第九話 エルフとトロルと家畜

 最初の行き先は決めていた。


 まずエルフ領の首都アルメリ、姉はここには行っていないだろうと考えた。理由は単純、大きな街には連合の支部があるからだ。わざわざ都市部に赴いて革命活動をするだなんて、自殺行為もいい所だ。

 そしてヒューマンの国、これもまたありえない。ブラッドエルフの標的は主にヒューマンだし、ヒューマン側もそれを知っている。十分な力を付けるまでは、まだそれ以外の国に身を潜めていると考えるのが普通だろう。


 エンマディカは、カフェトランはまだ戦力を集めている段階だと言っていた。となるとカ、フェトランはヒューマンに恨みを持っている種族の領地で同志を募っているのだろう。トロル、オーク、エント、一部のドワーフ、それから一応ゴブリン――このあたり。


 その中からフォズが選択したのはトロルだった。理由は簡単で、近いから。

 フォズのアーフェン村はエルフ領でもかなり辺境に位置していて、トロル領のすぐそばにある。同じく領境そばのトロルの村とも交流があり交易も行っていた。

 なのでとりあえずはその村――シュダ村を目的地に設定したのだ。


 そして、フォズが村を立って翌朝には領境に到着した。

 アーフェンの森とシュダの平原の境がそのまま領境になっている。フォズの足はその直前で自然と止まってしまっていた。

 領境を超えるのが初めてだからという感慨もあったし、ここを超えてしまえばもう本当に引き返せないという気がしていた。


 アーフェン村に帰るつもりは毛頭ないし、あんなことをしてもらって帰ることなんてできないけれど、なんというのか、この国境を超えるという行為が、育ったアーフェンの森を離れるという行動が、自分の旅立ちの分水嶺のような気がしていたのだ。


 だけれど、フォズはわずかに足を止めたものの、振り返ることもなくその敷居を跨いだ。力強く、木々の陰から足を踏み出して、日光の降り注ぎ草の揺れる平原へと立ち入った。




*




 ほどなくして先に建造物が見えた。さらに近寄ると牧場だと分かった。一棟の小さな建物の周りにまばらに牛が歩いている。その――農場の先にある村も、視界に入った。村。村だ。フォズの足取りは自然と忙しないものになっていった。


 ばう、ばうという牛の鳴き声が聞こえてきた。森では聞いたことの無い声だ。

 しかし近づくにつれて、ぴり、と肌に刺すような感覚があった。

 殺気――とまではいかないが、敵視をされている。警戒をされているのだ。誰が、それは明白だった。牛、そして牛たちの先頭に立って鍬を構えている人影だ。


「止まれ! それ以上近づくな!」


 男の怒鳴り声にフォズは素直に足を止め、敵意がないことを示す為に両手を頭の上に挙げた。


「どこから来た? 名前は? 目的は!」


 彼の声に呼応するように、牛がばうばうと吠えた。


「アーフェン村のフォズオラン!」フォズは大きく息を吸って、慣れない大声を上げた。「今は旅の途中です!」


「――――」やや間があって、「アーフェン村というのは、エルフの村のことか!?」


「そうです! エルフの村からやってきました!」


「ならば一つ問う! シュダ村とアーフェン村は交易をしているが、一体何を取引している? 本当に村の者ならば答えられるはずだ!」


「こちらからは肉、そちらからは麦と乳製品です!」


 また、しばらく間があった。フォズは辛抱強く彼の続く言葉を待った。やがて、「ゆっくりこっちに近づいて来い!」と声が聞こえた。フォズは両手を掲げた体制のまま、牧場へ向けて足を動かした。


 やがて声の主の姿がはっきりと見えるようになってきた。

 背の高いエルフよりも一回りは大きい、というよりひょろ長い、しかし不思議と貧弱には見えない体格。石灰食の皮膚は、顔の右半分と右腕の部分が岩石のようなもので覆われている――いや、その部分だけ皮膚が岩石になっているのだ。


 それこそがトロルの特徴だ。

 岩石を纏った、つまり無機物と同化しているという生物として異形の身体。小さいが尖った耳と長い鼻、死人のような体色から、多種族からは悪魔に例えられることもあるが――その本質は、何より平和を愛する牧歌的な種族である。


 トロルの青年は鍬を構えたままだったが、柄を握る手は緩んでいた。自分は敵ではないと、とりあえずは信用してもらえたようだった。


「牛たちが、お前を警戒しているんだ」


 歩けば数歩の距離までフォズがやって来ると、先程の大声はどこへやら、聞き取れるかどうかといった程度の声量で彼は言った。


「どうしてだ? お前、心当たりはあるか?」


 それに加え牛たちはなおも鳴き続けているから、彼の声は殆ど掻き消えてしまっている。それでも何とか彼の言葉を聞き取ったフォズは、「はい」と頷いて見せた。「おそらくですが」


「何をした?」


「それは、私が狩人だからです。私は――アーフェン村の多くの者は獣を殺すことを生業にしています。自然と共に生きる牛たちは、私から死のにおいを嗅ぎ取ったのでしょう」


「……」


「……少し、よろしいでしょうか」


 フォズはそう言って、吠えていた牛の一匹の傍に寄った。当然牛は警戒を強める、どころか荒く鼻息を鳴らして今にも突進でもしそうな雰囲気だ。

 家畜、家畜というが、牛たちがその気になれば人間位なら容易に殺せるということは、その体格を見れば誰でも分かることだ。鋭い牙も爪もなく、唯一の武器の角も切り落とされたとしても、その筋肉と体重は人をたやすく死に至らしめる。


「あ――危ない、離れるんだ!」


 やや遅れて、トロルの青年が慌てて忠告。しかしフォズは、聞こえなかったかのように牛に手を伸ばした。


「大丈夫――大丈夫。危害を加えるつもりはないから……」


 ばうっ、牛が一層強く吠えた。だけれどフォズはそれに臆せず牛の首に手を置いて、ゆっくりその手を上下に動かした。「大丈夫、大丈夫よ」。牛は身をよじってそれから逃れようとするが、フォズは牛の動きに合わせて自らの身体を動かして決して手を離さない。


「大丈夫だから、安心して……」。今度は首から頭へ、優しく手を動かし、それよりも優しく声を掛ける。まさか人の言葉を理解している訳ではないだろうが、牛は段々と抵抗する素振りを収め、やがて目を瞑ってフォズの手を受け入れ始めた。


「……」


 トロルの青年は口をぽかんと開けながら、長年牛と過ごした自分でも不可能な芸当を難なくやって見せたエルフの少女を見つめていた。

 しかしフォズにとっては――森で暮らすエルフにとっては別に特別なことではなかった。ただの技術、そして少しのコツだ。動物の気持ちを理解して、こちらの気持ちを伝える、その技術。


 狩人の中には獣を相棒に従える者もいる。熊や虎と寝食を共にし、心を通わせて共に狩りをするのだ。フォズはそこまではできないが、人に飼いならされた家畜を落ち着かせる程度なら自分にだってできる。

 フォズは他の牛も同じように落ち着かせる。三匹目が落ち着くのと同時に他の牛たちも静かになり、次第に牛たちは各々の生活に戻り始めた。

 フォズは敵視するような存在ではないと認識してくれたようだった。


「とても、愛されているんですね」


「えっ?」


「人の手で飼われているのに、敏感に、私から死のにおいを感じ取りました。人に飼いならされて野性を失った獣ではこうはいきません。彼らに人の手が加わりすぎないよう、あるがままの生き方をできるよう、愛を持って育てているのが分かります」


「……お前は」


 トロルの青年は、呆然とした様子でそう訊ねた。


「さっきも名乗りましたよ。フォズオランです」


 フォズは、少しだけ自慢げにそう名乗った。

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