三十路女勇者の孤独

「また失敗したの?」


 部屋には明かりがほとんどなく、本と薬品だけが大量に置かれている。そんな陰鬱とした小さな部屋の隅で、椅子に腰かけた女が呆れた顔と声でそう言った。


「エレナ、お前のアドバイス通りにしたんだ。我の責任ではない」

「アドバイスって、何だったかしら」


 こっちを見ろ、と彼女――エレナの肩をむんずと掴む。彼女は心底どうでもいいといった感じではあるが、再度我の方へ視線をくれた。


「女子力をアピールしろ、と言っただろう」

「言ったわね。で、何をアピールしたのよ」

「リンゴを握りつぶした」

「女子力って物理的な意味じゃないから。パワー的な意味の『力』じゃないから」


 では何なのだ、と問い詰めるも、エレナは大きな溜息をつくばかりである。

 女子の力、女子力ではないか。あの場にいた誰よりも女子力のあった我が、女子力をいかんなく発揮した。我に落ち度はない。


「というか貴方、何で鎧なんて着てるのよ。さっきからガシャガシャ、鬱陶しいったらないわ」

「婚活パーティの帰りにそのまま寄ったからな」


 我の手を払って、再び椅子に腰かけたエレナ。だが我の返答を聞き、ずるりと椅子から転げ落ちた。


「は?貴方、この格好で婚活行ったの?」

「一張羅で行けと言ったのはエレナではないか」

「馬鹿なの?脳が鉄でできてるの?」


 本日一番を更新するほどの大きな溜息をついたエレナは、改めて椅子に座り、我をじっと見つめる。ああ、いつものやつがまた始まるのか。


「あんたこのままじゃ一生結婚できないわよ。あのね――」


 我が婚活で失敗すると、彼女は決まって説教を始める。我はこの時間がたまらなく退屈なのだが、仕方あるまい。色恋沙汰や結婚に関しては、彼女の方が先輩なのだ。それ以外のことであれば、力でねじ伏せてしまえば終いだが、こればかりはどうしようもない。

 また右から左へありがたい説法を聞き流そうと思っていたその時だ。


「ママぁ」


 薄暗い部屋の扉が空き、光が差し込んだ。光の先には、光よりも眩しい可愛らしい男の子が立っていた。


「あらごめんね。起こしちゃったかな、よしよし」


 先ほどまで皺を寄せていた眉間は急に緩まり、エレナは男児の下へ駆け寄っていく。阿修羅のようだった顔面は一転、聖母のようだ。


「可愛いな」


 ぽつり、と思わず声を零してしまう。


「そうでしょ。だからリリィ、貴方も早く結婚しなさい」


 そう言って我が子を抱きかかえるエレナを見て、我は婚活を始めるきっかけについて思いを馳せた。


 魔王を討伐した我ら勇者一行は、世界中から称賛を浴び、国から大量の報酬を得た。その報酬を得て、解散した一行は各々の道を歩み出した。それぞれが平和な世界で、平和な道を進み始めたのだ。

 そんな中で、未だに闘争心を燻らせていたものが若干2名いた。それが我、リリアーナ・ヴァン・ヘルクレイツァと、親友エレナ・ドゥである。


 我は国に残り、軍の指導者として剣を振るい、時に魔王軍の残党狩りにも参加して、鍛錬の日々を送っていた。一方でエレナは、新たな魔術の開発に没頭し、日夜研究室に引きこもる生活を送っていた。


 我らはずっとこうして闘争に我が身を置き続けるのだろうと、勝手にそう思っていたある日のことだ。エレナから、『結婚した。子供もできた』との一報が入ったのは。


 私が興味あるのは魔術だけだ――それが口癖だったエレナからの告白は、非常に我を驚かせた。困惑しつつも祝福の意を告げ、『男に興味がないんじゃなかったのか』と問うと、エレナはあっけらかんと答えた。


『何言ってんの、ありまくりよ。若い体を持て余しまくってたわ。私が躍起になって開発してた魔術って、男を誘惑する強力なチャームの魔術よ?いいこと、リリィ。恋愛って、結婚って、戦争なのよ。手段を選んでいたら負けるのよ』


 彼女もまた、違う戦場にいたのだ。

 彼女の闘争心は、実のところ男に向けられていたのだ。

 国から貰った金で何を開発しとるんだ、とは思う。


 同士だと思っていた彼女が、どこか遠くへ行ってしまった。しかし我に色恋など無縁、どうしようもないし伴侶などいらぬ。自分にそう言い聞かせ続けている内に、30歳の誕生日を迎えた。


『ハッピパースデー、トゥー


 毎年我の誕生日を共に祝ってくれたエレナ・ドゥは、ここ数年いない。

 彼女はエレナ・スーリーとして、新たな家族と過ごしているからだ。


『ハッピバースディ、ディア……わ~れ~』


 その寂しさを埋めるよう、浴びるように酒を飲み、ケーキとチキンを食らった。

 もちろん、一人でだ。へべれけとなった我は、部屋で一人、口ずさむ。それを笑うものも宥めるものもなく、一人で住むには大きすぎる部屋の中で、我の歌だけが反響した。それがまた、孤独であることをより強調する。


『寂しい』


 それは、産まれてから30年、味わったことのない感情だった。

 山奥にある田舎街、その領主の一人娘として、毎日鍛錬のみを続けてきていた我に訪れた初めての『孤独感』であった。他の者は皆、誰かに愛され、誰かを愛し、愛する子と幸せを育んでいるのだ。その腕には、愛する家族を抱いている。


 それが我はどうだ。

 我が抱いているのは、剣しかない。



「――という経緯でな、我は婚活パーティという戦場に、今はその身を置いているわけだ」

「なるほど。で、それを自己紹介の時に話した、と」

「そうだ。少し陰のある、同情される女がモテると友人に聞いたのでな」

「初対面の、それも一発目の自己紹介でそれはドン引きされますよ」


 その日の戦場に残されたのは、誰にも相手にされず一人パーティ会場に取り残された我と、それを仕方なしに相手する司会の男だけだった。


 我の婚活戦歴に、また黒星がひとつ。

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