第二十四話 朝日とともに
シュダ村を離れる日の朝、フォズはやけに早く目が覚めてしまった。
まだ日が昇ってほとんど経っていないだろう。しかし農村であるシュダ村では、もうそこいらで物音や声が聞こえていた。
たった数日とはいえ、寝食をした場所を経つというこの寂しさはアーフェン村の時と勝るとも劣らない。
いや、それは嘘だ。流石に故郷の村を離れる時の方が、色々と思うところがあった。当たり前だ。
だけれど一瞬でもそう考えてしまう程、アーフェン村は居心地がよく、ここでの出来事はフォズの精神に大きな影響を与えた。
「……ふう」
上体を起こして大きく深呼吸。長い間空家だった家らしいので、すんとくぐもったカビの臭い。この臭いは……たった数日では結局慣れることなかったが、今日の日暮れには懐かしいものになっているのだろうなと予想する。
日に焼けて黄色く変色したカーテンは、指でつまむとぱりぱりとしている。僅かにめくり、刺しこんだ朝日の眩しさに思わず顔を背けた。
目の奥がじーんと痛む。それでも、おそるおそるその眩しさに目を慣れさせて、風に揺れる麦畑、のびのびと牧草を食む牛、そして活き活きと作業に取り組む岩の民――この窓からの景色を瞳に映して記憶に焼き付けた。
*
昼ごろ、フォズが出立する時刻になると、シュダ村のほとんど全員がフォズの見送りにやって来てくれた。その中にはわざわざ村はずれの農場からやって来てくれたボルミンの姿もあった。「畜産家は昼は暇なんだよ」。照れ臭そうに視線を泳がせながら彼が言った。
「この度は、誠にありがとうございました」
ゲヌがうやうやしく頭を下げたので、「いえ、そんなこと……」フォズは慌てて頭を上げさせた。
「結局、私はほとんど何もできませんでした。山に登った際も、解決したのはエンマディカさんでしたし……私はそれを、黙って見ているだけでした」
「いえ、そんなことはありません。わたしたちは、この村は、確かにフォズオランさんに助けていただきました。少なくとも私はそう思っています」
トロルたちは皆、次々に頷いた。
「……はい」
フォズとしてはその感謝の言葉をそのまま受け入れることは出来なかったが、一緒にミルクを飲み交わしたあの夜のエンマディカの言葉を思い出し、フォズは素直に頷いた。
「もちろんエンマディカさんも、です。お二人にわたしたちは助けていただきました」
エンマディカさんはすぐに村に帰ってしまったから、ちゃんとお礼が出来なかったのが心残りです。ゲヌは肩を小さくしながら、呟くようにそう言った。
「まあ、エンマディカさんは本当は村を離れてはいけませんからね……」フォズは苦笑い。「でもまだしばらくはアーフェン村に滞在してるだろうから、交易の際にでも会えると思いますよ」
「それなのですが……近い内に一度、わたしがアーフェン村に赴こうと考えております」
「なるほど」
「はい。エンマディカさんと、そしてフォズさんのこと、改めてお礼を言わなければと――」
「ぜ――絶対にやめてください!」フォズは顔を真っ赤にして言った。「エンマディカさんのことはともかく、私のことはやめてください!」
「そ、そんなに嫌なのですか?」
「嫌、というか…………」
恥ずかしい、のだ。そしてエンマディカは絶対にフォズのことを良く言うだろう。そんなおぞましいことがことが自分のいないところで行われている――ああ、考えただけでもむずむずする!
「わ、分かりました。じゃあ、それはやめておきますが……」
「……すみません。私の話をしないのなら全然かまわないので…………」
「次はどこに行くつもりなんだ?」
ずっとそわそわとした様子だったニルヤナが、ここぞとばかりにそう訊ねた。ずっとその質問をしたくて会話の隙を窺っていたのだろう。
「そうですね……。私の姉はこっちの方には来てないということが分かったので、」
「引き返す?」
「いえ、私の中で最有力だったこの村が違かった時点で、引き返したところであてはありません。ですからこのまま――そうですね、海の方に行こうと思います」
「海かあ」
「はい。港町なら情報が集まると思って」
「となるとゴブリン領ですかね?」と言ったのはダリルマイだった。「あそこはトロル領からも近くて、最大の港町があります」
「はい、そのつもりです。ゴブリン……仲良くなれるのかは、不安ですけど」
「大丈夫ですよ」ダリルマイは、にかっと笑って歯を見せた。「フォズさんみたいな真面目な人なら、ゴブリンとは気が合うでしょう。トロル領にもゴブリンは住んでるし、この村にも商売でやって来ることがありますが、実利的な話をしている内は友好的ですよ」
「……そうでしょうか。そうだと助かるんですが」
「旅が終わった時はまた寄ってくれよ」
そしてその時は、何があったかを、ぜひ聞かせてくれよ。頬を掻きながらボルミンが言った。フォズは笑顔を見せて「もちろんです」と頷くと、彼も照れ臭そうに、小さく笑って見せた。
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