第十話 トロルの牧畜家

「お姉さんを探す旅?」


 トロルの青年――ボルミンはフォズの事情を聞き終えると、感心したように「ははあ」と頷いた。カフェトランがブラッドエルフに染まってしまっていること、革命団を組織していることなどは、余計な混乱と警戒を招くだけだと判断して口にはしなかった。


「おれなんかよりよっぽど若いのに、随分しっかりしてるな……」


「はは……」


 それに対してフォズが曖昧な返事を返したのは、自分はボルミンよりも年上だと分かっていたからだ。彼の年齢は聞いてはいないが――フォズは今年で四十五歳になる。


 エルフの寿命は長い。その平均は三百歳程だと言われている。しかし代わりにという訳ではないだろうけれど、エルフは成長が非常に遅い。種族によって寿命や成長の速度はかなり異なるが、その中でもエルフは成長――肉体と精神その両方――の遅さに関しては他の種族に類を見ない。


 だから、そういう意味では、ボルミンの言うことは間違ってはいない。フォズはボルミンよりよっぽど若い、というか幼いのだろう。しかし年齢では彼より一回り二回りは生きているのだった。


 そんなエルフの実情はいざ知らず、ボルミンは牧草を食む牛をどこか遠い目で眺めながら、「おれなんてこの年までここから離れようなんて、考えたこともなかったよ」と呟いた。


「別に……故郷を出ることが優れてる訳じゃないですよ。ただ私は村を出たい事情があって、狩りを生業にしていたから村から離れても生きることができて。ただそれだけです」


 ……そういうのがおれより立派ってことなんだよな。ボルミンはこめかみを掻きながら苦笑を浮かべた。


「……でも、フォズは随分変な所からやって来たな。シュダ村とアーフェン村を繋ぐ交易路があるはずなのに」 


「最初はその道を通ってたんですが、狼の姿が見えたので迂回したんです」


 森の中には交通や貿易の為に簡易的に舗装された道がある。その道には獣避けが施してあるはずなのだが、それでも何らかの理由で獣が近寄って来てしまうこともままある。


「狼? それは狩らなかったのか?」


「必要がなければ狩りませんよ。進路の障害ならばただ避けて通ればいいだけで、そこで殺すのは“必要”の内に入りませんから。狩りは、命をむやみに奪うことじゃないんです」


「ああ、なるほど……」ボルミンは納得したように頷いてから、すぐに申し訳なさそうな顔になって「ごめん」と頭を下げた。「ちょっと考えれば分かることだった」


「いや……私こそごめんなさい。ちょっと、嫌な言い方になってしまいました。……頭を上げてください」


「ああ……うん」だけれどボルミンはたっぷり数秒うなじを見せてから、最後にもう一度「ごめん」と謝った。


 これは昔からの悪い癖だった。

 フォズは自分が思ったままの感情の熱量を相手に伝えることが苦手らしく、しばしば冷たい言葉になってしまうことがある。「悪気はないのは分かるけど、どうにも言葉が冷たく聞こえるわ」。カフェトランに散々指摘された事だった。


 ほとんどが親戚の村で育ったこともその原因の一つかもしれない。みんなはフォズが言葉を選ぶのを苦手なのを知っていたから、ほとんど気にせず、フォズも自覚することなくずっとそのままでいてしまった。


「私、話すのがあまり得意じゃないみたいなんです。言葉は知ってるのに、会話の際に適した言葉を選べないというか……。だから、今も別に怒ってた訳じゃないんです」


「いや、そうじゃない」しかしボルミンは首を振って、フォズの言葉を否定した。「君を怒らせたとかそうじゃないとかは関係なくて、ただおれが失礼なことを言ったと思ったから謝ったんだ」


「……そういうことなら、じゃあ、素直に謝罪の言葉を受け取っておきます…………」


「ああ、そうしてくれると助かる」


「――ふふっ」


「ど、どうした?」


「いや――変なやり取りだなあ、と思いまして」


「……ああ。ああ、確かに」


 フォズにつられて、ボルミンも照れ臭そうに笑った。その気恥ずかしさを隠すように、ボルミンは早口に話題を切り替えた。


「お姉さんのことを知りたいのなら村の方に行った方がいい。おれは村とは離れて暮らしてるから、あんまり詳しいことは知らないんだ。だけどエルフがやって来たことがあるなら、絶対に憶えてる筈だ」


「はい、そうしてみます。……あの、ボルミンさん、よければ村まで一緒について来てくれませんか?」


「……それは構わないけど」


「一人だと、さっきの牛たちのように村の家畜たちが反応してしまうかもしれないので……」


 心細いというのもあった。他の種族の村に訪れるのは人生初めての経験なのだ、緊張しない方がおかしいだろう。こちらの理由は口には出さなかったけれど。


「ああ、なるほど。……うん、いいよ」


 そろそろ村の方にもいかなきゃいけなかったし。ボルミンは殆ど二つ返事で快諾してくれた。彼がこんなところにわざわざ住んでいるのは村の人たちと仲が悪いのでは、という懸念もあったが、それはどうやら杞憂だったようだ。


「じゃあ早速……と言いたいところだけれど、牛の乳を搾ってからでもいい? 搾乳の途中だったんだ」


「もちろんです。良ければ私も手伝いましょうか? やったことは無いですけど……」


「是非……と言いたいところなんだけど、おれ一人でやるよ。申し訳ないけど、下手にやっちゃうと牛がストレスを感じちゃうからさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る