第四話 エンマディカ
「突然申し訳ないね」
一歩、エトバルは敷居を跨いでそう言った。
「私に何の用でしょうか?」
フォズは回りくどいことはせずに、率直にそう訊ねた。うむ、とエトバルは頷いてから、連れて来たエルフに視線をやった。
「こちらの方が、お前に聞きたいことがあると言ってな」
「……姉のことでしょうか?」
「そこから先は、直接話しなさい」
エトバルはフォズに一瞬視線を向けてから、そのまま後ろを向いてフォズの家から出て行った。しかし彼はすぐさま足を止め、やや声を張って「二人だけにしてやれ」と呆れたように言った。
一体何のことだろうか――フォズはその言葉の意味するところを理解しかねていたが、しかしその意図はすぐに分かった。
ほどなくして村の家の陰など様々な場所から男や子供たちがわらわら沸いて来て、逃げるようにあちらこちらに散って行ったのだ。
エトバルは彼らが去っていくのを見届けてから、「私がここで見張っているから、話を済ませてしまいなさい」と扉を閉めた。覗き窓から、その場に座り込んだのが見えた。
「ありがとう、ございます」
「うむ」
エトバルの頷いた声が聞こえると、僅かに扉が軋んだ。扉にもたれかかったようだった。
「……あっ」
ずっと玄関脇で所在なさげにしていたエルフと目が合った。彼女は姿勢を軽く引き締めて会釈をした。
「申し遅れました、私は連合所属の特務第二小隊が一人、シシリアのエンマディカと申します」
「……はあ」
フォズがそんな素っ気ない返事を返したのは、彼女の名乗りに興味がなかった訳でも、ましてやあえて冷たく接しようという意図があった訳でもない。
ただ、彼女の自己紹介には肩書と聞きなれない固有名詞が多くて、いまいち感覚的に理解できなかったのだ。
シシリアのエンマディカ――これが彼女の名前であるということは流石に分かる。
エルフは姓を持たない。その理由は、エルフと言う種が長寿で繁殖能力の低いことに由来する。別な村や街の者であっても、元をたどればその殆どが血縁的な繋がりがあるのだ。そのために血の繋がりを表す姓ではなく、代わりに自らの出身地を名乗るという風習があるのだ。
だから彼女の場合はシシリア村(あるいは街)出身のエンマディカ、ということになるが――しかしシシリアというのは、フォズの聞いたことの無い地名だった。
「……連、合?」
だけれどそんなことは重要ではない、とは直ぐに分かった。フォズは世間に疎い方ではあるし、ここいらの村や街すらも全て知っている訳ではない――そんなことよりも、彼女は今、“連合”と言ったのか?
彼女の鎧の肩部にペイントされた、十種族の調停を意味する十芒星。それが、フォズの聞き間違いではないことを教えてくれる。
しかしフォズの驚きは他の村の者たちとは異なっていた――「どうしてこの村に連合が?」というものではなく、「まさか本当にやって来るとは」という、どこか納得混じりのものだった。そうか、そうか、連合か。その目的はカフェトラン。そうか。本当に来たか。とうとう来たのか。
「ご丁寧に、ありがとうございます。私はアーフェン村のフォズオランと申します」
フォズも自己紹介、そして頭を下げると、エンマディカはそれよりも深くうやうやしく腰を折った。どうやら彼女は軍人気質というのか、相当に真面目な性分らしい。
堅苦しさは感じるが、つまらない冗談でも言われるよりはずっとましだと思った。
「どうぞ、上がって……手前の椅子にお掛けになってください」言いながら、フォズは台所に向かっていた。「今、お茶でも入れますね」
「これはご丁寧に……」
フォズはティーポットを取り出し、茶葉を放り込む。量は目分量だが、何百回と身体に染みついた動作だ、間違えることはない。今度は青銅のやかんに、水瓶から水をすくって注ぎ入れれ、かまどの上に乗せた。
「お砂糖は使いますか?」
「あ、……お願いしてもよろしいですか」
「もちろんです」
紅茶の淹れ方は、カフェトランに教わったものだった。フォズはあまり食べ物に頓着をしない方だったが、彼女の姉は口に入れる者に関しては殆ど妥協を許さなかった。
紅茶を淹れている間、フォズもエンマディカも口を開かなかった。カチャ、カチャと、食器の音だけが狭い家の中に響く。しかしほどなくして、そこに香しいにおいが混ざりはじめた。
フォズはティーカップに紅茶を注ごうとして――
砂糖を入れて丁寧にスプーンでかき混ぜてからエンマディカの前に。「ありがとうございます」。またエンマディカは頭を下げた。
フォズは自分の分のも淹れてから、エンマディカの向かいに立った。
「どうぞ、冷めないうちに」
「え、ええ……」
しかし彼女はなかなかカップに口を付けようとせず、フォズの顔を不思議そうに見ていた。
「……どうかしましたか?」
「いえ、その……。座らないのですか?」
「……ああ。いや、この椅子は座れないんです」
「壊れてるんでしょうか。あっ、では私がそちらに行きます」
「いえ、私がこっちで結構です」
フォズはきっぱりと、あえて素っ気なく返した。何を言われてもフォズは譲るつもりはなかったからだ。
「……では、私も立たせていただきます」エンマディカはそう言うと、ティーカップのハンドルに指を引っ掛けて、反対の手でソーサーを持ち、立ち上がった。「押しかけているのは私の方なのに、私だけ座っているなんて、そんな恥知らずなことできません。あなたが座らないというなら私もこうさせていただきます」
「……ご自由にどうぞ」
エンマディカはフォズの言葉に満足そうに頷くと、ようやっとティーカップに口を付けた。思ったよりも厚かったのか、彼女は眉根に皺を集めると一旦口を離し――もう一度、ゆっくりと、淡い黄色の水面に唇を浸した。
「……大変おいしいです」
「ありがとうございます……」
フォズもカップを持ち上げて、紅茶をわずかに口に含んだ。飲み慣れた、いつもと変わらない味だった。
「――それでは、フォズオラン様」
エンマディカはもう一度ティーカップに口を付け、ゆっくりと味わうように舌の上で泳がせてから、ふっと表情を消して低い声で切り出した。
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