっていたら、私一人では力不足でした。エンマディカはゆっくり優しく、言い聞かせるように言った。


「私は狩りがあまり得意ではありません。私は都会の方の生まれなのです。アナトーがいますから戦うこと自体は得意です、戦争を経験してサバイバル技術も身に付いています、ですがフォズさんのように動植物に対しての深い造詣がある訳ではないのです」


「……」


「得意不得意、できることできないこと――みんなそれがあるだけ。そしてその場面と“得意”の噛み合った人が活躍をできるのです。フォズさんには私が全能な人間に見えてしまっているかもしれませんが、狩りや弓の技術で争えば私はあっさりと負けてしまいますよ?」


「場面と得意……」


「はい、そうです。ハーピィをおびき出す作戦は思いついても、私にその方法は考えつかなかったでしょう」


「……なるほど、です」


「なんだか、まだ納得できていないという感じですね」エンマディカはフォズの表情を見て苦笑。「でも、大丈夫ですよ。旅を続けていく中でフォズさんの出来ること――“得意”は絶対に増えて行きますから。焦る気持ちも分かります、私も若い頃はそうでした、みんなは何でもできて私は何もできない……常にそう思っていました」


「エンマディカさんも、ですか?」


「はい。私の上司が優秀な人で、常に劣等感を感じていました。ですけれど、成長の意思を持って生きていれば大丈夫です。ですから大切なのは、自分の得意を見落とさないことですよ。自分の持っているカードを把握していなければ、ここぞという場面で切ることができませんから――――」



*



 フォズはが移動を歩きながら、先日のエンマディカとのやり取りを回想していた。得意。場面。できること。


 フォズは自分に強い劣等感があることを自覚していた。それはやはり、姉の存在。

 カフェトランが悪いという話ではない。ただ常に、自分よりも優秀で、ほとんど全てのことに置いて上回る能力を持っていた姉がいたことによって、自分の能力について正しい評価を下すことができなくなっているだ。


 分かりやすい比較対象がいたことで、”姉より勝っているか””姉より劣っているか”この二通りの評価しか存在しなくなってしまっている。そしてそのほとんどが”劣っている”なのだ。


「自分のカードを把握する……」


 自分のカード――得意とは何なのだろう。狩り。弓の技術。獣や植物の知識。これは得意になるのだろうか。

 いやでも、弓の技術以外ではアーフェン村では自分は特別突出していた訳ではない。それとも、自分程度でも他のエルフと比べれば優れているのだろうか?


「……はあ」


 考えれば考えるほど分からなくなってくる。沼に沈んでいくような感覚。そもそも考えて分かるようなものなのではないのかもしれない。旅を続ける中で、他の種族、他の人間を見て知っていくしかないのかも――。


「なにか、お困りでしょうか?」


 不意に背後から声を掛けられた。しゃがれた、陽気なトーンを含んだ声だった。


「いえ、そういう訳では……」


 フォズは愛想笑いを浮かべながら振り向いた――そしてその愛想笑いはすぐに凍りついた。


 そこにいたのは緑色の小さな人間だった。緑の皮膚と吊り上ったアーモンド形の黄色い瞳は爬虫類のようなおもむきを感じさせるが、しかし彼はトカゲ人間などではなかった。

 鼻だ。顔の中心にそびえる巨大な鼻が異様な存在感を放っていた。


 巨大な鼻、分厚い唇、尖った耳、出っ張った顎――それらのパーツは一つ一つを取ってみれば、特徴的でこそあれ美醜に対する感想以外は何も思い起こさせないが、それらが一つに集まって”顔”を形成するとがらりと印象が変わる。


 まるで一定の意思に基づいて配置されているかのように――つまり、“嫌な顔”を描き出す為にそれら顔のパーツは形成・配置されているように感じた。


 それ程までに彼の顔は、見るものを不快に不愉快にさせる。……これだけ切り取れば初対面の相手にあまりにも失礼なことを考えているようだが――フォズは、その“嫌な顔”を特徴とする種族に心当たりがあった。


「あなた、ゴブリンを見るのは初めてですかな?」


 そのゴブリンは、にやにやと意地の悪そうに表情を歪めながらそう言った。その言葉にフォズはハッとして、そして「す、すみません」と慌てて頭を下げた。


「……その、大変失礼な反応を…………」


 うふふ、とゴブリンはにやにやを更に強くする。相手の神経を逆なでする、まるで馬鹿にするような表情に見えるが、きっとそういう訳ではないのだ。エルフやヒューマンの美醜の価値観だとそう言う風に見えてしまうだけなのだ。


「いえいえ。まあ、慣れっこ……というか、ゴブリンでそんなことで怒る人はいませんよ」


 その程度で腹を立てていてはきりがありませんからね。その言葉は冗談なのか笑ってはいけないのか分からず、フォズは「はは……」とあいまいに返した。


「あなた達の特徴は、知識としては知っていたのですが……この目で見たのは初めてです」


「あら、ということは、田舎――というのは失礼ですね、地方の育ちなので?」


「ずっと森で育ちました。今は訳あって旅をしていますが。……どうして田舎生まれだと?」


「ゴブリンは領地に縛られないのです。ゴブリンの多くは商売が好きでしてね、そのためには世界中をめぐる必要があるのです。オークさんやエントさんはなかなか円滑にとはいきませんが……エルフさんの街には、間違いなくわたしたちの同胞が商売をしに来ているはずですよ」


「はあ、なるほど……」


 フォズがゴブリンを見て絶句してしまったのは、ここがトロル領であったことも理由の一つだ。流石にゴブリン領の中でなら――まあそれでも多少は驚いてしまったかもしれないが、ここまでではなかったはずである。多分。


「じゃあ、あなたも何かの商売でこのトロル領に?」


 そう言って――フォズは彼の格好の違和感に気が付いた。

 彼は自身の身体とほとんど変わらない程の大きな背嚢はいのうを背負っていたが、商人ならばたったそれだけだなんてありえない。

 馬車、牛車、少なくとも荷車……それらは携えていなければおかしいだろう。


「メレ・メレスと申します」


「えっ?」数秒固まって、それが彼の名前なのだということを悟る。「…………あっ、私はアーフェンのフォズオランと言います」


 お見知りおきを、とメレ・メレスは小さな身体を更に縮めて頭を下げた。


「わたくしの荷物、少ないと思ったでしょう? 商人にしてはおかしいって」


「まあ、思いましたが…………」


「実は、わたしくしも旅をしているのですよ。商人ではなく旅人なのです。少々――込み入っている訳ではありませんが事情があって」


「お一人で、ですか?」


「わたくし、そんなにひ弱そうに見えますかね」


「えっ」


「それを言うのならあなたの方が、ですよ。あなたは一人、それに加えてしかも女性だ。でも、戦うことができるから一人で旅をしているのでしょう?」


「あの…………すみません、失礼に思ったのなら謝ります。ただ、そういう意味で言った訳ではないんです。ただなんとなく――」


「うふふふふふ、冗談ですよ。ごめんなさい、そんなに焦らないでください」メレ・メレスはそう言いながら、分厚い唇を大きくゆがめた。「それに、わたくし全く戦えませんし」


「……はっ?」


「包丁よりも厚い刃物は握ったことはありませんよ。連れと二人で旅をしているのです。ですが……先の町で、まあ、ちょっと色々ありましてね、連れが先に行ってしまったのですよ」


「はあ、なるほど……」


「それで戦えないわたくしとしては不安で不安で……。街道には獣避けもありますし、この辺りでは野党の類も聞きませんが、わたくしはこんな見た目でございますから、望まぬトラブルに度々巻き込まれてしまうのですよ」


「トラブル……」


 なるほど、とフォズは頷いた。確かに彼の見た目はあまりにも――失礼だが、十種族の中で最も怪物に近しい。


「ですから、ここでひとつ頼みがあるのです。もしよければ次の街までご一緒させていただけませんか? それで何かお困りでしたら、その対価として解決に協力させていただきます。そう考えてあなたに声を掛けさせていただいた次第なのですが……」


「それは、構いませんよ。……別に私は何か困ってた訳ではなく、ただ、ちょっと考え事をしてただけです。お礼なんて不要ですよ」


「……よろしいのですか?」


 フォズが頷くと、メレ・メレスは歯茎を見せて笑った。今までと同じように不細工な笑顔だったが、彼が喜んでいるのだということは伝わった。

 一緒に歩く程度、こちらには全く負担にならない。断る理由もないだろう。ゴブリンという種族と関わってみたいというのもある。


 ……ハーピィと戦い、グルルと出会い、世界は自分の知らないところがほとんどだということを再認識させられた。自分はあまりにも狭い世界しか認知していないことを知らされた。彼らと話してみて、それで初めて知ることもあるだろう。


 ……ただ、ゴブリン全てがそうなのかは分からないが、彼は……何と言うか、独特でマイペースな性分のようだから、上手に付き合えるかどうかは分からないが。


「一応聞きますが、メレ・メレスさんの目的地というのは……」


「ええ。トロルの都市の一つ、ブカ・ブッゴです。フォズさんの目的地もそこで?」


「はい、一緒ですね」


「うふふ、それはよかった。ここまで話して目的地が違ったら、随分と恥ずかしい想いをしてしまうところでした」

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