第十七話 大丈夫

 大丈夫。いける。フォズは自分に言い聞かせる。それは自己暗示ではない。ハーピィよりも鋭い爪を持っている鷲と対峙したこともあるし、ハーピィよりも素早く残酷な狼の群れに追いかけられたこともあるのだ。 

 事実だ。ただの事実として、ハーピィの群れなど取るに足らない存在だ。フォズの経験と実績が、それを証明している。


 しかし――フォズは狩人としては優秀だったが、狩りの時でなければただの年頃のエルフの少女なのだった。そして何より、その時とは違って、今のフォズの傍にはカフェトランがいないのだった。


「……」


 いける。大した相手じゃない。分かっている。ハーピィだから襲われても大したことにはならいし、私は短剣を持ってる。飛び込んで来たら格好のチャンスだ。それも分かってる。


 なのに。なのに。なのにフォズの脚は、身体は、そして心はどうしても動いてはくれなかった。やるべきことは分かっているはずなのに、やるべきことをやるだけなのに。それでもフォズは動けないでいた。


 震えている――自分にしか気付けない程度の小さくではあるが、身体が震えてしまっていた。歯を食いしばって押さえようとするが、しかし、いや、やはり、収まらない。


「フォズさん!」。槍隊の中からダリルマイの声が聞こえた。「フォズ!」。すぐ傍でボルミンの声が聞こえた。

 震えているのがばれてしまったのだろうか。それとも純粋に作戦が失敗したことへの怒声だろうか。お前のせいだ、お前のせいで死ぬんだ、そう言いたいのだろうか。ごめん。ごめんなさい。だって。でも。頑張ったよ。頑張った。頑張ったでしょ?


「フォズ、あそこ!」


 しかし彼らは怒りをぶつけるためにフォズの名前を呼んだのではなかった。「森の方!」。ボルミンはさらに叫ぶ。森の方。フォズは半ば呆然としながら、背筋を伸ばして森を見る。


 何かが走っていた。ハーピィの援軍ではない。それは空ではなく、陸をかけていた。狼のように見えるが、その背中にあたる場所から人間の上半身のようなものが伸びていた。

 ケンタウロスという少数種族の名前がフォズの頭に浮かぶが――しかしアーフェンの森に彼らはいない――。


 すぐに、それが一つの存在なのではなく、狼とその背中に乗った人間なのだと分かった。

 緑毛の狼とクロスボウを携えた人間だ。その人物はクロスボウを構えると、流れるように引き金を引いた。揺れる狼の背中の上なのにほとんど狙いを付けるような素振りはなく、構えてから発射するまでがあっという間だった。だけれど放たれた矢は――寸分の狂いなく、ハーピィの一匹のこめかみを貫いた。


「アナトー! 行け!!」


 その人物――女性が叫んで狼の背中から大きく跳躍。緑毛の狼はうぉんと大きく叫び姿勢を低くすると、先程とは比べ物にならない速度でハーピィとの距離を詰め、その勢いのままハーピィの喉笛に噛みついた――がきん、ばきん、骨の砕ける音がすると狼は血まみれの顔をあげた。


 突然の襲撃に慌てふためくハーピィたち。ぐるるるる、緑毛の狼が歯肉をむき出しにして唸ると、ハーピィたちは完全に恐怖に張り付けられてしまった。

 そこへ、とん、とん、あまりにもあっさりとした小気味のいい音。その次に響くのは「ぐうぇ」「あがあっ」。更に二匹、ハーピィが墜落した。


 今しかない――困惑も動揺もあったけれど、それよりもこの機会を逃してはならないという生存本能が勝った。

 フォズは呆気にとられているトロルたちを押しのけると「こっちだ!」と叫びながら矢を構えた。声に反応してハーピィがフォズの方を向く、しかしその後頭部にクロスボウが突き刺さる、其方に気を取られた隙を見てフォズがまた矢を放つ。

 やがて状況を理解した槍持ちたちも「俺たちも加勢するぞ!!」と陣を崩した。


 敵が動揺から立ち直れない内に総力を注ぎ込んで蹂躙する。これは戦術に疎いフォズでも効果的だと分かる。それがあまりにも綺麗に決まったのだ。ハーピィは誰を攻撃したらいいのかもわからず、誰も攻撃することもできず、みるみるその数が減っていった。


 数が減れば更に優劣の差は縮まり、あっと言う間に両手の指で数えられるほどになる。そこでようやっとハーピィは逃げ出そうと羽根をはばたかせて――最後尾の一匹を射落として、ハーピィせん滅作戦は幕を下ろしたのだった。




*




 クロスボウの射手は緑毛の狼の血汚れを手拭いで軽く拭き取って、雑嚢ざつのうから出した干し肉の塊を口の中に放り込んでやった。「アナトー、よくやったな」。彼女は愛おしそうに狼の顔を撫でてからフォズの顔を見た。


「お久しぶりです。……という程でもないですかね」


 トロルたちは「知り合いなのか?」という疑問の視線をフォズに向ける。フォズは彼女の正体に気が付いていた。エルフ特有の尖った耳、黒曜石の様な鋭い目、フォズよりも一回り高い身長。


「……エンマディカさん」


 フォズが名前を呼ぶと、エンマディカは小さく微笑んだ。


「突然森が騒がしくなったと思ったら、何匹ものハーピィが飛んで行ったので様子を見に来たんです。そしたら……」エンマディカは辺りに気付かれた羽根人間の死体の山を一瞥した。「事情を説明してくれますか?」

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