光のなんとか、闇のなんとか

小林素顔

日曜日

 スマホの通知が鳴ったので画面を覗き込むと、光のなんとかが、闇のなんとかに正式に宣戦布告した、とかいう。


 またか、といった感じで、私はスマホをロックしてリビングのローテーブルに置き、ソファに身を沈める。夜十時。そろそろ寝ないと明日の仕事に障る。


 子供たちが部屋から駆け出てきてリビングのテレビをつける。どこの放送局も速報で開戦を報道し、特別番組でアナウンサーと解説者が隣り合って深刻そうな顔で話している。子供たちはその様子をスマホ片手に――主にスマホを見ながら、テレビを横目に――見入っている。


「こーら、二人とももう寝なさい」


 ダイニングテーブルを片付けていた妻が子供たちを叱る。


「えーもっと見たいー!」


「タイムシフトでいつでも見れるでしょう?」


「戦争はライブで見ないと面白くないよー!」


 子供たちは刻一刻と変化する戦況の報道を、SNSのコメントと共に見るのが楽しみなのだろう。双子の息子と娘にスマホのプレゼントは痛い出費だったが、こうして喜ぶ顔を見てしまうと、仕方ないなと甘くなってしまう。喜んでいる内容はいささか不謹慎だが。


「ねえ、お皿」


 子供たちをそれぞれの子供部屋に追いやった妻が私に声をかける。


「うん、いまやる」


 私は億劫にソファから立ち上がって台所に向かった。


 キッチンで夕餉の食器や鍋を洗いながら、テレビの音声に耳を傾けていると、二つの勢力は互いに自分たちのことを「光の」なんとかと名乗り、相手を「闇の」なんとかと呼んでいる。自分たちが暗澹としている状況は相手の所為であり、光をもたらすのは自分たちの行動だ、と、互いが互いに思っている。


 地球人も、「穴の向こうの人々」も、発想は変わらないのだろう。同じ人の形をしていると、陳腐な発想も似通うのだろうか。


 食器洗いが終わり、私はタオルで手を拭きながら、キッチンから妻に呼びかける。


「で、どうなってるって?」


 妻は私のほうを一瞥することもせずテレビのほうを向いている。


「見ての通りじゃない。なに訊いてんの?」


「…いや、見ての通りなんだろうけどさ」


 私は反論することもせずにタオルを洗面所に持って行った。


 南極の氷が溶けて南極点の凍土から巨大な穴が見つかった時は、世界中けっこうテンション上がったらしい。海面の水位も上がっていたが、既知の地球の危機よりも未知の存在が希望に思えたらしい。らしいらしいと繰り返すのは、それが私の生まれる数十年も前のことだったからだ。


 実際、穴の向こうはある種の希望だったらしい。穴の向こうには地球と酷似した世界が広がっていた。知性のある人間がおり、社会があり、文化があり、文明があった。しかしその根底にあったものは、地球に存在する「科学」とは異なる「魔法」であった。


 魔法の仕組みに関しては私は詳しくない。小学校で習った気もするが受験は私立科学系を選んだのでそれっきり触れていない。そのおかげで出世の道は絶たれたが、今こうしてマンション住まいの中流家庭に踏みとどまって家庭を持っていられるのは、魔法の恩恵を受けられない一部の地球人の「科学信仰」のお陰だった。


 科学の力では解決できなかった地球温暖化だったが、魔法の力で南極の氷を元の大きさに戻すことができた。


 穴だけ残して。


 地球人は穴の向こうの人々を親友と呼んだ。


 一方的に。


「クィディッチ見せてくれよ、日本代表」


「どこと?」


「イングランド。テストマッチ」


「やってるわけないでしょ、どこも戦争でもちきりだよ」


 私が穴の向こうの世界から魔法が輸入されて得していると感じた一番のことは、クィディッチが現実のものになったことだろう。それもマグル・クィディッチではなく、本当に箒に乗って空を飛ぶクィディッチ。地球人の空想していたものが向こうの人々の魔法の技術で実現したものとしては、かなり初期の段階のものだ。


 あれはいい。私はあいにく運動神経も魔法もからっきしだったが、国際Aマッチはいつも心躍らされるものがある。発案者であるJ・K・ローリングは似て非なるものだとご立腹だったそうだが。


 妻の対応がしょっぱいので、仕方なく隣に座って同じようにテレビを眺める。中継カメラは向こうの世界の、地球人が植民化した地域の国境に向けられており、遠い丘陵の谷間から戦車が次々に現れるさまを捉えていた。


 戦車の砲口からは魔法の理力が射出される。弾丸は無限。地球人が魔法の技術を輸入して開発した「魔法戦車」を、穴の向こうの人々に逆輸出したものが、いま、こうして地球人の植民地に照準を重ねている。


 穴の向こうに地球人が攻め込んだのは、私が生まれる前のことだったから、詳しくは知らない。ただ、戦況は最初は一方的だったらしい。向こうの人々は魔法の技術を平和利用にとどめていた。というより、魔法の力に満足していて、争うことを忘れていたのではないだろうか。


 一時は地球側の植民地が向こうの世界の土地の四分の一を占めていたこともあったらしい。その間に地球人は向こうの人々から魔法の技術をどんどん獲得し、科学の技術を「有償で」提供した。


 魔法と科学が混合したことによって、地球は環境問題やエネルギー問題を解決することに成功した。一方で、穴の向こうの人々は、軍事技術を手に入れた一方で、価値あるものを奪われていった。


 結果、穴の向こうの人々の一部が、武装蜂起した。そのことに地球側は、やはり軍事力を用いて対抗した。


 魔法で平和に暮らしていた向こうの人々に戦争の科学を教えて、そして歯向かわれて逆ギレしてるのだから、地球人も世話ない。


 しかも向こうの世界の人々は現在、極点の穴を塞ごうという意見と、逆に地球に攻め込もうという意見とで分かれ、互いに険悪な情勢となって、向こうの人同士で紛争が起きるかもしれないという状況も同時に進んでいるらしい。


 いま、「光のなんとか」と「闇のなんとか」は、夕日が沈んだ直後の空のように、混ざり合っている。


 地球人の思う壺、分断統治は進みつつあった。


「ねえ」


 妻が私のほうも見ずに、問う。


「いつ終わるの、こういう戦争」


「……さあね」


 知るかよ、関係ねえよ、というのが本音だ。


 穴の向こうの人々と地球側が戦争したところで、いまのところ生活は滞りないし、もし生活に影響が出始めたら、そのとき考えるし、そのときの状況でしか判断しようがない。


 どちらかというと子供たちが心配だ。戦争をまるでドラマか何かのように楽しんでいる。人が死んでいる現実がそこにはあるんだよと伝えたいものの、実際、大人たちもSNSを通じて、勿体ぶった自分の意見を発信しては「イイね」の数を争っているのだから、同様の子供達の楽しみを否定することを、大人の私は怖気づいてしまう。


 それにしても、何で地球人は、平和になったのに戦争するのか、意味が分からない。穴の向こうの人々も同様だ。戦争の道具を手に入れると、人の形をした生物はそんなに争うことが好きになってしまうのだろうか。





(了)

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光のなんとか、闇のなんとか 小林素顔 @sugakobaxxoo

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