第二十話 乾杯

「それは……?」


「ミルクです。是非フォズさまと飲んでくださいと、村の方から頂きました。よろしければどうですか?」


 シュダ村のミルク。「もちろんです」とフォズは食い気味に頷いた。何を隠そう、シュダ村のミルクはフォズの好物なのだ。


「エンマディカさんは飲んだことはあるんですか?」


「はい。アーフェン村で飲みました。ここのミルクは格別です。私が今まで飲んだものの中で一番おいしいと断言できますね」


「私も、そう思います」


 エンマディカは雑嚢からコップを二つ取り出して、片方をフォズに手渡した。牛の角の中身をくりぬいた、比較的安価でだけれど丈夫な、旅人がよく好んで使うものだ。ひしゃくでフォズのコップにミルクを注ぐと、自身のコップにも並々と。そして二人はミルクで乾杯して、ちび、と口を付けた。


 それはただのミルクではなかった。僅かにだが花のような香りと甘みを感じる。

 きっと蜂蜜だ。そして、多分あえてそうしていたのだろう、火の近くに置いていたことによってほどよく暖められ、蜂蜜の優しい甘みとミルク本来の濃厚な味が強調されている。「おいしいですね」。フォズは言った。「――はい」。エンマディカは頷いて、もう一口。「……おいしい」。「……はい」。


 疲れた身体にこの程よい優しい甘みが染み入る。甘過ぎたら夜には少々重い、しかし疲れた身体は甘みを欲する。その、丁度いい塩梅だった。二人のエルフは静かに、ゆっくりと、ミルクを味わい楽しんだ。


「蜂蜜を入れたのはエンマディカさんですか?」


「いえ、どうやら最初からのようです」エンマディカは唇をぺろと舐めて、「温めると良いと教えてくださったんですが、こういうことだったんですね」と感心したように呟いた。


 それから二人は言葉少なに、ぱちぱちと音を立てる焚火を見つめながらミルクを啜った。エンマディカはあっという間に飲み干して二杯目を注いだ。フォズも遅れて二杯目を頂いた。


「あの、フォズさま」


 二杯目も早々に飲み干してしまったころ、改まった調子でエンマディカがフォズの名前を呼んだ。


「どうしました?」


「夕方の話し合いの後、フォズさまはすぐこの手入れのために村から出ていかれましたが、村の方たちとはお話しをされましたか?」


「……いえ」


 フォズが俯いて自然と低い声となってしまったのは、エンマディカがこれから何を言おうとしているのかを察したからだった。


「村の方たち、フォズさんに大変感謝していましたよ。何も関係の無い自分たちを、危険を冒してまで助けてくださったと」


「ですが……」


「明日は山に登ると伝えたら、まだこれ以上してくれるのかと皆さん驚いていました」


「それは、最初からその予定でしたから……」


「ただ旅の途中に立ち寄っただけなのにどうしてそこまでしてくれるのだろうと、皆さん感謝すると同時に不思議がっていました。村長のゲヌさんは、感謝してもしきれない、でも満足な礼も渡せなくて申し訳ないと言っておりましたよ」


「礼なんて、そんな……。私は……自分の甘さのせいで村の人たちを危険な目に合わせてしまいました――最悪死人が出ていたかも、ですから……」


「それは、その通りです」


「――っ」


 どうせ慰められるだろう、そんな風に考えていたわけではないが――予想外の返答に、フォズは思わず顔をあげた。エンマディカと目が合うと、彼女は柔らかく表情を緩めて見せた。


「ですけれど、それはフォズさんだけの責任ではありません。フォズさんは自分一人で全てを背負おうとしていませんか?」


「それは……」


「あくまで作戦を立案したのがフォズさまであって、これはシュダ村全体での事情です。それに村の皆さんは覚悟はしていたと言っていました。フォズさまだけがそんなに重荷に感じる必要なんて、無いんですよ」


 エンマディカはミルクをもう一杯、フォズのコップに注いだ。「これで最後です」。樽の底に残った僅かなミルクを自身のコップにも入れて、惜しむようにゆっくりと飲んだ。


「フォズさまは間違いなくこの村を助けました。そしてそれは良い事です。失敗もあったかもしれませんが、だからと言って村の人たちを助けたこと、助けようとしたこと、そしてこれから助けようとしていることは無くなりません。ですからそれをちゃんと見て、認めてあげてください。自分の善行を認めるのは難しいかもしれませんが、否定をしてはいけませんよ」


「……はい」


 フォズが素直に頷くと、エンマディカは再び優しく微笑んだ。エンマディカさんは大人だな、フォズは思った。それともフォズ自身がまだ子供なのかもしれない。


 ……そうだ、すっかり忘れていた、随分と今更になってしまったけれど、あのことも。


「あの、エンマディカさん」


「はい、何でしょうか?」


「私……エンマディカさんに何も言わずに村を出て行ってしまって、その……すみませんでした」


「……いえ、別に、怒ってなどいませんよ」しかし、エンマディカは苦笑を浮かべ、言葉を濁した。「ただ、その……」


「連合としては問題……ですよね」


「…………はい。タイミングはもちろん、何より動機。これがちょっと……まずいですね。お姉さまに会いに行く旅なのでしょう? お姉さまと共謀しているように、人によっては見えてしまいます」


「……ですよね」


「――あっ、いえ、私がそう考えている訳ではないですよ? ……感情でそう言っている訳では無くて、合理的に考えて、です。……でも、もし本当にお姉さまを助けに行こうとしているのなら、こんなところで人助けをしている余裕なんてありませんよね」


 ひねくれた見方をすれば、同志になり得るトロルに力を貸している、なんて捉えることもできてしまいますがね。エンマディカは冗談めかしてそう言った。


「ですが……それを判断するのは私ではありません。村に何かあれば連合の方に報告しなければいけません。なので、フォズさま、申し訳ありませんが……」


「はい。もちろん、それで構いません」


「……よいのですか?」


「嫌って言ったとして、どうこうなることじゃないですよね」


「確かに、そうですが……」


「大丈夫です。それも、承知の上での旅です。私の旅に後ろめたいことはありませんから、それで全く構いません」


「……ありがとうございます」


「何でお礼を言うんですか。お礼を言わなければいけないのは私の方ですよ」


「あっ、いや……すみません、つい」


 エンマディカはまたもや苦笑を浮かべた。

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