第十九話 備えて
アーフェン村からの返信は、短く「フォズを任せた」だけだった。エトバルの筆跡だった。
ガラ山へ赴くのが明朝になったのは自然な運びだった。
ハーピィたちの異変に新たな山の支配者も気が付いているだろう。どころか彼らが獣ではなく知性ある人間だった場合、こちらの事情や考えの全てが知られている可能性がある。
時間を掛ければ向こうに罠などの備えをされてしまうかもしれないのでなるべく早急が望ましい、だけれどあのままでは夜に森に分け入ることになってしまって、それは自殺と変わらない。だから明朝なのだ。
「……」
とっぷりと陽が暮れた頃、フォズは貸してもらった空き家ではなく、村から出てすぐのところで焚火を起こしていた。物思い浸りたかった――訳ではない。色々と物思いもするが、目的はそれではない。
矢の手入れをしているのだ。矢はどうしてもかさばるから、旅中に調達できることを考えてあまり量を持ってこなかったのだのだけれど……もうその大多数を使い果たしてしまった。だからハーピィに射った矢の中でまだ使えそうなものを探して持ってきて、その手入れ中なのである。
幸いなことに素材はいくらでもある。ハーピィの爪に羽根。これを血を洗い落とした矢に付け替えるのだ。
ただ決して貧乏性にはならない。少しでも欠けのあるもの、曲がっているものは焚火に放り込む。敵に奇襲されて咄嗟に矢を射る――しかしその一本が曲がっていたり重心が狂っていてまともに飛ばなければ、その先にあるのは死なのだから。
……矢を惜しむなんてことはできない。だからどうにかして矢の調達をしなければならない。自作も視野に入れなければならないだろう。
木の枝や竹の先端をじっくりと火であぶって研げば、十分な硬度と鋭さになる。特に竹は鉄さえも貫くことができる。相当な手間ではあるけれど、それも視野に入れなければ……。
「お隣、よろしいでしょうか?」
ふと、背後から声が掛けられた。振り返らずともエンマディカだと分かった。
「どうぞ」と横にずれながら振り返った。
彼女は頭ほどの小ぶりな樽を抱えていた。「失礼します」。エンマディカは品の感じさせる仕草で腰を下ろすと樽を脇に置いた。
「……懐かしいですね、それ」フォズの手元を見ながら彼女が言った。「私も、昔はそのようにして矢を使いまわしてました」
「エンマディカさんも旅をしてたんですか?」
「……いえ、私の場合は――」とエンマディカは少し言い淀んでから、「まあ、もういいか……」と続けた。「私、従軍してたんです」
「従軍!」フォズは驚きを隠せなかった。「……というと、耳戦争ですか?」
「はい」エンマディカは頷いてから、苦笑して見せた。「歳がばれてしまいましたかね」
耳戦争とは五十年ほど前の、いくつもの種族を巻き込んだ大戦である。ヒューマン、エルフ、そしてドワーフ率いる諸種族連合の三つ巴(実際はそんな簡単に区分できるほど単純な勢力図ではなかったが)で、種族の存続をかけて争ったのだ。
そしてそれは、エルフが栄華を失った忌まわしい記録でもある。
「私は森に潜んで補給隊や連絡隊を奇襲する――まあゲリラです、ゲリラ部隊に所属してたのです。ですけれど補給が届かないことがほとんどでして。石包丁、石手斧、弓矢……必要なものは何でも作りました」
「……なるほど」
「……ああ、急にこんな話をして困らせてしまいましたよね。すみません」エンマディカは苦笑を浮かべて頭を下げた。「ええと……つまり、そういう経験があるからフォズさんのお手伝いが出来ますよ、ということを言いたかったのです」
エンマディカは血を洗い落してある弓の束の一本を手に取ると、矢じりと羽を取り外しにかかった。「あ、そんな、悪いですよ――」。しかしエンマディカの手さばきは見事なもので、フォズの倍と言っても過言ではない程の速度で、ハーピィのものへと付け替えてしまった。
フォズがその手さばきに目を丸くしていると、エンマディカはにっこりと柔らかく笑った。
「これでフォズさんが寝不足になってしまったら、私にまで影響がありますから」
「……はい。ありがとうございます」
……何というか、つくづく痛い所を付いてくる人だった。
向こうの提案をこちらの我儘で断らせてくれない。連合で身に付けた交渉術のようなものなのだろうか。
エンマディカが手伝ってくれてから作業はあっという間に片付いた。
結局矢の本数は持ち込んだときより半分くらいになってしまったし、使いまわしの物なので質も悪い。試しに射ってみると、狙ったところから僅かにだがずれてしまう。だけれどこれで何とかするしかないのだ。
「他にお手伝いすることはありませんか?」
余ったハーピィの素材を火の中に放り込むと大量の黒い煙が立ち上った。フォズは顎に手を当てて、少し考えてから、首を横に振った。
するとエンマディカは、「じゃあ少し付き合っていただけませんか?」、傍らの小樽を手に取った。
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