第三話 カフェトラン
村に近づいて来る武装した一団を発見してから、女子供は家に隠れて出てこないように言われていた。そしてもしもの時のために逃げる準備もしておくように、と。
フォズオランもその一人だったが、彼女は“もしもの時”は男衆と共に戦おうと考えていた。
この村は狩人の村だ。獣を狩るのには性別も、年齢だって関係ない。子供は物心つく前から玩具の弓で遊び、そして死の間際まで弓を手放すことは無い。獣の前に弓を構えて立てば、そこにいるのは狩人だ。性差も年齢も関係ないし、恐怖も体調も意味をなさない。ただ有るのは純粋な技術だけだ。
……だから、村の男たちが女子供だけでも逃がそうとしているのは、足手まといになるから、という訳ではないことは分かっている。そうではなくて、狩人としてではなくて、ただ一人の人間としての理由。だけれど、それを理解してもなお、フォズオランは大人しく逃げるつもりはなかった。
戦える者が戦うのは当たり前だろう?
死ぬ覚悟ができている者が前線に出るのは、至って普通のことだろう?
事実、フォズオランは、この村では優秀な狩人の一人だった。まだ若いから経験は少ないものの、その卓越した射撃の技術は天才的、と評されることもままあった。
自分より優秀だった姉の存在から彼女はその言葉をお世辞以上に受け取ったことはなかったが、それでも他のエルフに比べ自分の技術は高いところにある、ということは自覚していた。
……フォズオランは窓からわずかに視線をのぞかせる。弓を握る手には自然と力が込もる。
彼女はこの村を愛してはいなかった――と言うと語弊があるけれど、姉のようにエルフという種に誇りを持っていた訳でもないし、まだ若い彼女には村に対する特別な思い入れも余りなかった。
だというのに自分は何の迷いもなく戦おうとしている。命を賭して、村を守ろうとしている。これは一体どういうことだろうか。
しかし――なにやら様子が変わったことに気が付く。彼女の家の位置からでは、その一団と村の男たちの間で何が行われているのかはほとんど窺えず、ただ人が群がっているのが見えるだけだったのだが――人が割れて、その中から二人が歩み出た。
一人はこの村の人間、もう一人は来訪者であることは格好からすぐに分かった。ほどなくしてその顔の造形を彼女の視力が捉えた。エトバルと、凛々しい顔つきのエルフだった。
来訪者がエルフだったことには驚かない。そもそもここはエルフ領なのだから、エルフ以外の者の方が珍しい。強いているとすれば――隣領のトロルくらいだ。
彼女はエトバルが一団の代表と話をつけようとしているのだと判断したが、しかし彼らの向かう先はエトバルの家の方角ではなかった。ではどこへ?
その行き先を目で追っていると――あれ、と直ぐに気が付いた。……私の家?
もちろんそんなはずはない。すぐに首を振って否定するが、しかしその予想は的中していた。エトバルは真直ぐにフォズオランの家に向かっていた。
「――!」
彼女は慌てて窓から離れ、扉の前で身をかがめた。エトバルと一瞬目が合った気がしたのだ。
「ここだ」
扉の向こう側からエトバルの声が聞こえた。続いて、連れてきたエルフが「ここにはあなたの家ですか?」と尋ねる。それに対してエトバルは「カフェトランの妹の家だ」とつまらなそうな調子で答えた。
カフェトラン。その懐かしい響きにフォズオランは驚きが隠せなかった――いや、耳にするのは久々だったが、その名前を忘れたことはこの数年で一日たりともなかった。
「……妹様がいらっしゃったのですか」
「驚くようなことか。お前たちはカフェトランについてほとんど何も知らない。だから、今こうして私たちの下にやって来たのだろう」
「おっしゃる通りです。……」
エトバルの突き放すような態度に、エルフはそれ以上言葉を発せなかったようだ。しかしフォズオランは知っている。エトバルは不機嫌でも怒っている訳でもない。これが彼のいつも通りなのだ。
やがて、とおん――とおんと、独特の間延びしたノックの音が聞こえた。続いて「フォズ、入るよ」という声。
フォズオラン――フォズは立ち上がって、一歩後ろに下がる。顔を両手で覆って、それを離した時にはいつも通りの顔つきに戻っていた。
口の中の唾液を飲み込んでから、「はい、どうぞ」と答えた。
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