第十八話 山へ
エンマディカがフォズの元にやって来て、それから去った、あの日から数日後だった。エンマディカは彼女の相棒であるは緑毛の狼アナトーをつれて、村に再びやって来たのだった。
「万が一お姉さまが村に戻って来た時の為に、私がこの村に赴任されました」。どうやら事前にエトバルと話を着けていたらしく、エンマディカは空き家の一つに住み始めたのだ。
彼女の目的はそれだけではないのは明白だった。
誰も口には出さなかったが、この村の者がエンマディカと繋がっていないかを監視するためにやってきている、ということに皆気が付いていた。
しかしにもかかわらず、エンマディカはあっという間に村中と打ち解けた。彼女は誰とも分け隔てなく敬意を持った態度で接していたし、森に何かおかしい所があれば誰よりも先に様子を見に行ったし、また子供たちにせがまれれば日暮れまで遊んであげていた。
その上で彼女の借家は毎日夜更けまで明かりが灯っていた。連合の執務に取り組んでいたのだ。
「……なるほど、ハーピィが…………」
再びニルヤナの家に集合、フォズは皆にエンマディカとの関係を話し、エンマディカにはこれまでの経緯を説明。他のトロルたちは村の開けた場所で、ボルミン主導で傷の手当てを行っている。死者はもちろん、幸いなことに大きなけがを負った者は誰一人としていなかった。
「本当に、助かりました。エンマディカさんが来てくれなければどうなったことか……」
「……そうですね。本当に、間に合ってよかったと思います」
それに同調するように、アナトーがうぉんと小さく吠えた。
「……でもエンマディカさん、村を離れてよかったんですか?」
「あまりよくはありませんが……でも、村を守るのは村の人間の方が良いでしょう? それに私にはアナトーがいますので、すぐに駆けつけられると判断したのです」
「だけど……村から出るだけならまだしも、トロル領にまで立ち入ってしまってよかったんですか?」
するとエンマディカはばつが悪そうに「よくないです、本当はね」と苦笑を浮かべた。「村を離れるだけならまだしも……エルフ領から出たとなると、始末書ものでしょうね。だから、できればご内密にお願いします」
「はあ……分かりました」
「それでハーピィのことについてなのですが――」エンマディカが苦笑から真剣な表情になると、他の者たちも神妙に口を閉じた。「私の見解もフォズさんと同じです。彼らは巣を追われたとみるのが妥当ですね。……しかし」
……しかしとなると、一つ、まだ大きな問題が残っていることになる。
「ハーピィを追いやったのは一体誰なのか、という問題がまだ解決しておりません」
というよりも、ハーピィの退治は副次的な問題で、こちらの方が主題ともいえる。
ハーピィを追いやったガラ山の新たな支配者は一体何者なのか?
その存在がシュダ村に友好的とは限らない。獣にしろ理性を持った人間にしろ、次はシュダ村の資源に目を付けないという保証はどこにもないのだ。
だから、ハーピィというとりあえずの危機を取り払った次は、ガラ山の新たな支配者をこの目で確かめて来なければならない。そしてそれが危険な存在ならば、今回と同じように取り払わなければならない。
「……なるほど」
ため息交じりに呟いたのはゲヌだった。
それは納得の言葉ではなく、自分の予想を肯定されたことの――否定してほしいことを肯定されたことに対する感嘆だった。
「私が行きます」
誰よりも先に、小さく手を上げてフォズが名乗り出た。
「フォズオランさん……それは…………――」
ゲヌは何かを言いかけて、途中で言葉を切った。そして悔しそうに唇を噛むと目を伏せる。
「……お願いしても、よろしいでしょうか…………」
絞り出すような声だった。
彼個人としては別の村の別の種族の少女に頼むことなんてできない、しかし村長としてこの村のために縋れるものに縋らなければいけない、その葛藤。
それに関してフォズは何らフォローを入れず、「もちろんです」と頷いただけだった。
フォズとしては最初からそのつもりだったし、フォズが何かを言ったところで余計に彼に悔しい思いをさせるだけだと思っていたから。
そして何より――村人を危険に陥らせてしまったフォズには、それが当然の務めだからだ。
「……一人で山に行く気なのか?」
やや遅れてフォズの立候補の意味するところを察したニルヤナが、眉を弱々しく凹ませながらフォズの目を見た。
「あれだけのハーピィに勝てるやつらがいるんだろ? ……もし敵対したらどうするつもりだよ?」
「その時は……逃げるしかありませんね。でも、私は慣れてますから、きっと平気です」
「慣れてるって……」
だけれどニルヤナも他のトロルたちも、それ以上何も言ってくることは無かった。
誰かが山の偵察に行かなければいけないことは理解しつつ、しかし自分にはそれができないことが分かっているからだった。
やりたい気持ちはある、山へ行く覚悟はある、しかし知識も能力もない――ハーピィ相手にあわや大惨事というところだったのに、それに勝る相手にこちらから攻め込もうというのだ。
決してフォズに全てを押し付けようとする意図がある訳ではなく、森や山をほとんど知らない自分たちは足手まといにしかならないから、フォズの言葉を信じて、そして敵対的な存在ではないことを祈って、このエルフの少女に託すしかなかったのだ。
「大丈夫です、そんな心配することじゃありませんよ。その気持ちもわかりますが……私は狩人ですから」
「その通りです」エンマディカがフォズの方に手を乗せて、トロルたちを見渡した。「私も一緒に行きます。無茶は私がさせません。危険があれば真っ先に逃げます。アナトーの走力、先程皆さまも目の当たりになられたでしょう」
「ちょっと――エンマディカさん」
「なんですか?」
「エンマディカさんは関係ないでしょう?」
エンマディカは少し意地の悪そうに頬を吊り上げた。
「それを言ったらフォズさんだって関係ないでしょう? 無断で領境を跨いでしまったんです。すぐ戻っても、一日二日経ってから戻っても、領境をまたいだ事実は変わりません。でしたらやりたいことをやってから帰りますよ」
村を助けるためだったと理由があれば、連合への報告の際に多少はお目こぼししてもらえるかもしれませんから。彼女はそう言って、今度は優しげに頬を緩めた。
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